始まりは家族旅行
アメリカでは5月の最終月曜日がMemorial Dayという3連休です。
渡米3年目のメモリアルデーは家族でヨセミテへ旅行に行きました。
ホテル近くに夜ご飯を食べに行ったとき、私の人生が大きく動き出す出来事がありました。
向かった先は田舎のダイナー(ファミレスみたいな店)
メモリアルデーといえども店内はガラガラでした。
私たち家族はピザを頼み、父はビールを飲み、ゆっくり食事を楽しみました。
旅行のときの食事って家族の会話も増えますよね。
普段は部屋に引きこもりのミドルスクール反抗期だった私も、この日ばかりは色んな話をしました。
海外在住の子供が進路を決めるとき
ふと進路の話になり、今後自分がどうしたいか、親から聞かれました。
当時はアメリカのこと嫌いだったし、早く日本に帰りたかったのが本音です。
でも父の赴任期間は決まっていなかったので、いつ帰れるか分かりませんでした。
私はそれとなく日本に帰りたいアピールをしたところ、母が言いました。
「日本の高校に行くこともできるよ」
えっ?!
帰れるの?!
「かごめがそんなに帰りたいなら、ひとりで日本に帰って、寮のある高校に通う道もあるよ」
ひとりで帰国?!しかも寮?!
考えたこともありませんでした。
聞いた瞬間は驚きましたが、悩む理由もなく私は答えました。
「行く!ひとりでも帰る!
日本の高校に通いたい!」
両親は特に驚いた様子もありませんでした。
やっぱりかごめならそう言うと思った、と薄々感じていたかもしれません。
もしかしたら、前々から夫婦では話し合っていたのかもしれません。
母は「じゃあまた調べなきゃね!」
と笑顔で返してくれました。
父はひたすらビールを飲んでいました。
家族と離れても帰りたい日本
ひとりで日本に帰る
それは私が親元を離れることを意味していました。
高校生で実家を出るのは、親からすれば不安もあると思います。お金もかかります。
それでも、私の単独帰国を提案してくれた両親には感謝しています。
あまり自分から親に何かを提案できる性格ではなかったので。(たぶん今でも笑)
何より、
「アメリカで高校生活を経験させよう」とか
「家族は一緒に暮らすべき」とか
そういう一般論に流されず娘がどうしたいか理解してくれて本当に助かりました。
時間的にもお年頃的にも、中学生と親がゆっくり話し合いをするのが難しい場合は、場所を移すのが効果的だと学びました
当時はスマホもなかったし、田舎に旅行した夜とか暇だもんね
反抗期のお子様と話の場を設けたい場合は、いつもと違う環境にするの、オススメですよ。
と言う訳で、私の高校受験編がスタートです