こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年3月中旬。

受験予定は、11ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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目次

・ソ連消滅の流れ(一般的な説明)

・「愛から見る世界史」から見る、ソ連消滅の流れ

ⅰ) 共産主義という思想

ⅱ) 資本主義という思想

ⅲ) 共産主義は、資本主義の一形態

ⅳ) 信頼してない、、という問題

ⅴ) 資本主義と人間性の乖離(かいり)は必然

ⅵ) 現在の資本主義の姿

ⅶ) 統合失調症患者から見る世界

・患者にとって症状との戦いとは

 

 

 

 

ソ連消滅の流れ(一般的な説明)

 

『大学入試ストーリーでわかる 世界史探求[近代・現代]』鵜飼恵太著

P419前後

東欧自由化とソ連崩壊のプロセスが、丁寧に説明されてます。

→→「大学入試 ストーリーでわかる世界史探究【近代・現代】」鵜飼恵太 - KADOKAWA

 

1980年代からのグラスノスチ(改革)。

ゴルバチョフ書記長。

 

東欧の自由化。

 

大統領制&複数政党制を導入したのは、1990年。

ソ連初代大統領ゴルバチョフ。

共産党一党独裁ではなくなります。

 

ロシア共和国の大統領は、エリツィンです。

 

ソ連というのは、Union(連邦制)。

ロシア、ウクライナ、、計15の共和国。

各国の共産党を、ソ連の共産党が指導する、、という形を取ります。

 

ソ連のUnionとは、連邦制国家なのか、国家連合なのか?

つまり、一つの国家なのか、それとも複数の国家の集まりなのか?

 

複数政党制になれば、共産党ではない政党も現れるから、ソ連の共産党が指導し続けることはできない。

ソ連が一つの国家でないならば、ある共和国が共産党支配でなくなれば、当然離れやすくなります。

 

つまり、「制度的」にソ連の存続が不可能に。

これに気づいたソ連共産党保守派はクーデターを画策。

 

ゴルバチョフ大統領は病気のために引退、ヤナーエフ副大統領が引き継ぐ、、というニュースと同時に、

改革派の活動を禁止する非常事態宣言。

 

ロシア大統領エリツィンは、クーデターに対抗するために市民や軍に呼びかけます。

それはつまり、ソ連ではなくロシア、、という図式です。

 

クーデターを阻んだのは、ゴルバチョフ大統領ではなくエリツィン大統領。

ソ連大統領よりロシア大統領が優位になります。

 

したがって、ソ連がロシア共和国を指導することはできなくなりました。

ここに至り、ゴルバチョフは1991年クリスマスの日に大統領を辞任します。

 

つまり、ソ連の消滅です。

 

※この流れは、大雑把な流れです。

『世界史探求』では、丁寧に説明されてるので一度は目を通しておくことをお勧めします。

 

 

ここまでが、一般的な「ソ連消滅の流れ」の説明になります。

では、統合失調症患者である僕には、どう見えてるのでしょうか?

 

 

 

 

「愛から見る世界史」から見る、ソ連消滅の流れ

 

近い将来、学校で、どんな教え方がなされるのか?

おそらく「資本主義の勝利」というニュアンスが含まれるでしょう。

 

けれど、、

「愛から見る世界史」では違います。

なぜなら、どちらも(共産主義も資本主義も)人間の機能性、つまり現実、、が考慮できていないから。

 

では、

「愛から見る世界史」では、どういう流れがあったのでしょうか。

 

 

ⅰ) 共産主義という思想

 

支配の中心を「党から国家へ」変えた。P419。

では、、党とは何か?

 

この改革が、ソ連崩壊につながります。

この時には誰も気づかなかった。

確かに、「制度的」にはそう見えます。

 

 

 

経済の停滞。

東欧の自由化。

 

共産主義とは?

それは、「思想」です。

 

現代日本は、資本主義。

資本主義、自由主義に従い、例えば障害者からの搾取が行われます。

それに反対するのが、(理想を言えば)共産主義ですよね。

要するに、社会的弱者にもちゃんと賃金を、、という思想ですから。

 

ソ連は「思想」にこだわるあまり、

一般の人々の喜びを置き去りにしてしまいました。

 

資本主義が誕生した頃、

炭鉱での児童労働など弱者からの搾取が酷く、それに反発したのが、共産主義でした。

だから、基本的に共産主義国家では「誇り」が人々の生活を支えます。

 

それに対し、日本を含めた資本主義国家では「欲」が人々の生活を支えています。

 

ソ連では、誇りを維持するのが難しくなっていた。

当たり前ですが、思想を「強制」されると息苦しくなります。

しかも、情報統制されていたと仮定しても、有名になった人はいるので、貧富の差は意識されてしまいます。

実際、ダーチャ(国民向け菜園付き別荘)も無償とはいえ、優秀な学者や高位の軍人は大きなダーチャを支給されたようです。

(社会に対する貢献度、、という基準、いったい何を基準に決めるのでしょう)

 

もともと、共産主義という思想は「反発」に過ぎません。

反発に過ぎないので、どう生きるか、、という疑問に答えることが難しい。

 

社会的に鬱(うつ)状態に陥ってしまいました。

したがって、社会は停滞します。

心が鬱になったら、身体は動かなくなります。

いくら、頭が命令しても、身体は動かない。

 

そういう意味で、政府首脳が無能だった、、という説には、僕は同意できません。

共産主義という「反発」の思想には崩壊が内包されていた、、と言えるでしょう。

 

 

 

ⅱ) 資本主義という思想

 

もちろん、「欲」が土台になる資本主義も同じです。

例えば、花粉症大好き!花粉症があって良かったぁ!、、と言う日本人はいないと思うのですけど、どうでしょうか?

最近、花粉症の対策として人工杉林を伐採する、、という計画が出されました。

そもそも、人工の杉林が生まれたのは、「欲」の結果ですよね。

 

資本主義を説明する時、なぜか「自由主義」という言葉と一緒に使われることが多い。

正確な定義はともかく、「自由」と聞いて、皆さんはどう感じますか?

 

職業を自由に選べる、住む所を自由に選べる、買いたい物を自由に選べる、自由にお金儲けしてもいい、、、

でも、本当に?

 

例えば、ゲームにもなって有名な、勝ち組のコンビニ会社の経営戦略があります。

個人商店の周りに複数出店し、お客さんの流れを取り込みます。

個人商店は弱体化し、細々と営むか店をたたむか。

コンビニは商売繁盛しますが、仕事時間をオーナーは決められません。

たしか大阪で、夜は休みたいと願った店舗の駐車場に新しい店舗を本社は建ててましたね。

良い悪いは別にして、「自由」ですか?誰にとっても?

 

住む所を「自由」に決められますか?

あなたは、誰にも迷惑かけずにゆっくり海を眺めながら、生まれ育ちました。

その海は、誰もがゆっくり眺められたので、誰も所有しようとは思いませんでした。

その土地がリゾート地になります。

海を眺めるためには、お金を払わなければならなくなりました。

もちろん、子どもたちも。

良い悪いは別にして、「自由」ですか?誰にとっても?

 

買いたい物を「自由」に選べますか?

今あなたが使っているスマホかパソコン、機種変する前より機能的ですか?

壊れてないし、自分にとっては使いやすい、、けれど、サービス終了で強制的に機種変しなければなりません、、と言われる。

良い悪いは別にして、「自由」ですか?誰にとっても?

 

 

 

問題なのは、、

言葉から受ける印象と、現実に感じるものが乖離してる、、ことです。

 

好きだよ、、と言っておきながら、

浮気したり面倒くさそうに話す男性を見て、女性はどう思うでしょうか?

 

女性が健康なら、その恋愛は崩壊し消滅しますよね。

 

 

 

ⅲ) 共産主義は、資本主義の一形態

 

また、、

資本主義とは、何でしょうか?

 

共産主義とは、資本主義の一種だ、、と言ったら、どう思いますか?

 

資本主義とは、お金の循環する流れを健全に保つ、、ことです。

共産主義とは、資本家ばかりにお金が集中し、流れが滞ってしまい、多くの人にまでお金がまわらない、、ことに対抗して生まれました。

だから、共産主義とは資本主義の発展形だ、、進化した形だ、、と言われたのです。

 

つまり、資本家の「欲」を抑えることがカギ。

人は誰もが「欲」を持っている、、という前提で考えると、

強制する必要があります。

だから、国家、つまり共産党が指導するのです。

 

けれど、現実的に考えて、人は「欲」があるので、どれだけ資本主義を導入するか、、つまり、手綱を緩めるか、、という問題が大きくなります。

これが、中ソ論争のもとになります。

 

 

 

ⅳ) 信頼してない、、という問題

 

問題なのは、、

共産主義は、人間という存在を信用できていない、、ということ。

ならば、資本主義なら人間を信用してるのか?、、と言ったら、違います。

 

第一次世界大戦の後、アメリカは史上空前の繁栄を現します。

世界の状況から当たり前ですが、自由にさせればされるほどに、繁栄します。

つまり、儲かります。

だから、当時の大統領は皆、自由放任主義です。

 

けれど、世界恐慌が起こります。

当たり前ですよね、競争相手も元気になってきたし、物は余りますから。

この教訓から、市場に介入することも時には必要だと学びました。

 

 

 

ⅴ) 資本主義と人間性の乖離(かいり)は必然

 

さて、、

資本主義は、人間を信用してるのか?

いいえ、単に「欲」を自由にさせてるだけです。

 

良い悪いは別にして、

「人間」という存在を知らなければ、信用も何もないじゃないですか?

そして、知らなければ、機能的に扱うことも不可能です。

 

僕たち人類は、デカルト以前から心や精神を切り捨ててきました。

(女性をターゲットにした)魔女狩りしかり、古代中国の学問しかり。

だから、資本主義が人間性に合っている、、と感じても仕方ないのかもしれません。

 

ただ、気をつけなければならないのは、、

資本主義とは、人間性ではなく「欲」を原動力にしてるところです。

 

児童労働の問題など出てくるのは、当たり前です。

もっと賃金を出さなくて済む幼児を労働させるべき、、と考えないならば、あなたは資本主義に反します。

つまり、資本主義と人間性は乖離してるのです。

 

 

ⅵ) 現在の資本主義の姿

 

共産主義が敗北した現代。

資本主義が正しい、、と錯覚すれば、その社会は人間性と乖離するのは当たり前です。

抑える思想がなくなったから。

 

共産主義は、空想と現実が乖離したので崩壊しました。

もともと乖離していたのですけど、共産党がたくさん強制してカンフル注射して維持してました。

注射しても、その乖離が誤魔化せなくなったのですね。

 

さて、、

資本主義も、もともと空想と現実は乖離しています。

(お金の循環というのは、もともと空想の産物ですから)

 

具体例はすでにいくつも揚げました。

資本主義では、「欲」がカンフル注射の役割を果たします。

ex) 赤ちゃんを産むように「お金」を与える政策が多いですけど、政策の意図に反して出生率は下がってます。

 

では、、

「欲」でも空想と現実の乖離してる誤魔化せなくなってきたら、何で誤魔化すと思いますか?

それはいろいろあるので、考えてみてくださいね。

 

 

 

ⅶ) 統合失調症患者から見る世界

 

、、という世界、統合失調症患者である僕には見えてます。

大学受験の世界史として考えると、

「愛から見る世界史」では、共産主義も資本主義もたいして変わらない、、のです。

 

つまり、資本主義も同じような理由で簡単に崩壊・消滅するのが分かるんです。

空想と現実が乖離し過ぎて、空想つまり「思想」で生きていくことができなくなった時です。

 

 

 

だから、僕は、ずっと言ってきました。

 

世界史・日本史を学ぶことは、自分の人生を構築することで、

「支配者が描く歴史」では、患者の僕は理解できない。

だから、「愛から見る世界史・日本史」を語る必要がある。

 

それは、人間の本来の「当たり前」の姿を基準にした歴史です。

そうでないと、乖離してしまうから。

 

それは、空想と現実がきちんと重なる世界史・日本史です。

 

 

 

デカルト式論理は、心・精神・意識・魂から「理性」を乖離させてしまいました。

だから、デカルト式論理は点と点を結ぶ線的思考をします。

対し、統合失調症患者の思考は、病状のせいで俯瞰的思考になります。

そのせいで、患者は健常者に理解されにくい。

 

けれど、健常者にもできるだけ理解してもらえる論理で、世界史・日本史を描くことは大切だと思っています。

なぜなら、僕が受ける大学の入試は、健常者が作り採点するでしょうから。

 

僕はやっぱりどこまでも自分ファーストなのです。

 

 

 

 

患者にとって症状との戦いとは

 

統合失調症は、

健常者とのバランスを取るために生まれました。

 

そのために症状が生まれ、、

その症状の副産物というか、二次的に生まれる症状、

健常者の潜在意識にたまった感情が、統合失調症患者の心の奥底からあふれてしまう、、

 

 

この意味は、

「支配者が描く歴史」を、「愛から見る世界史」で分析すると、、

その分析結果が呼び水になって、健常者のうっくつした思いが流れ込んでくる、、という意味です。

 

それは、心の準備をしていても、僕の「理性」を吹っ飛ばすほどに強力で呆然としてしまう、、ことがあります。

 

 

けれど、それは、始めから分かっていたこと。

 

自分の中で燃やし尽くさないといけない。

外に出さずに。

上手くやっても、へとへとになる。

感情は、身体の細胞が受け留めるので(だから、明るい人は若々しい)、疲れる。

早めに燃やすことができることは滅多になく、身体の各部がへとへと。

燃やしながらなら、水をイメージして休んでもらうこともできるけど、

感情が落ち着いてからでは、ただへとへとなだけだから、上手に休むしかない。

 

急性期の後の、虚脱したぐったり、、という状態。

入院した患者さんなら、感覚が分かると思います。

 

それを全部、数時間の中で経験してるのです。

とはいえ、健常者のデカルト式思想(心や精神を切り捨ててしまった世界)の中で生きようとしてるのだから、まぁ、当たり前のことかな。

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。