このように授かった命の使命をまっとうしない限り命を自ら絶つことは出来な

い。従って、どんな大事故に遭遇し、そこで命を永らえたことは、そこには何

らかの使命があってのことと知らなくてはなりません。

私が起こした自動車転落事故もそれを物語っております。なぜなら事故の状況

からかえば見られます。その状況とは、先に書きました事故現場に立ち並ぶ墓

票です。その無数の墓標は過去にその現場にて事故等で尊い命を絶った人たち

への霊を祀るために建てたものです。私とてその現場で命を落としても不思議

ではないはずです。なのにこうして命拾いをさせてて頂いたわけです。

この壮絶な転落事故は次の新聞朝刊にでかでかと掲載されました。その内容は

あそこから落ちたら全員即死であろうと、さらに、運転手(私)の名前も実名

で公表されました。私その時17歳の未成年でした。今では考えられない未成

年でありながら実名公表です。もちろん運転免許証など持っておりません。

その当時は今で言う年齢不詳・住所不定の人たちがごろごろしていた土木現場

の飯場生活人間でしたので実名公表は無理からぬことでもあったのです。 

氣功!
気功!