こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年3月中旬。

受験予定は、11ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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今回は、前回の補足になります。

 

↓↓前回

 

恋愛の本能を満たして、受験に強くなる

 

前回、

恋愛の本能を満たす条件を、いくつも書きました。

一つ大切なことが抜けていたので、今回、加えておきます。

 

目次

・愛する女性と一緒にいて、労働は?

・利己的遺伝子と利他的固体、学問の弊害

 

 

 

愛する女性と一緒にいて、労働は?

 

受験に強くなるために、賢くなる。

そのために、恋愛の本能を満たす。

 

数ヶ月ほど、彼女と2人きりになるので、

その間、どうやって食料を得るのでしょう?

 

前回、食料や水、健康でいるための諸々(もろもろ)を用意しておく必要がある、、と書きました。

でも、どうやって??

 

今回は、そのお話です。

 

 

 

「奇跡のリンゴ」の木村秋則さん。

彼の著書で、大根は太陽の動きに合わせ回転している、、と。

だから、引っこ抜く時は、ネジの要領でその反対側に回しながら抜く、、と。

 

また、日本には古来より枯山水、、という美しい庭園があります。

人間には、自然界の調和を小さくして表現したい、、という欲求があるようです。

 

自然界の調和。

生態系、、または、大自然の美しさ、、

決して、金銭欲のために杉を植えまくって、花粉症を引き起こす要因の一つを作り、安い外国産の木材に負けて放置されてしまった、、そんな自然では美しさなど望むべくもありません。

 

進化論の利己的遺伝子という考え方から、

ある植物は、自己の遺伝子を生き延びさせるために、まるで利他的と思えるような、つまり他者との協力関係を築く、、ことは分かります。

 

ならば、生態系とは、それを前提に把握しなければならない、、ことは明白です。

 

けれど、、

現代の学問では、そんなことは無視されます。

コンパニオンプランツのような単発の理解ではなく、、全体として永遠を構築することのできる利己性を知っておく必要があります。

 

その理解を前提にして、、

庭を創るのです。

 

 

 

そうすれば、永遠を奏でる小さな小さな庭が現れるでしょう。

自然界では、決して肥料も農薬も必要ありません。

もし野菜が弱かったら、この地球は死の星になっています。

 

だから、自然界ではワガママ、、は、決して許されません。

利己的な振る舞いが有り得ない、、理由が、ここにあります。

ある個体が暴走したら、淘汰されます。

自然淘汰の本質が、ここにあります。

 

そして、人間は、本来自然界の生態系を把握するほどの能力を持っていました。

(現代では、脳の3%くらいしか使えていないのでしょう?)

だから、人間には自由があるのです。

 

アカデミックな学問の「支配者が描く歴史」では決して認めていない、僕たちはマイナスを選んでいる、、という自由。

だから、逆も真実です。

 

人間がいれば、地球はもっと美しくなる。

もちろん、現代を見れば信じられないでしょうけれど、、

 

生態系を、庭に現出させる。

こうしておけば、わざわざ農作業で苦労しなくて済みます。

生態系を庭に凝縮させているからです。

 

彼女も疲れなくて済んで、しかも、自分の好きな花を見て過ごせるでしょう?

 

さて、、

子どもがいたら、秘密基地が必要ですよね。

男の子も女の子も、自分だけの秘密の場所は必要です。

心を落ち着けるために。

 

では、どのくらい家屋と離れていれば良いでしょうか?

子どもが寂しくならない距離、親が心配になり過ぎない距離、、

それは、だいたい100✕100メートルくらい。

 

その空間に、労働で苦労しないために、

生態系を現出させるのです。

 

しかも、前回出した条件を満たした上で。

 

これで、受験世界史・日本史のデカルト式「奴隷がいるのが当然」という世界観から離れることができます。

 

 

 

利己的遺伝子と利他的固体、学問の弊害

 

進化論には詳しくないので、用語の間違いがあったら済みません、、

ただ、学者さんや頭の良い人は進化論を全く信じていないのは分かります。

 

学者さんが信じてるのは、徹頭徹尾、ユダヤ教的思想です。

つまり、神様がこの世を人間のために与えたのだから、全部あなたの物。

 

進化論が否定してる、、と言われるのは、「キリスト教の世界観」と言われるように、不思議とユダヤ教の否定、、とは言わない。

 

しかも、ロジャー・ベーコンからの伝統で

「実験と観察」が重要視されます。

つまり、「観察」は重要視されない。

必ず、「実験」がセットになってしまいました。

→→ロジャー=ベーコン「世界史の窓」 (y-history.net)

→→『大著作』R.ベーコン著 工学の曙文庫 世界を変えた書物 金沢工業大学ライブラリーセンター

 

進化論(の一説?)の利己的遺伝子では、

たとえ、一見利他的な振る舞いに見えようとも、遺伝子を後世につなげるための行為に過ぎない、、のでしょう?

 

それならば、実験の前に「観察」が徹底的に為されなければならないはず。

疑問に思ったら、まずは「観察」です。

それなのに、まずは「実験」するでしょう?

 

だから、必然的に学問というのは、行き当たりばったりになってしまいます。

「愛から見る世界史」から眺めると。

 

「支配者が描く歴史」では、自分は支配者で、まわりのモノは被支配者です。

だから、当然、自然界は被支配者、、という潜在意識が生まれます。

 

もし、、

植物が自身を生き延びさせる、、そのために、例えば味とか見かけを決定してきたならば、、

そして、その集大成が生態系と呼ばれるもので、これまで永遠に近い時間を生き延びてきた、、ならば、

 

それを知らなければ、自然のことなど理解できないでしょう?

例えば、ある果物はどうしてその味なのですか?、、という質問には、

成分の分析をする学者本人が、その果樹のまわりにいる植物や動物たちのことを熟知していなければなりません。

 

そうでなければ、その研究は迷走してる、、と言われても仕方ないものになります。

、、そうですよね?

 

学者さんがそういう「観察眼」を持っているか?、、と言ったら、自信をもってYes!って答えることはできないでしょう。

「実験」を重要視した弊害でしょうか。

「実験」を意識した瞬間、目の前の事象から意識は離れ、目の前の現実を認識することは不可能になりますから。

 

恋人や奥さんとお話していて、

女性の話を聞いてる途中で、喜んでアドバイスを与えようとしてしまう、、(←僕も)

また、女性の方もまるでアドバイスを求めてるような、、話の仕方をする、、

 

目の前の現実を認識するより前に、「実験」つまり、自分の望んだような知識が欲しい、、という「意識の流れ」。

「実験と観察」という実験重視の弊害が、こんなところにも出ていますね。

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。

受験世界史を学ぶことは、自分の人生を構築すること。

受験科学(数学を含む)を学ぶことは、愛する人といる時に役に立ちます。

(受験国語・英語も同様ですが、その話題はまた今度)

 

学問自体が現代では迷走しているので、人生も恋愛関係も迷走している、、というだけの話です。

僕はこれまでも言ってきたように、デカルト式思想を否定しません。

ただ、「立場」の違いに過ぎないからです。

 

世界史で語ったように、奴隷を許容するか否か、という立場の違いです。

僕の「立場」は、奴隷を決して認めるつもりのない立場になるので、思いきり現代or人類を否定してるように見えると思いますが、あくまで「立場」の違いを明確にしてるだけになります。