こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年5月中旬。

受験予定は、9ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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目次

・受験会場は男子が多いはず

・中学の校長

・あなたの実力、見せつけてきなさい

・※ 以下、統合失調症患者として

 

 

 

受験会場は男子が多いはず

 

東大の受験生は、男子の割合はそれなりにあると思うのです。

まわりが女子ばかり、、という状況は望むべくもないでしょう。

 

基本的に、勉強においては女子は攻撃性を発揮することはありません。

男子は、まぁ、イキる訓練して(受験勉強して)しまったせいか、、

 

僕は現役の時(10年ちょっと前)、ある国立大学の心理系を受けました。

だから、まわりが女子ばかりで、緊張感はあってもゆったりとした雰囲気で、安心して実力を出せたのです。

 

 

 

 

中学の校長

 

僕は、統合失調症患者です。

中学時代には、発症はしていなくても素質はあったと思うのです。

 

だから、上下関係を理解できない。

つまり、校長先生を「横」に見てしまうのです。

(つまり、人間として。)

 

僕は当時、13歳。

外での活動を終えて、責任者の若い男性の先生と共に、校長先生に報告に行きました。

 

僕は、目の前の大人を対等な人間として見てしまうのです。

校長という立場から、つまり最上位からこちらを見下ろす立場、、を、僕は理解できなかったのです。

 

意識 vs 意識。

校長室を出た後、若い先生は、戸惑って、僕を慰めてくれましたけど。

先生は背中が丸まっていました、、ごめんね、、なんか、巻き込んじゃって。

 

しかし、、

60歳 vs 13歳。

本気で見下してくるかなぁ、、大人げない、、

 

上下関係の虚しい空間を、思い切り味わってしまったせいか、数年後の高校時代から苦しんでしまいました、、

 

けれど、、ま、、

今ならば、僕の勝ちです。

 

何が起こってるか知ってるし、僕は自分に自信を持っていますから。

20代では、自分の力を出さない、、ことが選べず、かなり疎まれたのですが、

(カルテに作り話を書かれたり。

けれど、その半面、半数以上の職員さんには好かれてましたね。)

 

アラサーになった僕は、まぁ、穏やかに仲良く皆さんと暮らしています。

 

 

 

 

あなたの実力、見せつけてきなさい

 

本来、勉強とは、ライバルに己の実力を見せつけるためにあるものではありません。

ですが、今ここにいる多くの他校の生徒は、あなたの力を未だ知りません。

ですから今日は、それを知ってもらう良い機会だと先生は思います。

さ、あなたの実力、見せつけてきなさい。

アニメ『響け!ユーフォニアム』滝先生の言葉より(ちょっと編集)

 

 

 

攻撃性を持った人たちの中にいるのです。

緊張して当たり前です。

 

ケンカするつもりはないのだから、その中で微笑んで、僕の実力を発揮し見せつける必要があります。

 

ならば、僕の思考スピードを相手に合わせるのでなく、

思考スピードを純粋に上げていくのです。

 

思考スピードの周波数を上げていくことで、相手との調和が取りやすくなるはずだし、

相手を下げることなしに(相手を攻撃することなしに)、自分の実力を上げていくことができます。

 

しかも、相手が攻撃の気持ちがあるなら、、つまり、校長先生のような気持ちならば、

僕の影響を受けるかもしれないけれど、それは相手の自由に(よる結果に)なるのです。

 

僕は、自分の生み出す結果は受け容れてる。

だから、健常者の男子が生み出す結果を、彼自身が受容することを信頼してあげよう、、

 

 

 

 

統合失調症患者さん。

時々、申し訳ない気持ちを感じて、躊躇しますよね?

 

それは、相手に影響を与えてしまう怖さかもしれません。

 

健常者は、(デカルトを代表として)心や精神を感じるのを止めてしまい、物質主義(身体主義)になりました。

統合失調症患者は、宇宙の中でバランスを取るために、意識が身体から離れてしまいました。

 

両者は、だから、両極端なのです。

影響を与え合うのは、当たり前なのです。

 

健常者は、昔、統合失調症患者からの影響をコントロールする術を知っていました。

けれど、明治以降、福沢諭吉を代表に、その知恵を捨て去ってしまったのです。

 

だから、患者が、健常者への影響を怖く感じて当たり前なのです。

 

明治以降、上下関係を内面に隠したまま、表だけ平等を謳ったのですから。

痛みは、当たり前になります。

 

平等を謳歌してる(と思ってる)最中に、私は差別主義者だ、、と自覚してしまうのですから。

痛いに決まってるのです。

 

放置すればするほどに、どんどん苦しくなるのです。

統合失調症患者も、健常者も。

 

発達障害を含めた障害が増え、どんどん福祉にかかるお金が必要になる、、

自分たちでやってることとは言え、苦しむ姿は見たくないし、僕も苦しみたくない。

 

だから、僕は、痛みを受け容れるのです。

 

 

 

 

緊張は、だから、当たり前です。

楽になるのでなく、緊張の正体を知って、踏み込みます。

 

僕の受験も、その一環です。

 

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

 

 

※ 以下、統合失調症患者としてしてることを書きます。

 

以前書いたように、

統合失調症は、、心・精神・意識・魂が「身体」から離れてしまうので、

「身体」と共にいる、、意識が大切。

 

病状が悪化することがあります。

だから、症状が悪化した場合の対処法や心の持ち方は、すでに持っています。

 

学校の勉強内容は、デカルト式です。

統合失調症患者として憧れてしまうのは当たり前ですが、

同じ勉強方法では、受からないでしょう。

 

統合失調症患者だから、デカルト式思想を理解できません。

統合失調症患者としての考え方があります。

熟知して自信を持つことです。

そうして初めて、東大合格に五分五分になるでしょう。

 

 

 

心ばかりでなく、「知識」だけで論を展開することを知るべきです。

例えば、人間が皆対等、、ならば、現代の社会や「歴史」はおかしいのです。

この地球上にあるものは、生態系を始めとして、永遠を生きるようにできています。

人間も例外ではありません。

自然界が生きてる時間が、それを証明しています。

ならば、どこかで過ったのです。

その過ちを見つける必要がるのです。

誰かに教わるのでなく。

 

なぜなら、大昔の人類の中に、突然心のバランスを崩した人が現れたからです。

誰かが悪意を持ったなら、話は簡単でした。

その悪意の手法を知れば、警戒できます。

 

しかし、どう考えても、ある時突然に現れたのです。

ならば、自分で考えるしかありません。

大昔、平和に生きてきた人類の中に突然現れた、心のバランスを崩した人。

誰も止めることができなかったのなら、自分以外に止められる人間はいません。

僕の考えが間違っていたとしても、自分で考えられるようになることは良いことです。

 

人間の感情は、強いです。

僕でも、健常者が本気で憎しみをぶつけてきたら、全部避けることは不可能なくらいに。

 

まぁ、避けることはしませんが、、

なぜなら、「人を呪わば、穴二つ」を健常者に経験させる意味がないから。

陰陽師のマンガであるように、呪い、つまり強い憎しみの感情は返すことは可能です。

案外簡単だし。

 

けれどね、そうしたら、彼がもっと苦しんでしまうから。

その憎しみを、僕にぶつけることによって、少しばかりガス抜きになるから、、一時的なものだけど。

だから、マンガの陰陽師は孤高に描かれるのです。

 

だから、僕が焼き切ってあげる。

ここで、統合失調症患者は、こう思う。

彼の心まで焼いてしまわないだろうか、、

 

答えは、いいえです。

確かに、それは彼の心です。

けれど、感情をぶつけてきた時点で、彼のもとを離れ、僕の中に入ってきてしまったのです。

 

だから、その憎しみは、僕の責任で扱っても大丈夫。

だから、放置せず焼き尽くす想像をするのです。

そもそも、これは、統合失調症患者の役割そのものです。

だから、苦しいのですよ、この病気は。

言ったでしょ?

健常者とバランスを取るために存在してるって。

(それ以外のものを焼くと、僕の方も焼けます。

だから、焼けちゃったら、水でもかけるイメージしておいてくださいな。)

 

 

あなたが親なら、子供を奴隷にさせたい、、なんて思う訳ありません。

だけど、「歴史」では、人々が「支配者」を望んだ、、と言います。

 

また、人間の魂の親が「神」ならば、神が人間を奴隷にする訳がないのです。

宇宙空間に、自分だけ王様で、他は奴隷だけって、、信じられない虚無と寂しさ、、なの分かりますか?

 

だったら、子供に力を与えて、皆で楽しく笑顔で、、って思いませんか?

神は、その通りにしたのです。

 

だから、イエスは、神が親で、あなたと私は兄弟だ、、と言ったのです。

にもかかわらず、イエスだけが神の子で、他の人間は奴隷だ、、と。

 

だから、以降の美術やマンガ、音楽などの芸術で描かれる「神」は、精神的に異常をきたして引きこもることが多いでしょう?

もし、神がそんな未熟な心なら、自然界を永遠として創り出すことは不可能です。

 

だから、僕たちは神の娘・息子である、、ことは、理想ではなく厳然たる事実になります。

 

となると、、

宇宙の中で、強い力があります。

宇宙戦艦ヤマトでは、地球を救うために、大自然の森林を破壊して出撃します。

(森が真っ二つに裂けて、地下から出撃するのです)

 

だから、「思考の流れ」に問題があるのが分かるでしょう。

「歴史」は、その「思考の流れ」に問題が起こっている、、として見るのです。

 

デカルトは、心や精神を捨て去りました。

けれど、「論理」とは、心や精神と「理性」のハーモニーです。

 

デカルト式の数学では、心や精神を無視するので、

親が「受験に合格したら、車を買ってあげる」と言われて、

受験に不合格の時は言及していないので、不合格なら買ってもらえない、、と考えるのは正しくない、、と言えるのです。

 

これが、「条件」を無視した論だ、、ということは以前に指摘しました。

もし不合格なら、「不合格の時については言ってないんだから、買ってよ」って言わずに、

「頑張ったけど落ちちゃったよ、応援してくれたのに、、

諦めたくないから、来年もう一度挑戦していいかな」って言えば、

たとえ経済的に苦しくて許してもらえなくても、感動してもらえると思う。

 

 

 

「知識だけで論」を展開する、、というのは、こういうことです。

まわりで、いっぱい否定してくる人がいるでしょう。

けれど、譲ってはいけません。

それは、「人間」を諦めることに他ならないからです。

 

どちらを選んでも、それは「自分の人生を構築する」ことなのです。