こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年6月下旬。

受験予定は、8ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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今回参考にしてる参考書は、

『THE DUO 英語×論理的思考力』です。

 

 

 

目次

・文法書

・僕は統合失調症患者だから

・英語の評価

・僕の英語の実力

・英語と日本語、どっちが論理的か?

 

 

 

文法書


THE DUO の文法書ですね。

 

他の人からの評価は知りませんが、

デカルト式の思考プロセスが良く分かる良書だと思います。

 

僕のブログを読んでると、

デカルト式思考は良くないもの、、と感じるかもしれません。

 

けれど、「理性」は人間の一部です。

「理性」を重視しバランスを崩すことが良くないのであって、

「理性」そのものは良いものです。

 

「理性」には、分析というちゃんとした仕事があります。

 

 

 

 

僕は統合失調症患者だから

 

僕は、統合失調症患者です。

だから、「理性」重視が苦手です。

 

けれど、大学を受験するので、デカルト式思考&思想を把握しておく必要があります。

実際、THE DUO の内容は、僕がこれまで話してきたデカルト式論理そのものです。

 

だから、買ったばかりの頃は、読んでると突然意識を失ったりしました。

(統合失調症の症状は、身体から心・意識・精神・魂が強制的に離れること。

だから、デカルト式の論理に集中してると、無理やりそこから離されるので、意識を失うことがあるのです)

 

 

 

 

英語の評価

 

英語は、イギリスの言葉です。

つまり、ケルト民族を滅ぼした魔女狩りの強い影響を受けている。

 

心が眠りに就いてるのです。

 

だから、本でも、

デカルトは、人間を mind と body と考えた、、と指摘しています。

それまでは、 soul と body 、、だったそうです。

(デカルトはフランス人ですが、英仏が魔女狩りの悪影響を一番受けています)

 

この場合のソウルは、僕の言う「理性、心、精神、意識、魂」の魂ではありません。

すでに、ソウルはぼんやりとしてしまっていました。

ソウルの扱い方を忘れてしまっている、、ことから、類推できます。

 

デカルトの mind は、その上でより肉体と一体化します。

brain の場所にある、、という発想になっているのが、その証拠です。

つまり、「理性」にしがみついてしまったのですね。

(これまでに説明した通りに)

 

 

 

英語は、その支配下にあります。

そして、その英語は人々に強い影響を与えています。

 

英語は、その論理なのです。

つまり、線的論理。

 

なぜ、線的論理なのか?

それは、ケルト民族を滅ぼすことで、心を感じることができなくなったから。

 

心・精神・意識・魂の論理を捨ててしまえば、

「理性」しか感じられず、どうしても線的論理になるのです。

 

 

 

 

僕の英語の実力

 

統合失調症患者である僕は、俯瞰的視野を強制されるので、その論理の発想を「頭」でしか理解できません。

 

だから、、

中学生向けの人魚姫、、、は、難しく感じ、

ペーパーバック『神との対話3』ニール・D・ウォルシュ著 を読んで、翻訳でぼんやりとしか理解できなかった部分を英文で理解できたりします。

つまり、実力が一定しないのです。

 

その実力の不安定さをどうにかする必要があって、

その1冊として、この本を選びました。

 

ちなみに、本を選ぶ時は、完全に僕の勘で選びます。

他の人の評価は全く参考にしません。

基準が、僕と他の人では明らかに違いますから。

 

 

 

THE DUO の評価は、繰り返し読んでいると、

デカルト式思考のプロセスが理解できるので、かなり重宝しています。

 

僕の望む知識と違いますけど、

最後の方の数学と絡めての説明は、とっても良かった。

 

 

 

 

英語と日本語、どっちが論理的か?

 

英語、、と、言うと思われたかもしれません。

 

英語は、デカルト式の論理なので、「理性」最重視です。

だから、一見論理的に見えます。

 

実際に「理性」の仕事ですから、まぁ、論理的なのですが、、

 

「理性」の範疇を無視してしまってるのが問題なのです。

数学で無限・極限を扱ってしまっている、、と、最近は説明してきました。

 

能力を超えたことをしてるので、論理的でないことも多いのです。

「理性」が迷走してしまってるのですね。

 

 

 

では、、

日本語は大丈夫か?

 

残念ながら、、

けれど、オノマトペが他の言語に比べて比較にならないほど豊富なこと。

また、和歌という伝統があり、「言霊」という言葉があるように、西洋ほど「理性」重視ではないこと。

 

つまり、、

線的論理ではない「論理」があるのです。

 

ただ、問題は、それを意識している人は今はいない、、ということ。

 

学校ではデカルト式の数学を徹底的に学んでしまうし、

心を大切にしてるように見える人たちも、心の扱いを知らないので、ドラマでもアニメでも叫んでばかりになっています。

 

他にも例えば、暗記術では「感情」を使うことが重要ですが、

驚く、、ことなど、かなり刺激的な感情を重視してしまっています。

 

でも、驚く、、では、

統合失調症患者である僕には、全然、、

 

だって、幻聴・幻覚があるんですよ?

その程度で驚くわけないでしょう?

 

驚く、、という感情を主に使ってる時点で、感情を使う技術をかなり忘れてしまってることを示すのです。

 

 

 

心、感情、、を使う「論理」。

本当は、現代でも使われてる言語で、「心も使う論理」を扱える可能性の高い言語なのです。

 

だから、どのような「論理」なのかで、

英語と日本語、どっちが論理的なのかは変わる、、ということです。

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

いつもと違って、今回は夜に書きました、、

おやすみなさい、、