こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年7月上旬。

受験予定は、7ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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『東大アドミッションポリシーに挑戦する』の途中ですが、

今回の話を入れておいた方が理解しやすいかな、、と思うので、入れてみました。

 

東大に合格するレベルの受験生は、例外なく記憶力が良い。

当たり前ですよね。(そうでなければ、共通テストを突破するのもままならない)

 

では、、その記憶力って、一般的な高校生とどう違うのでしょうか?

というのが、今回のテーマです。

 

 

目次

・東大受験生は、なぜ記憶力が良いのか?

・記憶する場所が違う、、とは?

・心と意識の力が疲れてしまう、、

・「理性」優位の場所

・だから、”歴女”に敵わない

・「歴史」の流れ、2通り

・愚かになってしまったら??

・患者だから、こう勉強する

・方法は、2つ

 

 

 

僕は、統合失調症患者です。

症状が強く出始まったのが、高校生になってから。

(現在アラサー)

 

クラスメートは、東大や医学部に現役で入る人が多かった。

だから、今回の話は、現役の時と現在の僕の実感になります。

 

 

 

 

東大受験生は、なぜ記憶力が良いのか?

 

答えを先に言います。

記憶する場所が、違うのです。

 

ただ、、その場所を使い過ぎると、問題が出てくるのです、、

これが、「東大アドミッションポリシーに挑戦する」に繋がりますが、今回はおいておいて、、

 

 

 

 

記憶する場所が違う、、とは?

 

例えば、、糖分を急に多く摂取すると、血糖値が急上昇しますよね。

急上昇すると危ないですから、身体は血糖値を下げようと必死になります。

 

何度も何度も、急上昇し下げようと無理を重ねると、疲れ果てて血糖値を下げる能力が弱くなります。

これが、糖尿病と言われるもの。

(注)医学的な説明ではなく、僕の理解してる内容になります。

 

つまり、、

無茶を重ねて、本来の身体の機能のバランスに戻らなくなったんですね。

 

東大受験生が記憶力が良いのは、これと同じなんです。

 

 

 

心と意識の力が疲れてしまう、、

 

幼い頃から、たまたま「理性」の力が強かった。

「理性」とは、デカルト式論理のように、疑う、、ことを道具にします。

 

疑う、、ことから始まる、、

つまり、、「理性の仕事は、分析です」

 

分析を主体にすれば、当たり前ですが、心を扱う時間が減る、、

何度も何度も「理性」を働かせることによって、心に戻る力が弱まっていく。

 

そうして、常に「理性」重視になる。

これは、バランスを崩してる、、ことでもありますね。

 

 

 

分析、、する時は、必ず時間を止めます。

そうでなければ、分析はできませんから。

 

時間を止めることが長くなれば、必ず「意識」が疲れます。

時間を扱うのは、「意識」の役割ですから。

 

「理性」重視になれば、だから、必ず「意識」の働きが悪くなるのです。

「意識」が時間を扱うのだから、「理性」重視になれば、必ず時間を扱うのが難しくなります。

 

時間を扱うのが難しくなれば、当然、先を予測するのが難しくなります。

だから、現在の日本では、行き当たりばったりの解決策しか提示できない人ばかりになりました。

 

 

 

そうして、、「理性」の働きの場が優位に立ちます。

だから、20世紀、世界的に交感神経優位の時代になり、死因としてのガンが一気に増えた訳です。

あ、、話が逸れました、、

 

 

 

「理性」優位の場所

 

その「理性」優位の場所。

東大受験生は、この場所を使うことに長けてる、、のではなく、

たまたま、この場所が馴染みやすい、、のです。

 

実際、東大合格体験記を読んでいても、また、友人を思い返してみても「長けてる」人はいませんでした。

 

 

 

 

だから、”歴女”に敵わない

 

マンガ『五等分の花嫁』で、

東大志望の努力家男子が、落第スレスレの女子に小手先の知識を見破られるシーンが出てきます。

 

いわゆる”歴女”は、歴史の人物が好き過ぎたり、例えば鎌倉が好き過ぎたり、、する訳ですよね。

好きこそ物の上手なれ、、と言われるように、

好きっていう感情が、わざわざ記憶しようとしなくても貪欲に知識を吸収させるのです。

 

(注)

「歴史」というのは、もともとデカルト式思想のものだし、

記録のされ方が、「イキるおじさんのドヤ顔」が中心になるので、”歴女”の知識も偏りやすいです。

だから、自己承認のために本気で「歴史」を身につけた人には、”歴女”でも敵いません。

分かりやすく言うと、土俵が「イキるおじさん」向けなのですね。

 

 

 

「歴史」の流れ、2通り

 

「歴史」とは、支配者が描く歴史なので、

はっきり言って、論理的に繋がりません。

繋がるはずがないのです。

 

だけど、「歴史」は一応、人類の営み、、として考えられてるので、

「流れ」がなければなりません。

 

アダム=スミスが亡くなったその年には、なぜか、共産主義が全盛期なった、、なんてなる訳がないのですから。

 

だからこそ、「流れ」がある、、ように見える。

 

 

 

もちろん、「愛から見る世界史」でも、「流れ」はあります。

 

中世以降、西ヨーロッパを中心に科学と個人主義が発展したのは、キリスト教会のせいだ、、という「流れ」。

そして、キリスト教会がああいう振る舞いをするのも、ちゃんと「流れ」があるのです。

 

「意識」のレベルで見れば、当たり前な「流れ」です。

デカルトもニュートンも、アインシュタインも、紀元前と変わっていない、、という「流れ」です。

 

 

 

今から1万年以上前、

突然に心のバランスを崩し始めた人たちが生まれます。

 

彼らは、森林を意味なく切り開くことに熱中します。

アフリカのサハラが砂漠化し始まり、人類は集まって暮らす他なくなり、古代文明が誕生する土台が生まれました。

 

当たり前ですが、森林は人間に恩恵を与えます。

だから、気が狂ったように森林を開墾する人々を許せません。

 

だから、争いが生まれる、、はずでした。

けれど、当時の人類は頭が良く、争い合えばあっという間に滅んでしまう、、

 

それを憂えた天才がいます。

天才は、人類が愚かになれば、突然滅ぶこともあるまい、、

時間を稼ぎ、その間に心のバランスを崩す人間が生まれる原因を突き止める、、と願います。

 

そうして、人類を愚かにする愛の願いが、この世界に現れます。

それを「始まりの愛の祈り」と呼びましょう。

 

始まりの愛の祈り。

人類の頭が良ければ、心のバランスを崩す人たちとケンカになって滅んでしまう、、

だから、人類は自ら愚かになっていく。

 

この祈りを、集合意識に解き放ちます。

 

だから、、

 

現代では、「理性」重視の社会になりました。

心や意識、精神、魂が無視されれば、「理性」だけで頑張らなければならず、人類の発展は一気に遅くなります。

 

森林の恩恵を、今ではほとんどの人が知りません。

動物がいれば、子ども達は寂しくありません。

森林を失くし、動物との付き合い方を忘れたので、子ども達の心は寂しさでいっぱいになり、動物に殺される大人も増えました。

 

 

 

 

森林の知恵を持った民族。

例えば、ケルト民族を滅ぼすのに、キリスト教会は1000年以上努力します。

 

アーサー王物語には、森林の知恵などありません。

アレクサンドリア図書館は、ローマがキリスト教を公認した直後滅ぼされました。

カエサルは、『ガリア戦記』を書き、ケルト民族の指導者を侮辱し、、禁書に指定されることはありませんでした。

 

神に夢中の修道士は、「祈り、働け」と、ケルト民族の大切な森林を意味なく開墾することに必死になります。

ゲルマン民族は、生きるためには森林を切り開く必要があり、ケルト民族への怒りを溜め込み、キリスト教会が主張する「樹木や動物と心通わせる者は、悪魔と交流してる」を受け容れ、魔女狩りを起こします。

 

中世、西ヨーロッパに大学が生まれますが、イギリス・フランスというケルト民族との争いの前線基地に置かれ、イタリアというキリスト教会の本拠地候補にも置かれます。

大学では、神学・法学・医学が専攻されます。

森林の知恵を持つ民族を否定するためには、神学を深く構築する必要があります。

赤の他人の大切にしてる森林を奪い、正当だ、、と主張するには、法で武装するしかありません。

だから、万民法が生まれます。

全ての者はローマ市民である、だから、ケルト民族の大切な土地は、ローマ法の下にある、、

森林の恩恵を享けていたケルトの女性は美しく賢かった。

薬学のもとは、植物です。

だから、キリスト教会は初期、医療行為は祈ったり踊ったりするしかなかった。

なぜなら、植物の恩恵を全否定する必要があったから。

 

 

 

日本では、江戸時代、知恵の教育を担当していたのは、お坊さんでした。

しかし、、明治時代になった途端、仏教を弾圧します。

その程度は、今でも見ることができます。

お地蔵さんや仏像の多くが、顔を潰されています。

ロシア語を学んでいた時に、日本の古いお話としてロシア語で紹介されていた寓話がありました。

今の日本では想像できないほど、知恵を培えるお話であることに驚きました。

(病状が酷かった時に観たので、今ちょっと探しきれません。見つけたら紹介したいです)

 

 

 

悪意だろうか??

いいえ、始まりの祈りに盲従してるだけです。

 

つまり、本気で良いことをしてる、、と信じています。

悪意ではないのです。

 

ただ、、人々が愚かであるように、、そう無意識に選び続ける、、だけです。

 

 

 

愚かになってしまったら??

 

賢さ、頭の良さ、、を取り戻す必要がありますよね。

 

もちろん、心のバランスを崩した人が現れた理由を、自分で考える。

 

原因は、神ではありません。

神に全責任を押し付ける現代日本、、「自然の猛威」という言葉が象徴しています。

 

 

 

 

さて、、

高校の日本史では、仏教弾圧をどう教わってるでしょうか?

 

こんなに日本にとって重大な事件。

あまり詳しく教わっていませんね?

 

それはそうかも知れません。

「歴史」とは、勝者が記録するもので、記録されていないものは「存在しない」「事実ではない」と解釈するもの、、

そう世界史では習います。

 

敗者とは、「知恵」。

だから、「知恵」など存在しなかった、、と「思わせる」ように記録されています。

 

だからほら、、人類が自ら愚かになっていくように選択し続ける、、

この通りになってるでしょう?

 

 

 

患者だから、こう勉強する

 

さて、、

東大合格体験記などを読むと、こう書かれています。

「歴史」は、流れを知れば覚えられる、、と。

 

いったい、その「流れ」って、どこで理解するのでしょうか??

 

「理性」優位の場所です。

心や意識が残っていれば、必ず拒否反応を起こすのです。

だから、大学受験で精神症状が出る10代男女は多い。

 

東大受験生というのは、「理性」優位になりやすいのです。

 

その「流れ」は、イキるおじさんがする自慢話を無理やりくっつけたもの。

だから、それなりに「流れ」はあるのです。

 

けれど、、数万人の「イキるおじさんのドヤ顔」を何の反発もなしに覚えられる、、というのは、、

 

僕は、統合失調症患者です。

だから、病状を酷くしない限り、その「流れ」はいくら覚えてもダメです。

 

だから、前にも言ったように、

病状をある程度酷くしながら、バランスを取って勉強しています。

 

 

 

「理性」重視になったまま、、というのは、バランスを崩す、、ことです。

だから、脳の3%くらいしか現代人は使えていないのです。

 

「理性」重視の知識は、覚えづらい。

なぜなら、心や意識、精神を使えないから。

 

”歴女”が、歴史上の人物を好きになる、、ことは、決して大学受験に有利には働きません。

イキるおじさんの自慢話の何が悪いのか、、って言ったら、他人の功績を無視することです。

西洋医学・西洋科学の素晴らしさを謳うけれど、決して文化の違う者の知恵ある医学を褒め称えないように。

 

だから、、「流れ」が有機的に働かないのです。

だから、無理矢理に覚える以外にないのです。

 

だから、理性優位の場所に馴染みやすい者が、東大受験には有利になります。

 

 

 

方法は、2つ

 

けれど、、

それでは困ります。

 

だから、、記憶術も必要になってきます。

理解すれば、、覚えられる、、というのは、イキるおじさんの記録した「歴史」では無理です。

理解して覚えられるのは、前提として「人間なら当たり前の能力」を持つことです。

「理性」を重視し、心・精神・意識・魂を無視した現代の科学では、無理なのです。

 

方法は、2つ。

記憶術を使うか、デカルト式に馴染むか、、です。

 

僕は、統合失調症患者です。

だから、デカルト式は無理、、

「お父さん、受験に失敗したけど、受験に失敗した時のことには言及してないんだから、車買ってよ」と言うのが、数学的に正しい、、と感じることは決してないからです。

 

だから、、方法は1つ。

記憶術を使います。

 

しかし、、記憶術もある意味、無理矢理な暗記法なので、すぐ忘れてしまうことも、、

そうは言っても、デカルト式に馴染むことは、覚悟の上です。

 

だから、「理性」優位の場所を少しは使います。

 

僕が使う記憶術は、そのうち書きたいと思います。

そのうちの1つは、皆さんもしたことがあるかも知れません。

テキストや資料集への落書きです。

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

愚かになる、、ことが少しは分かってきたので、次回から「頭の良さ」を取り戻す、、の続きです。

東大アドミッションポリシーを解釈し直し、機能的にすれば、世界が一夜にして変わる、、ことが実感できる。

そう言ってきたことを説明できる、、と良いな。