こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年3月下旬。

受験予定は、11ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

14世紀前後というタイトルですが、

幅は、前3~16世紀に亘(わた)ります。

 

 

『荒巻の新世界史の見取り図 (中)』(東進ブックス)が基本書になります。

ページ数は、断りがない限り、この参考書のページ数です。

 

また、現代の考え方に対し、

かなり否定的な見方をしてるように思えるかも知れません。

それは、P6にあるように「立場」の違いに過ぎません。

 

歴史と現代に責任あるのは、現代に生きる僕たち全員です。

そこに例外はありません。

もちろん、僕を含めて。

 

「支配者が描く歴史」とは、奴隷を許容する歴史、つまり、奴隷を認める「立場」です。

上巻で、人類にとって王がいるのが自然、、とありました。

けれど、「愛から見る世界史」では、不自然なのです。

 

その「立場」の違い。

奴隷を認めることのない「立場」。

 

これが、僕が現代に対し否定的に見えてしまう理由になります。

しかし、何度でも言いますが、現代と歴史に対し責任を逃れられる人は、いないのです。

 

 

目次

・現代の「受験勉強」にはバイブルが存在する

・有史以来の「歴史」の大前提

ⅰ) 人類を導く気持ちとは

ⅱ) 人間でなく「支配者」が歴史の主人公になる理由

ⅲ) アレキサンドロス大王

ⅳ) 魔女狩りした後の気持ち

ⅴ) 中世以後のヨーロッパを支える気持ち

 

 

 

現代の「受験勉強」にはバイブルが存在する

 

P7

現代(つまり有史以来)の受験勉強において、

それを見つけた者勝ちの参考書は、存在しないように仰っています、、

 

けれど、「支配者が描く歴史」では、そういうバイブルは存在します。

なぜなら、支配者という個人が描いたものに過ぎないから。

 

だからこそ、P7の後半~P8で、

20歳を超えたばかりの”ひよっ子”、

オリジナリティとは、徹底してまねること、

「この1冊を読めば大学受験はオッケ~!」みたいな”おバカさん”、

と言えるのです。

 

学者や支配者が描いた「歴史」をまねしていたら、決してオリジナリティは生まれません。

なぜなら、「支配者が描く歴史」そのものが、オリジナリティを排除するからです。

 

当然でしょう?

どこの支配者が、自分をかっこ悪く言っても良いよ、、と考えるのですか?

どこの学者が、自分の論理を否定されることを前提に論文を提出できるのですか?

自分なりに欠点を排除して提出するに決まってるじゃないですか?

(だから、「愛から見る世界史」では、自分で考えなさい、、と突き放すのです。

それは「立場」の違いを明らかにすることだし、

歴史を語ることは、他ならぬ自分の人生を構築することだから)

 

 

 

相手が若くて、「ひよっ子」「おバカさん」と言うためには、すでにオリジナルがあって、それを「真似」する必要がある、、ことが必須になります。

 

その証拠に、そのオリジナルとは「奴隷を認める」ものです。

若い人ほど、奴隷を嫌がります。

上巻では、高級な服を着る若い日本人女性を、便利な身分制を知らない、、という論理で非難していますが、やはり、好きなように服を選ぶのは、まだ若い人なのでしょうか。

 

いや、年齢的に若いかどうかは問題ではなく、

奴隷を嫌がる心があるかどうか、、奴隷を少しでも認める文脈に敏感に反応できるかどうか、、

それが、「若さ」なのでしょう。

実際、僕はアラサーの中年です。

 

 

 

さて、、

それならば、学者さんから見たら、僕が「ひよっ子」「おバカさん」と言われるのは仕方ありません。

そのくらい「支配者が描く歴史」と「愛から見る世界史」は違うのですから。

 

 

(注)

現代(つまり有史以来)、、と書きました。

その理由は分かるでしょうか?

 

有史以来とは、「支配者が描く歴史」が記録された期間、、という意味です。

 

 

 

 

有史以来の「歴史」の大前提

 

ⅰ) 人類を導く気持ちとは

 

これまでも書いてきたように、

今の人類は、自ら愚かになっていく、、という集合意識を持っています。

 

それを、始まりの愛の祈り、、と、僕は呼びます。

 

賢い人類では、滅びを避けられなくなる。

平和で賢い人類に、なぜか突然生まれる心のバランスを崩した人たち。

愚かになってしまった人々が、賢い人々にしがみつく、、

 

その対立が、何度も人類を破滅へと押しやってきた。

その破滅を先送りにするために、愛の祈りを集合意識に解き放った人間がいる。

 

心のバランスを崩す人間が現れる理由を見つけるまでは、人類は自ら愚かになっていく、、という愛の祈り。

 

だからほら、

学ぶ「歴史」では、僕たちが間違った選択をしている、、ことを考えさせないようになってるでしょう?

必ず、昔の人々は間違った、、という過去形で学びます。

 

間違ったのは、過去の奴らであって、

俺たちは、間違わないように「歴史」を学ぶのだ、、という論理で。

 

 

 

僕たちが受験で覚える「歴史」の大前提、、

それは、必ず自ら愚かになっていく、、という視点が必要になる、、ことです。

 

支配者や学者さんは、自分の非を認めません。

アショーカ王は、兄弟や人民を殺しまくったせいで仏教に目覚め、仏典結集を命じます。

仏教を保護しただけで、心は癒されませんよ?、、人間ならば。

けれど、彼は「支配者」として描かれてるのです。

 

→→アショーカ王「世界史の窓」 (y-history.net)

 

 

 

ⅱ) 人間でなく「支配者」が歴史の主人公になる理由

 

上巻では、王がいないのが珍しく、人類には王が存在するのが自然、、である、と。

けれど、人口の推移から分かると思うのですが、大昔、王は存在できなかった。

 

王がいた方が自然。

なぜ、そう感じるのか?

 

それは、まるで「人間の本性」のように感じるから。

つまり、集合意識に「人類は自ら愚かになる」という祈りが存在するから。

 

王がいた方が、自ら愚かになっていける、、のです。

 

当然でしょう?

誰が、そのグループの意思決定をするのですか?

 

だから、古代ローマを学んだ時、

権力を集中させておくと、決断が素早く危機に対応しやすい、、と。

 

そうですね。

あくまで、人々が「愚か」である、、ならば。

 

賢い人々が、権力者を決めておかなければ危機に対応できない、、なんて、あり得ると思いますか?

それはすでに、賢い、、とは言えません。

 

だから、、

危機の時は、権力者がいた方がいいよ~?、、と言う時に、前提になるのは、

あまりに人口が大きい時か(現代のように)、

すでにその集団が愚かになっていたか(現代のように)、

人間を最初から見下してるか(現代のように)、

賢い人を侮辱する目的があるか(支配者が描く歴史のように)、、

でしょう。

 

 

 

愛の始まりの祈り。

滅びを遅らせるために、人類は自ら愚かになっていく、、目的があります。

 

そのためには、

権力を集中させれば良い。

 

王がいれば、その王の判断を誤らせることができれば、

その集団は道を間違う、、のですから。

 

だから、現代のように議会がある?

王が暴走するのを防ぐため?

 

アメリカでは、麻薬が蔓延しています。

それは、〇〇党のせいだ、、という意見があります。

(厳しくしないから、という理由だそうです)

 

また、湾岸戦争の時の、アメリカ議会でのナイラの証言は有名ですね。

(広告会社のシナリオ通りに少女が嘘の証言して、アメリカは戦争を決めた)

 

 

 

ⅲ) アレキサンドロス大王

→→アレクサンドロス/その東方遠征「世界史の窓」 (y-history.net)

 

上巻であったように、

彼は、ケルト人の長と面談している。

つまり、西の民族と。

 

しかし、彼は、西を無視して遠征している。

 

いったい、どうして?

もし、ケルト民族が平和を愛する、、と信じることができたら。

 

だから、彼は西を無視できた。

 

アレクサンドロスは、アリストテレスの教えを受けるほどに賢い。

ならば、ケルト民族を避けたのも分かる。

 

実際、カエサルは、ケルト民族に対し『ガリア戦記』で侮辱戦略を取っている。

(以前に説明済み)

カエサルは、ある程度は侵略できたのだろう。

しかし、ほんの一部だった、、

以降のローマの振る舞いを見れば分かる。

 

 

 

ⅳ) 魔女狩りした後の気持ち

 

1000年以上の時をかけて、ケルト文化を徹底的に滅ぼした。

その執念は、嫉妬深いカエサルの流れだったのだろう。(以前に説明済み)

100年ちょっとしかかかっていないポエニ戦争とでは、比較にならないほどに苦労したのだと分かる。

 

ケルト民族を徹底的に滅ぼし尽くす、その最後から2番目のものは、魔女狩り。

(最後のものは、大学の設置。以前に説明済み)

 

魔女狩りも、イギリスのエリザベス女王の時代に出された魔女狩り令では、ただ迷信に基づいたものでしかなかったけれど、

ゲルマン人の大移動の後から、大学の設置辺りまでの魔女狩りは、ちゃんと目的があった。(以前に説明済み)

もちろん、トリガーは感情の爆発ではあるけれど。

 

優秀な人々10人 vs 自分で判断できない愚かな人々100人

では、100人が勝つかもしれない。

けれど、かなり苦労するはず。

ケルト民族 vs ローマ軍

 

ケルト民族の土地を奪うことを正当化することは、

ケルト文化を根絶やしにする上で大切な戦略だった。(以前に説明済み)

 

 

そして、、

他の戦略を考え合わせると、、どういうことが起きるのか?

 

イライラしてしまうのです。

イライラで、権力者に対抗しようとします。

 

フランス人がケルト文化を継承した訳ではないけれど、

フランス国の振る舞いを見れば、納得するでしょう。

 

まず、今回のテーマ(ヨーロッパ中世後半)でも取り扱う、

ハプスブルク家とフランスの不仲。

イギリスとの不仲。

ナチスドイツとの対決。

戦後、アメリカを無視した独自の路線。

 

 

 

ⅴ) 中世以後のヨーロッパを支える気持ち

 

この「イライラ」。

集合意識に入っています。

 

また、魔女狩りするためには、「異常な興奮」が必要です。

薬草に詳しいだけの地元の女性を、火あぶりにするなど、まともな精神では不可能です。

(その「異常な興奮」の理由は説明済み)

 

人間は、異常な興奮で魔女狩りなどしてしまったら、

魂が抜けたようになってしまいます。

 

この、魂が抜けて、精神が呆然としてる、、ことも前提になります。

 

魂が抜けて、呆然とし、時に「異常な興奮」を思い出し、ずっと「イライラ」を感じてる。

これが、以後のヨーロッパの集合意識になります。

現在では、ヨーロッパ文化を受け容れた日本や各国も、同じ集合意識を共にしています。

 

 

派生的な事件ですが、

異常な興奮状態で、イライラと呆然としていたら、

ペストが流行する(14世紀半ば)ための下地ができてしまいます。

これは、面倒なので説明しないけど、分かりますか?

 

 

ここまでが、ヨーロッパ中世を学ぶ時の前提になります。

次回から、本題に入っていきます。

 

以下は、僕のための備忘録です

教会大分裂/大シスマ (y-history.net)

ローマ共和政 (y-history.net)

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。