こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年5月上旬。

受験予定は、9ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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目次

・漢文

ⅰ) 文章に入り込み過ぎない

ⅱ) 古代中国のデカルト思考とは

・現代文

ⅰ) 現代文では、僕の意見は要らない

ⅱ) 読解力って?

ⅲ) 東大受けるくらい偏差値高い人の思考スピード

 

 

 

国語は、現代文、古文、漢文があります。

 

漢文

 

漢文は、今まで音読中心でしていました。

 

句法は、意識していませんでした。

現役の時に勉強していたから、ある程度知ってはいるから。

 

音読中心だったのは、口慣らしです。

 

 

 

ⅰ) 文章に入り込み過ぎない

 

僕の場合、

注意すべき点は、文章に入り込み過ぎないこと。

分かる人も多いと思うのですけど、「いや、普通、そう考えないでしょう?」って言いたくなることが多いのです、、漢文では。

 

僕は、統合失調症患者です。

だから、入り込み過ぎて、「登場人物の考え方」が分からないと確実に迷走します。

その確率は、健常者の比ではありません。

(ほぼ100%だから)

 

もちろん、「登場人物の考え方」がすっきり分かった場合、

日本語以上に理解できる、、というメリットもあるにはあるのですが、、その可能性はやっぱり少ない。

 

だから、、

単純に句法だけ覚えても、太刀打ちできないかもしれない。

 

大切なのは、

①僕の軸がブレないこと、、

②古代中国の考え方を観察できるようにすること、、

 

①は分かると思います。

問題は、②ですよね。

 

 

 

ⅱ) 古代中国のデカルト思考とは

 

古代中国では、「学問」が興隆します。

いわゆる諸子百家です。

おそらくですが、それ以前の文章って出題されないと思うのです。

 

つまり、いわゆる「学問」の影響を強く受けている、、ことに注意する必要があります。

 

 

 

どういうことか?

 

まず、どのような「学問」だったでしょうか?

 

いずれも、出世がポイントです。

だから、「俺様(の主張すること)が一番だ」、、という思いがありますね。

だから、「俺様の話が一番だ」と言いたいがために、論を組み立てます。

 

だから、かなり大袈裟な表現が用いられます。

老荘はもちろん、孔子も、他の者も同じです。

当時の文章を読む暇がない、、という方は、例えば漢検の参考書で四字熟語を見てみてください。

分かると思います。

 

 

 

漢文では、実はたいしたことを言っていない、、、ことに注意が必要です。

表現が大袈裟なので、内容との差で焦点がズレてしまいやすい、、

 

大義名分や大袈裟過ぎる表現を好んで用いれば、

実力は下がります、、少しずつ少しずつ。

 

これが、一つの真理、一つの秘伝を伝える、、ことのデメリットです。

 

本当は、、

一つの技術を伝えるのでなく、、

後世の者が「人間として」実力を発揮できるように、、創造しておくのが大事なのです。

 

けれど、、

「俺様の実力、俺様の栄光を後世に残そう」なんて考えたら、

一つの技術や情報しか伝えられません。

 

 

 

しかも、、分かっていないことに、

例えば礼節を選んだのは、あなたの好みに過ぎない。

 

諸子百家の言ってることは、どれも正しい。

礼儀が大切、心はおおらかに自由奔放に生きるのが大切、博愛が大切、ルールが大切、、

全部、当たり前に正しいのです。

その中の一つを選んだ基準は、単なる個人の好みに過ぎないのです、、

 

けれど、、

その中の一つを弟子や王に選ばせようとした、、

後世の者の自由にさせるのでなく、、

 

自己顕示欲のために、、

 

だから、、

中国、日本、他のアジア諸国では、生きるのが下手になる、、という傾向が生まれます。

礼儀だけで生きる人はいないし、ルールだけで生きる人も、自由奔放なだけで生きる人も、、いないのです。

 

 

 

漢文では、

こういう流れを生み出す言葉遣いがなされます。

これを前提に、眺め、見つめるのです。

 

これが、漢文の勉強の(僕の)姿勢になります。

 

 

 

 

現代文

 

ⅰ) 現代文では、僕の意見は要らない

 

現代文でよく言われることですが、、

解答者(つまり、僕)の意見は必要ない。

 

その通りです。

 

問題文のもとの作者Aさんがいます。

Aさんの文章を、出題者Zさんが切り抜き、僕のところに持って来ます。

 

そして、聞くわけです。

「この文章の意味が分からないのだけど、教えてもらえる?」

 

もちろん、僕の意見など必要ありません。

必要なのは、Zさんが理解できるように、Aさんの言ってることをまとめてあげる、、ことです。

ただし、、Zさんが切り抜いた範囲の文章で判断して。

 

Zさんが聞きたいのは、Aさんが(この切り抜きだけで判断して)何を言おうとしてるのか。

だから、教える立場にあるのは、僕なのです。

 

決して、僕から教えを請うてはいけないのです。

なんとなく、ほら、分かるでしょ?笑、、は、通用しません。

 

 

 

問題は、この姿勢なのです。

だから、、東大や京大の人は、思考のスピードが遅いのです。

(後で詳しく説明します)

 

びっくりしましたか?

 

京大や東大に入るには、ある程度国語力がなければなりません。

理系も、国語の記述試験がありますから。

 

では、、

読解力って何だと思いますか?

人の話を理解できる力だと思うでしょうか?


、、まさか。

 

分かりやすく言うと、トリセツ(取扱説明書)を正確に理解する力です。

決して、人の話を理解する力ではありません。

 

 

 

ⅱ) 読解力って?

 

よく考えてください。

Aさんが言ったことを、僕が理解する、、のではないのです。

Zさんが選んで切り取ったAさんの文章を、Zさんに理解できるように、僕が解説するのです。

 

決して、Aさんの話を理解しようとすることではありません。

だからこそ、Aさんが「そんなことは言っていない」という解答が正解になることがあるのです。

 

 

 

Aさんが何を言ってるのか理解するのは、別に良いです。

けれど、Aさんが何を言いたいのかを、Zさんに伝えてはいけません。

 

微妙な解釈が必要になっています。

切り抜いたのは、出題者Zさんなんです。

 

YouTubeの動画でも、一部だけ切り取ってしまったら、発言者の意図を曲解、、することもありますよね。

だから、現代文の解答では、Aさんが何を言ってるのか、、は、分からなくて良いのです。

 

 

 

何を言ってるのか、分からなくて良いのです。

取扱説明書は、思いや意図を考えてはいけないのです。

 

 

 

ⅲ) 東大受けるくらい偏差値高い人の思考スピード

 

さて、、

東大の国語の問題は、良い問題だと思います。

しかも、京大や他の旧帝大の問題より、僕の性に合っている。

だから、好きなのです。

 

 

 

受験国語・受験英語を勉強してる、、と考えます。

どう勉強するでしょうか?

 

問題文は、ずっと停止しています。

分からない時は、何度も読み返すことも可能です。

 

しかも、文章は変わらないので、話が予想外の方に発展することもありません。

 

そういう文章に、ずっと向き合うのです。

東大や京大を受験する人は。

 

 

 

ここで、普通のおしゃべり、普通の会話を思い出しましょう。

 

相手の言葉は、決して止まってはいません。

予想外の方に飛んだり、落ち着くことはありません。

 

しかも、会話です。

自分の言葉も、相手の次の言葉に影響するのです。

 

 

 

もう一度言います。

問題文は、ずっと停止したままです。

こちらの思いに反応することは、決してありません。

 

だから、国語の勉強で、無心に読む、、と指導する先生もいるのです。

 

では、、

頭を使うのは、どっちでしょうか?

 

 

 

 

普通のおしゃべりは、遺伝子のように二重螺旋を描きます。

だから、楽しいのです。

 

2人のおしゃべりは、どこに行くか分からなくても、信頼が二重螺旋の方向を決めるのです。

 

対して、、

国語では、停止してるのです。

 

問題なのは、この停止という意識状態を長く続けた場合、どうなるか?

 

僕は、統合失調症患者です。

だから、精神科のお医者さんと向かい合って話します。

 

先生が国語を解く意識状態ならば、、

話はずっと停止したままです。

 

だから、患者は、ずっと悩みを話すしかありません。

二重螺旋のように、望む方向に進むことはできません。

 

実際、だから、患者の側では毎回「どんな悩みを話すか」メモすることはよくあります。

 

 

 

では、、

患者の悩みを聞いて、アドバイスを与える、、場合、どうなるか?

 

二重螺旋になるでしょうか?

 

なりません。

なぜなら、常に役割が固定されてるからです。

 

会話のキャッチボールです。

ボールが手もとにない時は、何も考えてません。

 

やはり、思考は停止しています。

 

現代の討論も同じです。

だからこそ、相手を論破することに重点が置かれてしまうのです。

 

 

 

こういう理由で、

常に頭を使ってる成績の悪い生徒の方が、思考スピードは速いのです。

『葬送のフリーレン』のメガネ君のように、だから、ユーベルみたいな女の子に振り回されるのは良いことです。

(思考が活性化されるから)

 

(ちなみに、僕の奥さんも、僕を振り回します。

しかも、賢いので、僕がやりこめられることも多いです。)

 

 

 

国語は、こういうものだ、、と知って、勉強するのが大切です。

なぜなら、僕は統合失調症患者だから。

 

常に、東大・京大を受験し合格する生徒の思考を感じるのだから。

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

普通の勉強方法については、次の機会に譲りたいと思います。