ボランティアに参加して | 地球一周 若輩旅行記 =さむらいロード、さすらいどーよ?=
 ようやく仕事に空きが作れたので、10年過ごした宮城に行き、被災地と言われる土地にボランティアとして行く事が出来た。 前もって準備はしていたが、前回のブログを目標にそえて実際の現場に足を運び手を使う事が出来た。

 今回行ったのは宮城県石巻市鮎川。津波の被害が大きくあった地域。写真を撮るつもりはなく、カメラを持って行かなかったので、現地資料としてiphoneで唯一撮った3枚の写真と文面と共に紹介。
地球一周 若輩旅行記 =さむらいロード、さすらいどーよ?=

 活動を通じて様々感じた事があり、それと同様に思いがある。下記項目にしたがってその思いをまとめる。

■牡鹿半島について■
 私が今回訪れる事が出来たのが、宮城県石巻市の牡鹿半島に位置する鮎川浜近辺。地図でみるとこのとおり。ズームするとその被災状況が分かる。

大きな地図で見る
 石巻河南ICで降りたあと、石巻駅近辺より道がただ事ではなく、満潮時には海水が道路まで浸水している地域があった。また、旧北上川を超えたあたりから、建物の損害が激しく、山道から桃浦を抜けたあたりからその被害の悲惨さを目の当たりに感じた。
 滞在できた時間も2日間と短かった為、移動に時間がかかる場所や長期的な支援が必要な現場以外の短期で作業が済む場所であった。それでも住民の方10名弱、またボランティアに来ている方々とお話をする事が出来た事で、様々な難点や情報を伺う事が出来た。当然、リアルタイムで必要なものや支援が順次入れ替わり、それに応じた適切な支援方法が求められている。

 ただ漁港の町と言う事で、漁船が流されたり漁港が荒れ、海抜も下がってしまった。年長者の中には仕事復帰を諦めている方も多かった。その話は下記の現地の声で紹介する。


■支援に介入している機関について■
 現地には行政・自衛隊・民間のボランティア団体がそれぞれ支援を行っていた。まずは私が知る範囲で区分けしてみる。
・行政…今後の働き口や生活支援など各県との連帯。
・自衛隊…大きな重機を使用した建物の撤去や瓦礫の運搬。
・民間団体…さらに細かな住民のニーズ、自宅の片付けや自立支援。

 この中で臨機応変かつ最も現地の生活に入り込みながら支援を行っているのが民間団体であると感じたが、その土地ごとに情報が分散していたり、ニーズや情報の吸い上げに苦労している様に感じた。
 参加できた民間団体(今後NGO登録する)視点で考えると、現状は現場の最低限度の生活復帰を多数ある民間団体で協力して行い、ある程度の基盤や住民の生活が見込めたところより各団体ごとの目的に沿った活動を行っていくという。一部しか分からないが、私は今回参加させて頂いた団体への補佐や東京から現場負担を軽減する事を考えて支援していきたいと考えている。同様に長期的な支援を含めて協力が可能な場合は、その団体へ取り次ぐ、もしくは詳細を伝えるので連絡を下さい。


■ボランティアについて■
 今回足を運べた石巻鮎川地域には、石巻駅から市営のバスで移動が可能である(片道1420円)。また、石巻駅へも仙台駅からバスが出ている事から、車がなくても自力での移動が可能である(電鉄は復興していない)。鮎川からのバス時刻表が下記写真。
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 まず現状のボランティア事情として、マンパワーとしての人数がいる事で活動範囲は相当広がると思う。ただ、それ以上に現場職人の力が必要であり、建物の解体や設置といったスピードは目を見張るものがあった。現場に入る心得としては、私自身世界一周を通して様々な土地での体験があった事もあり、風呂や食事、環境への適応はなれている。当たり前がない事はもちろん、何を見ても体験してもそれを受け入れる覚悟は必要かと思う。悪気はなくとも、ただの興味本位や軽い気持ちでの参加は現場負担を増やしてしまう事も考えられる。
 それと、海外生活の時と同様、その場で出会う学生は東大や国公立の現役や卒業生といった高学歴の方。海外と被災地支援、そこに目が向く思考としてどこか共通点があるのかもしれないと感じた。

 また、下記現地の方の声で紹介しているが、ボランティアが参入できている土地とそうでない土地が出来てしまっている。単にボランティアの不足と言うよりも(むしろボランティアが有り余っている地域がある)現地からの声が届いていないという問題がある。ある方が成瀬川の近辺で被災し全く住宅も財産も失った状態で人手が必要でもその要請が出来なくて困っている、と伺った。

 つまりより広範囲の被災地から要請の声を拾うべきであり、ボランティアの方法も滞在式から移動式にする事も可能であると感じた。


■現地の方の声■
 ボランティア活動の合間の談笑。特に印象に残っているものを以下に紹介。

住宅を失い避難所で生活するおじさんの話
(高台から眼下の漁港町を見下ろして)『こんな風になってしまうなんて考えてもいなかったべな。どっからきたんだ?そうかーご苦労さんだ。もっともっと綺麗な町だったんだ。誰がこんな風になるて思ってた?ちまちまやっても2年はかかるで。そんな2年で終わるかも分からん。』

住宅を失い近所の親戚の家で過ごすお母さんの話
(高台のおばあさんの家から眼下の自宅を指差して)『あの黒い屋根がね、家だったの。幸いにね、家族はみんな大丈夫。ねー。でもすぐそこまで津波きたんだからーびっくりよ。こんなになっちゃってねー。でも、どうしようもないどうしようもないって言ってても仕方ないね。笑顔で前向いてがんばろーってね。』

成瀬川付近で生活していた方の話
(一緒にトラックの荷台に乗り走る瓦礫を横目に)『うちの方は全然ボランティアこないから、やってほしい事あってもどこに頼んだらいいか。』

白浜や小渕浜の漁港で働くおじさんの話
(孫をだっこしあやしながら15分も話してくれた)『3隻あったんだけどな、2隻駄目になって。1隻は2500万で借金して買ったばかりのが残ってな。どうせならそれも無くなれば、保険で借金がなくなったんだけど残っちまった。早いうちに売る事も考えてるんだけどな、ほら、いつ魚獲れるかも誰も分からない。あ、家族はこの間国から帰ってきちゃったのな。いっそな、こんな時に帰ってきてほしくなかったけどなー、ま、ありがたいけどな。ほら、息子は仙台で仕事みつけて出てったのさ。一緒に漁に出てたんだけどな、こんな時だからって仙台で働き始めたんだ。こっちでやるにしても市場に卸すよりな、個人で売った方が、ほら繋がりも増えるだろ?それもいいなーって思ってるんだ。』


■今後の支援について■
 さて、今後の私の支援について大きく分けて2つを考えている。
 一つは現地ボランティア団体が効率よくスムーズに現地支援を行う為の、民間団体への支援。現地に出向けば分かるが、正直連絡を取り合う間もなく様々な事が起こる。それをこなしながらも次なるボランティア受け入れの為の体制を整えるのは相当な至難であり負担が大きい。上手に組織を作った上で、ある程度のインフラはこちらからも提供できると感じたので、そういった所から始めた上で、まずは現地ボランティア団体への負担軽減に務めたい。
 もう一つは、前から考えている被災地の子供たちに向けた支援。やはり、子供たちの笑顔は無敵だと思う。カンボジアなりモンゴルなり、決して恵まれた環境と言えない境遇に置いても彼らにとってみれば生きている事、それ自体が楽しく輝いている。その輝きを多く伝える事を各団体と協力して広める事に務めたい。
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ちなみに彼らの間ではドラゴンボールが流行っていたw

 
 取り急ぎ今回のボランティア参加を通しての経過をざっとまとめてみたが、移動続きや体力を使っての作業に疲労困憊で、たったこれだけの文章に2時間近くも要してしまった。出来る事を出来る範囲でやる、ただそれだけ。

 最後に今回のボランティアに参加するにあたって交通情報や現地情報を提供してくれた沢山の友人に感謝しています。本当にありがとう。これからも現地に行く事や協力を募ってばかりになってしまって申し訳ないです。こちらも協力できる事は少なからずあると思うから、些細な事でも伝えてくれたら嬉しい。

 まだまだスタートラインにも辿り着けないけど、笑顔を意識して一歩ずつ前に進もう。