こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年2月下旬。

受験予定は、1年後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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今回は、東大受験から少し離れます。

けれど、ほんの少しだけ、江戸時代~昭和の社会状況について言及しています。

 

目次

・「論理」は大切

・大義名分の定義

・大義名分の欠点

・大義名分の長所

・資本主義という思想

・知恵をもう一度

 

 

 

 

「論理」は大切

 

これまでデカルト式論理や思想のマイナス面を多く書いてきたのですが、

 

そもそも、「論理」というのは大切なものですよね。

 

僕だって、デカルト式の論理をあーだこーだ言うために、「論理」を使っています。

その「論理」がデカルト式でなく、統合失調症式の俯瞰的で全体的な視野を使った「論理」、、というだけの話です。

 

 

 

大義名分の定義

 

同じように、「大義名分」という論理も同じです。

水戸学の影響を受け、幕末の若者の多くが「大義名分」という思想に染まります。

 

大義名分というのは、本来、何だったのでしょうか?

 

人間としての生き方の目標地点、、でしょうか。

こういう生き方をする!こういう社会にする!!、、という感じ。

 

 

 

大義名分の欠点

 

幕末以降の「大義名分」の良くない所は、

「今ここ」という感覚を失ってしまっていること、、です。

現実感覚を失ってる、、と言い換えてもいい。

 

「理想」に走り過ぎてるのです。

だから、現実について空想できない。

 

目の前に起きてることが現実だ、、なんて、夢物語です。

なぜなら、数百メートル離れた所にいる人の表情なんて見えないことを考慮に入れてないから。

 

明治から大正、昭和の戦後と言われる時代まで、

すごいスピードで時代が走っています。

 

だから、ほんの数十年で、「理想」と「現実」が信じられないほど乖離(かいり)します。

魔女狩りが起こり、キリスト教会が支配したヨーロッパでさえ、1000年以上という時間が必要だったのに。

 

少しでも幕末から昭和にかけての歴史を学んだ人にとって、

「情報」は金よりも重要だ、、と知ってると思います。

 

明治から昭和にかけて、

日本人は、国を左右してしまうほどの「情報」の価値を見失うのです。

GHQの束縛から離れた後の戦後日本で、しばらくの間活躍していた文豪の中には、日本の心として大義名分を大切にした人も少なからずいました。

けれど、彼らの持つ「情報」は、自分の足で歩けば出会えるものに過ぎなかった、、

情報をもとに空想し、自分に役立てる知恵にまで昇華しなければならないことに思い至らなかった、、

 

大義名分というのは、それほどネガティブなものなのです。

 

 

 

大義名分の長所

 

けれど!!

 

けれど、、思い出してください。

大義名分の定義を。

 

人間としての生き方の目標地点、、と定義づけました。

 

良いものではないですか?

良いものです。

 

戦争という惨事の中で、

日本人が、敵兵や異民族に対し、寛容で思いやりのある態度を取れたのは、この「大義名分」教育のおかげです。

もちろん、江戸時代に培われた女性特有の「同情」の文化がまだ消えていなかった、、という理由もあるのですが。

 

これが、大義名分というネガティブなものの長所、、になります。

 

 

 

 

資本主義という思想

 

現代では、

大義名分以上に大切なものが、日本人にはあります。

資本主義という思想です。

 

資本主義とは、お金の循環のこと。

お金も、もちろん目の前のことしか考えられなくなるよう作用します。

 

お金が通用する社会では、有史以来、お金を健全に循環させる、、ことが至上命題でした。

それは、現代でも同じです。

 

地球上で、お金の循環をイメージしてください。

そこには、人の幸せや不幸、自然界との関係、、などは一切入っていないことに気づくでしょう。

 

戦後昭和の時代、

だからこそ、家族や家庭が(現代と比較して)大切にされていました。

バランスを取る力があったのですね。

 

けれど、そのバランスは、人の幸せの上に立ちます。

さまざまなものが、「家庭」を見失わせる方向に導きます。

 

その中の一つが、高校でも学ぶ戦後日本史の内容です。

教科書の政治&経済は、そういう方向に流れています。

 

どうして、現代はこんなに苦しいんだ??

そう考えた若者は多いと思います。

 

あの教科書の通りなら、どんどん良い社会になってるはずなのに、、

歴史を学べば、失敗を繰り返さないから、良い方向に行くはずなのに、、

 

その証拠に、今、赤ちゃんを産んだら金銭的援助をします、、という福祉政策がありますけど、

出生数ばかりでなく、結婚する人すら減少していますね。

 

お金の循環を軸にしてしまったら、当たり前ですけど、苦しくなります。

コンパクトシティ、、という発想も同じです。

 

 

 

知恵をもう一度

 

幸せは、「家庭」が軸になります。

赤ちゃん、幼い子どもたち、彼らが育つのは、家庭なのです。

 

しかも、自分の家族だけが幸せになっても意味がありません。

なぜなら、まわりが邪魔をする、、ことがあるし、自己中心的な家庭では幸せは望むべくもない、、からです。

 

まずは、「家庭」。

子どもや孫が、健全に幸せに生きる、、

 

お金は、今でしかありません。

決して将来を保証してはくれません。

 

けれど、大切にすることができれば、子どもや孫に仕えてくれるものがあります。

誰にでも可能なもので。

いや、誰にでも可能だった、、と言い換えましょうか?

 

その知恵を持っていた指導者は、この100年ちょっとでは、一人だけ。

 

それは、幸田露伴。

その著書にあります。

 

彼の子どもや孫は、そのお陰で安定した人生を構築するのが楽でした。

 

幸田露伴の著作を自分自身でまとめてみましょう。

大学受験のブログなので、どの本に書いてあるかは書きません。

 

その知恵だけは書いておきます。

それは、「樹」です。

 

子どもや孫のために、「樹」を植えること。

どうして「樹」なのかは、そのうち書くかもしれません。

今は朝だから時間がないので(お仕事に行く時間です)。

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。