こんばんは。義人です。
うつ病について思い出していました。
私がうつ病になったのはいまから10年ぐらい前です。
大体15人に一人はその生涯でいつか、うつ病を経験するそうです。
ごくザックリと、盲腸にかかる率と同じくらいですから、
うつ病ってかなり普通の病気です。
うつには経験した人の無い人にはわからない苦しさがあります。
経験したからよくわかるんだけど、
自分の脳が自分のコントロールを失ったように感じちゃって
いままで無条件で与えられてきた、自分に対する信頼が揺らいでしまいます。
それは辛すぎる経験でした。
うつを卒業するということは、
自分の脳みそを入れ替えるほど価値観を転換するということです。
それは、確実に進歩と言えるものですから、
神様は意地悪なだけではありません。
うつを脱するという経験で、私は全ての悩みから脱するやり方を手に入れました。
それは、私が私淑する苫米地英人先生の理論と、あまりに整合していました。
もちろん苫米地理論は病気の治癒にフォーカスしたものではありません。
宇宙の真理を手に掴もうというとてつもない知の体系であり、
小賢しいロジックや生半可な修行で体得できるものではありません。
しかし、その体系からしたたり落ちる一滴の利益が、
私の考え方を変え、うつを100%卒業させ、
悩みを悩みでなくしてしまいました。
そのステージに立ってしまえば、それほど感動的なことではありません。
以前の私は、『回し車』の中を喜んで走るハムスターのような存在でした。
私はそこを、静かに降りることができました。
『回し車』を降りたハムスターは、ガッツポーズをしたりしません。
今まで膨大な時間を過ごした、その単純な構造物を横から眺めながら、
失われた時間を茫然として思い出すだけです。
回し車の中で死ななくてよかった。 それだけです。
世の中には、いろんな回し車があります。
回し車が全て悪いわけではありません。
楽しく走り続けて一生を終えるなら、それは最高の幸せです。
その回し車は、その人にとって、幸せをもたらす装置であったのです。
しかし、その回し車が、不本意なものであったら・・・
それはその人にとって、最悪の殺人装置になります。
幸福感を失い、健康を失い、ついには思考力を失います。
その回し車の中で、人としての尊厳を削り取られていきます。
そりゃあ、うつにもなりますよ。
うつに対する最初のアプローチは、回し車を一旦止めることです。
それ以外に断じてありません。
まずは、休むことです。
どの回し車が悪いのかわかりませんから、
まず、全ての回し車を一旦止めることです。
そして、一息つくことからしか、何も始まりません。
同じ生活を続けたい気持ちは、私も痛いほどわかりますが、
薬で症状を抑えつつ、同じ生活を続けるのは、最悪のやり方です。
そして自分がストレスのない活動を、一つづつ増やしていく。
今までの回し車は捨てて、新しい活動を求めていってほしい。
職場や人間関係を変えたほうが望ましい場合は、
頑張って、それを変えたほうがいいと思う。
大変なことだけれど、それができないのが、沼から出られない理由です。
病気の時には判断力や、交渉能力は衰えているので、
本人が無理をせず、専門家に頼るのが良いです。
本人に専門家を探す気力が無いときは、
家族や理解のある隣人が、専門家をさがしてやることになります。
本当に良くなりたい。良くしてやりたいという必死の思いがあれば
必要な人との縁は生まれるものです。
わたしは、うつになった人が
そこから卒業して素晴らしい風景を見てほしいと思うし、
うつ予備軍には、うつに至る道から、
ご自分の進む先をシフトして欲しいと願っています。