Eです。 喜びとは、満足感や達成感や思いがかなった時に感じるものです。

悲しみは、思いが通じなかったときや不幸が起こった時や愛するものを失った時に感じるものです。

悲しみは、自分の行動や力ではどうしようもないことが偶然に起こります。一番の悲しみは愛するものを失った時でしょう。

 

悲しみは予期せずに起こることですが、喜びは自身の考え方や行動の中で手に入れられます。

(楽ありて苦あり、苦ありて楽あり、)という言葉の通り、喜びを感じるには苦を乗り越えなければ喜びを得られないのです。

分かりやすい例を挙げると、サウナ風呂に入り、熱さを我慢して耐えてからの水の一杯が何とおいしいと感じることがあるでしょう。

 

苦を味わった後に楽が感じられるのです。

平凡という言葉がありますが、本当は平凡こそ苦も楽もなく、平和なのですが、人間という動物は、刺激がないとつまらなくなるのです。

 

あるえらいお坊さんがこのような悟りの言葉を口にしました。

(新しい苦しみは楽しみであり、古くなった楽しみは苦しみである。)

この意味は、いくら喜びが感じられる楽しみでも、すぐに喜びに飽きてしまい、もっと刺激のある喜びが無ければ、つまらなくなり苦しみに代わるというものです。

 

人間は一生難関にチャレンジをして乗り越え、達成して喜びを感じる。再び不幸を克服して達成感を味わい喜びを感じる、この繰り返しをしなければ、途中でつまずきつまらない人生を歩むようになるのです。

 

喜びは長くは続きません、時間はどんどん過ぎてゆく間に、喜びは薄れ過去のことになるのです。

世界中に多大な権力を持った悪魔化した人間がいますが、欲望の増長により、少しくらいの満足では物足りず、自分が満たされる満足感と喜びを手に入れるためにどんどんエスカレートし、自分の喜びを満足するために、他の人間を犠牲にして、悪魔のようなことをしまくり、自分を見失っているのです。

 

喜びを感じると言っても、小さな喜びを大きな喜びに感じるような心の広さが必要です。

人生は卒業するまで山登りをしなくては、ほかの道にそれて崖から落ちてしまいます。

 

山登りに例えますと、山に登っているときは辛く苦しいのですが、上にある丘にたどり着けば、おいしい水があり、食べ物もあり、きれいな景色が広がっていて心が満たされる、と思いながら登れば苦しさが楽しみに思えてきます。

そして、丘のたどり着いた時には、登り切った達成感と征服感で心が満たされます。

 

しかし、その場所に長くいると、それが当たり前になり、つまらなくなります。

ですから、さらに上の丘にたどり着くために登るのです。

登り切って達成感と征服感で喜びを感じ、丘で過ごす喜びを感じるのですが、やはり喜びも古くなるとつまらなくなります。

 

人生を卒業するまで、難関を乗り越えて喜びを感じることの繰り返しをしなくては喜びが消えてしまいます。

山に例えて、山を登れば上るほど、人間が大きくなり、器が大きくなります。

少々の苦難には驚かなくなり、辛く思うこともなくなり、心が安定した平和な心の人間になれるのです。

 

そして人生の卒業の時、生きていてよかった、安心して卒業できると、安らぎの境地にたどり着き、来栖に旅立つのです。

 

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施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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