こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年4月下

受験予定は、10ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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目次

・人生で大切な「条件」

・恋愛での「意識」の持ち方

・現代では、成功法則では成功は難しい

・健常者が地獄を創り出すなら、それに付き合う

・「それは、あなたの主観ですよね?」と言われたい

・自分の主観・感想を確立する

 

 

 

人生で大切な「条件」

 

僕は、統合失調症患者です。

統合失調症とは、身体から「心・精神・意思・魂」が強制的に離れてしまう病気です。

健常者の正反対、対極にあります。

 

健常者は、デカルト以前からですけど、

「理性」を重視してきました。

 

それは、心や意識、精神を置き去りにすることだったのです。

別に「理性」重視でも、本来なら構わないのです。

分析にとっては大切なものですから。

 

ただ、問題は「条件」を意識できなかった、、ということ。

数学では「条件」が大切です。

当たり前ですけど、人生においても「条件」は大事なのです。

 

しかも!!!

恋愛でも「条件」を考えるのは、思ってるより重要なのです。

 

 

 

 

恋愛での「意識」の持ち方

 

今、あなたに恋人がいない、、と考えてください。

(性別の条件は、なし)

そして、あなたは恋人を求めている、、と。

 

ここで質問します。

 

あなたの恋人は、いますか?

 

ここで「いない」と答えた人は、「条件」を軽んじています。

 

おそらく、数学が得意な人でも「いない」と答える人は、多いと思います。

どうしてでしょうか?

 

現実を見てるから?

いいえ、僕から見たら、現実が見えていないだけなのです。

 

デカルト式、つまり、「理性」重視の論理では、もちろん、多くの人が「いない」と答えるはずです。

(一部の人は「いる」と答ると思いますけど。けれど、それでも「条件」を考慮できていないと思います。デカルト式なら、必ずそうなるからです。)

 

これは、前置きなので、さっと説明してしまいましょう。

 

今、恋人はいません。

そして、恋人を求めている場合、人間は必ず恋人ができます。

(デカルト思想の影響下にある現代では、その限りではないけど。)

 

単純に、この地球上のどこかに恋人になる人は、いるのです。

未だ生まれていなくて年の差になる場合もありますけど、これも「いる」と答えなければなりません。(話が逸れるので、説明は省略)

 

だから、恋人は「いる」と答えることになるのです。

 

大学受験でも、そうです。

例えば、灘や開成、桜蔭のような進学校に通う生徒たちの意識を考えれば分かります。

 

彼、彼女たちの気持ちは、「受かってない」ではありません。

不安になる時もあるでしょうけど、「受かってる」のです。

 

先輩たちの実績を見れば、当たり前に感じるのです。

東大に受かる「前」に、受かってる気分になることは。

 

数学的に正しいのは、現時点では「受かってない」のはずです。

完全に「条件」を無視してますよね?

 

 

 

 

現代では、成功法則では成功が難しい

 

そうですね。

量子物理学でしたか、相対論でしたか、時間というのは幻想なのでしょう?

 

ならば、「受かってる」と事前に感じることは、数学的に正しい、、のかも知れませんね。

(詳しくは、僕も知りません)

ならば、恋人が「いる」ことも、数学的に正しいのかも知れません。

 

これを、一般的には成功法則というのかも知れませんね。

 

 

 

だから、現代ではこんなに成功するのが難しいのです。

 

 

 

本当は、「理性」重視のデカルト式論理は、分析だけに活躍してほしかった。

その論理は、心や意識、精神を置き去りにしたから。

 

人間の人生において、

心や意識の働きは、欠かすことができないほど重要です。

 

ビジネスでも受験でも、「頭」だけで成功できますか?

できはしません。

 

ビジネスなど、自分の心を鼓舞したり、相手の心をつかんだり、、と、必ず「心」を扱うはずです。

受験でも、モチベーションの重要性を否定する人はいないと思います。

受かろうとしなくても受かるよ?、、と言う人も、「受かる」という意識がポイントであることは否定できません。

 

 

 

本当は、心や意識、精神や魂のことを置き去りにしてしまってはいけないのです。

ニュートンは素晴らしい、、と考えていても、ミサイルのボタンを押すのは、決してニュートン力学であってはなりません、、

(分かりますか?)

 

「理性」がニュートン力学と相対論ばかりに注力していたので、

原爆を落としてから初めて、学者たちはショックを受けるのです。

 

「理性」だけなら、原爆を作り、原爆を落とすのは、数字だけの話なのです。

心は置き去りになっているので、必ず「事後に」ショックを受けるのです。

 

「理性」をコントロールするのは、心と意識の役割、、

だから、デカルト思想を軸にすると、「理性(人類)」は迷走する、、と言ってきました。

その意味が分かったでしょうか?

 

 

 

 

健常者が地獄を創り出すなら、それに付き合う

 

さて、、、

高校で学ぶものは、全てデカルト思想の検閲がかかってます。

だから、僕の言う「愛から見る世界史」では大学は受かりません。

 

だから、、

受験勉強でも、相対化が必要なのです。

僕は統合失調症患者ですから。

 

そして、以前から言ってきたように、

健常者が地獄を創り出すなら、それにつきあう、、と。

 

その一つが、相対化の作業になります。

 

 

 

 

これが、前提になります。

(前置き、ながっ、、)

 

 

「それは、あなたの主観ですよね?」と言われたい

 

満足いく毎日のために。

勉強の姿勢とは、、

 

絶対、、ではなく、相対化をイメージしてください。

あなたがいて、他の人が(斜め上下でなく)真横にいますね。(距離感は自由)

 

その相手が意見を持っています。

けれど、あなたはその意見に同意できません。

 

あなたは、彼(としましょう)の意見を否定しますか?

それは、相対化とは言えません。

 

自分の意見が確立されてないからです。

 

そう。

ひろゆき氏に

「それは、あなたの主観・感想ですよね?」と言われるようでなければならないのです。

 

 

 

 

自分の主観・感想を確立する

 

しかも!!!

相対化だから、相手の意見に負けないように。

受験では、デカルト式の世界観に負けないように。

 

けれど!!!!!

忘れてはなりません。

絶対化であってはならないのです。

 

絶対化ならば、僕はデカルト思想の「歴史の重み」に負けるでしょう。

それに、「健常者が地獄を創り出すなら、付き合う」ことに反します。

 

だから、必ず「相対化」である必要があるのです。

その結果、、大学受験を五分五分で勝負できる可能性が生まれます。

(それでも、デカルト式は強い。数千年の歴史があるから。僕の武器は「(支配者でなく)人間の視点」。けれど、時々ホワイトアウトしてしまう。だから、五分五分。)

 

※絶対的・・排他的という意味でもあります。他の意見を完全に排除してあることです。

 

けれど、、

 

きつい、、のは、当たり前です。

数学も英語も、歴史も理科も、もちろん国語も、、

デカルト思想の下にあるから。

 

泣き出しそうになったり、吐きそうになったり、、

 

まだまだ、「それはあなたの主観ですよね?」と言われるほどではないのです。

自分の中に「支配者が描く歴史」ではなく、

その歴史を使い「愛から見る世界史」を強く描くのです。

 

そう。

イキるおじさんが、「俺様の功績でお前らが食っていけるんだ」と言ったって良いのです。

こちらは、家庭で奥さんに尻に敷かれる親父(可愛いですよね)、、をしっかり想像すれば良いだけなのですから。

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

 

タイトルの意味、分かりましたか?

「支配者が描く歴史」で使われる道具を使い、「愛から見る世界史」を創り上げるのです。

 

デカルト思想が生み出した「歴史の解釈」を見捨てず(文句は言うけど)、それを「愛から見る世界史」に組み込むのです。

つまり、「理性」だけでなく、心・精神・意識・魂を統合した「人間」の歴史を描き出すのです。

 

健常者が地獄を創り出すなら、僕は付き合う、、ことと、「相対化」を両立させます。

それが、満足のいく勉強の姿勢になります。