こんにちは^^気功整体師の岩瀬です。
「気」なんてあるの?
気の存在を、信じる人、信じない人。または、まったく興味のない人。
いると思います。
手品を見ると、「不思議!」と感激する人は多いと思いますが、
その後、どうしてもタネが気になって仕方なくなると思います。
不思議な体験をすると、違和感を覚えるからです。
違和感があると、もやもやして、すっきりしません。
モンブランに栗がのっていないと、美味しそうにみえないのと一緒です。(?)
その違和感を解消しようと、脳が働きだします。
理屈を見つけて、すっきりしようと努力します。
でもその理屈がみつからないと、いつまでもモヤモヤし続けているのは、
嫌なので、あきらめて、忘れようとする。
それだけ自分の脳の認識能力に絶対的な自信を持っているということです。
自分の頭で理解できないことは、すべて嘘だ。と否定したりもするようになります。
当たり前にわかっていると思っていることでも、ド忘れすることあります。
テレビを見ていて、有名な俳優の名前が出てこなかったり、
よく口ずさんでいた歌の歌詞が出てこなかったり、
いつも行くお店への道順を忘れたり・・・
絶対的に理解できていると思っていることでもときどき脳は裏切ります。
借
↑この字をじっと注視してみてください。
「なんて字だっけ?」となった方はいるでしょうか?
普段よく使ったり、見ている漢字だと思いますが、
じっと見ていると、こんな字だったけ?となることがあります。
脳が錯乱してしまったような感覚。これは、ゲシュタルト崩壊と言われています。
借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借 借
このように連続して見続けたり、
何度も書き続けていると、この現象は起こりやすいようです。
例えば、よく知っている人の顔でも、
奥さんとか、旦那さんとか、友人とかしょっちゅう見ているはずなのに、
「あれ?この人こんな顔だっけ?」と、鼻や目、口の形が、
自分の覚えていたものと違うように感じたり、
また、鏡を見ても、「わたし(俺)ってこんな顔してたっけ?」
と違和感を感じたりしたことはないでしょうか?
脳に障害がおこったわけではなく、脳の使う分野が違っている。
ということらしいですが・・・
なので、目に見えているものがすべて正しい。というのはちょっと疑問に思います。
見落としていたり、錯覚していたり・・・
とかく、自分が興味があるものしか目に入らなくなってしまいがちです。
しかし、一旦興味を示すと、それまで見えなかったものが見えてきます。
例えば、
「そろそろ新しい靴を買おうかな。」なんて思いはじめると、
ついつい、人の履いている靴に目がいったり、
こんな所にお店があったんだ。とか、
こんなに種類があるんだ。・・・と、
これが気づきというものです。
ラジオやテレビが電波や周波をキャッチできるように、気を感知する機械のようなものがあれば、信じやすいとは思いますが・・・
まだ、そこまで技術が追いついていないというだけことです。
※アメリカには、気を映すことのできるカメラを発明した人がいるらしい(?)ですが・・・
気をコントロールするようになりたければ、まず気の存在を信じることです。
幸せ、運気、勇気、愛、神・・・
目に見えないものを信じることは難しいことではないはずです。
気は存在しています。というより、人の体自体が気である。
これに気づくことができれば、誰でも、容易に気をコントロールすることができます。