昔からのことわざで【のど元過ぎれば熱さ忘れる】とは、苦しい時や助けてもらいたい時には必死で助けてくれ。何でもするから救ってくれ。と言って救いを求めてきます。
それが、苦しさがなくなり、少し楽になったころから、気持ちに変化が訪れるのです。最初のころのどうしようもない苦しみを忘れてしまい。自分勝手な考え方に変化をしてしまうのです。
勝手な考え方というのは、ここまでよくなれば、間をあけてもよいのか。通うのが面倒くさいので。ここまでよくなれば、悪くなることはないだろう。ここに通って施術をしなくてもよくなったのかもしれない。ここまでよくなったのは自分の力かもしれない。というように、自分の都合の良いように考えてしまうのです。
人間だから仕方がないと言えばそうなりますが、病院では治療のできない、病院では治らない(難病)や(ガン)が治ること自体が奇跡の出来事でしょう。神に対しての感謝の念を忘れてはいけないことと。勝手な自己判断は自殺行為なのです。
神が奇跡を起こしてくれる人と繋げたのですよ。ありえないことを起こしてくれたのですよ。病が治ったことが、普通に治ったと思うこと自体が苦しい時のことを忘れてしまったことに繋がるのですよ。
勝手に自己判断をして、施術の範囲を伸ばしたり、来なくなったりする人が多くいたそうです。中にはもう来なくても再発はしないと言われるまで施術を受けた人もいますが、●最後まで施術を受けた人全員が再発をしていません。
例を挙げますと、途中で来なくなった人は、乳がんの人で、この方はたった3か月ほどでステージ4からステージ1にまで奇跡的に治った人でしたが、それから来なくなりましたが、それから施術に来ることはなく、一年後には入院をして今は亡くなりました。どうしても、自分から断って来なくなると、来にくくなるのでしょうが、命がなくなっては終わりです。
ほかには慢性疲労症候群の人でしたが、三か月ほどしたころには、正常に近づいてましたが、来なくなり、半年ほどしてから再び来ましたが、この時には、治るまで施術をしてればよかった、と言ってましたが、やはり三か月ほどすると来なくなった人です。この人の次はありません。
もう一人の人は、脳腫瘍のほかに脳梗塞の後遺症のための左半身が麻痺をしてた人です。奇跡の果てに脳腫瘍は消えましたが、半身まひで歩けなかったのが歩けるようになりましたが、左腕の動きが悪かったのですが、途中から来なくなりました。三年経ってから足がつるようになり、足が重たいというので施術に来ました、腕の動きも悪かったのですが、何回か施術を続けると硬直もなくなり少しは動くようになり、足の重たさがなくなり歩きやすくなると、また来なくなりました。この方も次はありません。
ほかに例を挙げればきりがありませが、命にかかわる人は、ある程度治るまで施術を受けに来ますが、すぐに命に係わらない人が、自己判断をして来なくなるケースが沢山あります。すぐに命に係わらなくとも、日常生活に影響を受けて、いずれは命に係わる病になる可能性があるのです。
神様よりのチャンスは一度きりですが、二度目の施術を引き受けるのは先生の人柄からなのですが一度目の様に高い効果がすぐには出せないのです。一度やめてから再び施術をする場合、なかなか高い効果が出にくいと先生は言います。
全ては自己責任と言ってしまえば、それはそれですが、せっかく治るチャンスを神からもらったのですよ。経済的な事情がある人は仕方がありませんが、施術を受けられることができるのなら、治してしまったほうが、残りの人生を楽しく何不自由なく楽に暮らせるのに、障害が完治せずに残った状態で余生を歩むには苦しいでしょう。
その場で、もういい、面倒くさい、ここまで治ればよい、では、単的でその時のことしか考えてないことが残りの人生に影響するのです。今の自分が有意義に生きるためにも、卒業まで、楽に思い通りに生きれば、悔いのない人生を送れて、納得のいった人生を終わることができると思いませんか。全ては本人の考え方次第ですので残念ですが仕方がないでしょう。
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