恥ずかしい人間とは、人間としてやってよいこと、やってはいけないことの判断を誤って、自身が勘違いをしたり、嘘をついたりして自分の立場を守ったり、自慢をしたり、ほらを吹いたりすることです。

しかし、自分では気が付かず、堂々と嘘をついたり自慢をしたりほらを吹いたりし続けるのです。

 

兵庫県の斎藤知事も恥ずかしい人間の一人です。

知事がそんなに偉いのか、人をさげすみ、自分のやっていることは絶対で、自分が気に入らないと怒り叱責する、工事のために入口の近くに車を止めて、たった20メートル歩いただけで、怒り叱責する始末、自分が間違ってしていることを正当化して、言い張り、他の人の証言があっても、言い訳をする。

人間は引き際が肝心ということが絶対で、ここまで追い込まれてもやめようとしない、あきれてものも言えません。

このような人間が恥ずかしい人間なのです。

 

どう見ても歌が下手で音痴、しかし、自分ではうまいと思っていて、好評を得ているとか、ユーチューブの視聴回数が何千回あったとか言っている人もいますが、毎日自分で10回押せば一年で3650回の視聴になるでしょう。

自分の歌が音痴なのか、うまいのか、音楽のプロにはっきり教えてくれるようにすればすぐに分かると思いますよ。

 

自分の実力を大げさに言ったり、嘘をついたり、する人も恥ずかしい人間に入るのですよ。

ガマの油売りというのが昔ありましたが、ガマの油売りの口上が(鏡に映った自部の醜い姿を見て、脂汗を流す、この脂汗がガマの油という薬だ)という向上がありますが、自分の姿を鏡に映して、自分の言っていること、自分のやっていること、は人から見て恥ずかしくないのか、恥ずかしいのか、自答する必要があるのではありませんか。

 

しかし、長年、自分を見つめようとしなかった人が、急に自分を見つめなおそうとはできないでしょう。

その結果、自分だけが満足して、人から笑われたり、馬鹿にされたりすることも気が付かづに生きている間は続けるのでしょう。

 

馬鹿は幸せだということはこのような人間を言うのです。

自分が恥ずかしい人間だと思わず気が付かないため、自分はみんなから凄い人間と思われている、と自分だけが思い込むからです。

 

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