生きる意味とは、大きく分けて、修行によってカルマを拭うため、自分にしかできない社会貢献をするため、人として生きて正しいことを積み重ねて成長をするため、です。
正しいことをするためとは、出来るだけ人に迷惑をかけない、人を悲しませない、施しの心を持つ、自分にできる社会貢献をする、
というようなことを言うのです。
人間には煩悩が付いて生まれます。この煩悩が付くことで欲望が生まれ、性欲、食欲、強欲、をいかに抑制して、人に迷惑をかけないで生きるかによって、カルマが付くのです。
カルマを簡単に説明すると。前世で生きてきた中で、自分でしたことがそのまま帰ってくるということです。
人にやさしく、人に愛されるような生き方をすれば、そのことがカルマとなって来栖に繋がるのです。
人をいじめたり、嘘をついたり、人を不幸に陥れたりすれば、それと同じ罪がカルマとなってつくということです。
キリスト教などでは、懺悔をすれば罪は拭われるとありますが、この意味はこの世で生きている間は罪は問わないということですが、来栖に生まれた時には、その罪がカルマとなって憑くので、カルマを脱ぎ捨てるためのつらい修行が待っているのです。
辛いカルマから抜け出すためには、カルマを受け入れて、過去の反省をして、静かな心で生きるのです。
自分だけなぜ不幸なのかと思い、自棄になったり、人に危害を加えたり、不貞腐れたりすればするほど、カルマがのしかかるのです。
そして、自分にできる、施しをする、施しとは、人に対して優しくすることや親切にすることや自分にできる社会貢献をすることや自分を反省して自分を磨くことで来栖にはカルマが拭われるのです。
仮にカルマが弱くとも、人は欲望を求めてしまうのです。
そうすると、平凡なことがつまらなくなり、自分がワクワクすることを求めたり、自分の立場が向上することを求めたり、しなければ、生きるのがつらくなってしまうのです。
そこで自殺などすれば、修行を放棄したことになるので、次に生まれた時には、放棄したカルマが重くのしかかるのです。
人間は最後まで辛くとも生き抜かなければならないのです。
何でもよいので何か生きがいを見つけるのです。自分が没頭できることを探すのです。
例えば、少し早く起きて歩き、軽い体操をする、トレーニングをする、スポーツをする、スポーツ観戦を趣味とする、歌手の追っかけ、など自分を向上するためのことを何かするのです。
目標をクリアすると達成感が生まれ喜びを感じます。
そしてまた、少し上のレベルに挑戦するのです。
クリアするたびに喜びが生まれ、毎日の生活が楽しくなるのです。
人生は山登りと同じなのです。苦しい山を登り、丘にたどり着き達成感と喜びを感じますが、いつまでも同じ場所にいるとつまらなくなります。
さらに上の丘に向かって登るのです。登っているときには辛くとも、丘に就けば達成感と喜びが得られます。
人生とは山登りと同じように、絶えず困難にむかって、挑戦して乗り越える、この繰り返しをしなければ、つまらなくなり、生きるのが嫌になってしまうにです。
人生山登りと同じで、登っているときには辛くとも、登り切れば達成感と喜びが生まれ、人間が大きくなり、魂が磨かれます。
そうなれば、生きることが楽しくなり、人生の終着の時でも、満足感の中に安らぎの境地が生まれるのです。
生きてきてよかった、素晴らしい人生だった、安心してあの世に行けます。という、安らぎの境地にたどり着くことができるのです。このことが生きる意味なのです。
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施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。