
言葉で治癒(氣功)する氣功整体師の「310ちゃん」です![]()
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目覚めたことに感謝(o´・∀・`o)ニコッ♪
息(生きて)していることに感謝で一日の始まりを![]()
自分を知ることがなければ、何を行なったとしても、瞑想状態へ至ることはできないでしょう。
「自分を知る」というのは、全ての思考を知り、全ての気分、言葉、感情を知ること、つまり、心の活動を知ることであり、崇高なる自己や、大いなる自己を知ることではありません。
そんなものはどこにもないのです。

高次の自己、アートマン(真我)などといっても、依然として思考の範疇にとどまっているにすぎません。
思考は、あなたが条件づけされてきたことの結果であり、記憶への応答です。
歴史的な記憶でも、今のあなたの中の記憶でも同じです。
自分を知るということから生じるあの美しい徳質を深く、ゆるぎないものとして確立しないまま、ただ瞑想を試みても、完全なごまかしで、全く役に立ちません。
どうかお聞きください。これは真剣な方々にとって、とても重要なことなのです。
もしそうしなければ、あなたの瞑想と現実生活は、分離し、別れ別れになります。
とても大きく隔たってしまうので、いつまでも、生涯にわたって姿勢を整え瞑想したとしても、
鼻より先が見えることはないでしょう。

どんな姿勢をとろうと、何を行おうと、それには何の意味もないのです。
自分を知るとはどういうことなのか、わかることが大切です。
ただ氣づくのです、何の選択をすることもなく。
束のような記憶を源としている「私」というものに、何の解釈を加えることもなく、氣づくのです。
心の動きを、ただ観察するのです。
でも、観察を通じて、何をすべきか、何をすべきでないか、何を達成するかということをただ積み重ねているのだとしたら、観察は妨げられてしまいます。
そんなことをすれば、自己の生き生きとした心の動きに終止符を打つことになるのです。
つまり、私は事実を、実際を、それそのものを観察し、見なければならないのです。

それに対して、記憶の応答である「こうしてはいけない」「こうしなければいけない」というような、考えや論理でアプローチするなら、純然たる、あるがままの動きが、妨げられ、ブロックされてしまいます。
ですから、そこには何の学びもないのです。
今日という日はあなたにとって
どんな一日になるのでしょうか?
どんな一日でも
一日の終わりには
笑顔で終われるといいですね![]()
今日も一日お疲れ様でした・・・と![]()
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この気持ちを忘れては無になる・・・ありがとうの心を![]()
最後まで読んでいただきありがとうごございました。