こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年2月下旬。

受験予定は、1年後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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(注)

もちろん、受験日本史で、マザコンなんて言葉は出てきません。

けれど、歴史の流れを理解する、、そのために、現代の事象を具体的に説明することは大切だと思います。

丸暗記は辛いし、楽しんで勉強できるなら、それに越したことはありません。

 

 

 

 

現代の「歴史」は、支配者が描く歴史であって、

統合失調症の僕は、それでは理解できない、、

 

だから、「愛から見る歴史」を構築して、

絶対的な(つまり排他的な)歴史を相対化します。

 

大義名分論が通用する歴史ではなく、

人間として当たり前の振る舞いを基準とした歴史。

 

 

目次

・支配者の成り方

・『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』

 

 

 

 

支配者の成り方

 

支配者って、どうやって成るでしょうか?

 

高校世界史では、「文字」を知ることで支配者になれる、、と教わります。

ですが、それは、本当でしょうか?

 

現代では、文字に代わるものがあったとして、

「文字」を知っただけで??、、そう思いませんか?

 

同じ参考書では、支配される人々が認めるから支配者になれる、、ともあります。

挿絵では、サッカーのキャプテンのように誇らしげにポーズを取ってる男性を、周囲の人々が拍手で誉め称えてる、、様子が描かれています。

 

これまでの人類の歴史の中で、

支配されず自由に生きていた人々が、突然に支配者を受け容れ、喜んで奴隷や単なる労働者になった、、という出来事があったのか知りませんけれど、、それはどうでも良いことです。

 

ここでは、「支配者の成り方」のお話です。

 

 

 

自由に生きていた人々の中で、突然に周囲の人々を支配したい、、という欲求が生まれた人がいます。

彼は、いったいどうやって「支配者」になったでしょうか?

 

現実的に考えて、サッカーのキャプテンみたいに成ることはなかったでしょう。

サッカーのチームでは、自分の命も娘の人生もかかっていないから。

 

 

 

昔の支配者のイメージは、どのようなものか?

偉そうではありませんか?

 

王様は、必ず家来に頭を下げさせます。

頭を下げない臣下は、当然不敬罪で死刑かなにかです。

 

 

 

では、

小さな国家になったばかりの頃、

家来に頭を下げてもらえない王様が、支配者だと認められるでしょうか?

 

もちろん、いいえ、です。

ここで、サッカーのキャプテン理論が出てきたのですね。

 

 

 

そして、

イギリスの文豪シェークスピアの言葉です。

「この世は舞台。人はみな役者だ」『お気に召すまま』

 

舞台では、必ず「役割」があります。

「臣下」のいない「王様」など、裸の王様以上にイタイ存在です。

つまり、「王様」に成るためには、「臣下」の役割が先なのです。

 

その証拠に、学校のクラスを思い出してください。

一つ目、「俺は偉いんだ!」と叫ぶ男子がいたとして、周囲の視線は冷たいだけですよね。

しかし、突然、男子が(演技か分からないほど本気で)目の前で土下座して「貴女様に一生お仕えします!」と叫んだら、特に女子は迷惑がって逃げ出すでしょう。

つまり、「臣下」の演技の方が、周囲への影響は強いのです。

 

二つ目、スクールカーストで上位だと鼻息を荒くしてる男女がいたとして、

彼らは必ず「下」を求めます。

一番偉いなら、「下」など気にせずいれば良いのに、、

「下」は「上」を求めることは滅多にありません。

つまり、「上」は、「下」が先に存在していないと、ただイタイだけなのですね。

 

 

 

支配者の成り方。

それは、「臣下」を生み出すことです。

 

これは、「有史以来」変わらない法則です。

あくまで、「有史以来」限定ではありますが。

 

 

 

支配者は、立場的に奴隷と変わりません。

なぜなら、自由が全くないから。

 

日本の上皇陛下に対しても、天皇になったら自由がなくなるから、今のうちに遊びに行くのも良いだろう、、と判断した友人たちがいたそうです。

 

どうして、会いたくない相手と会わない、、という選択肢が持てないのでしょう。

どうして、嫌なときに嫌だ、、と言えないのでしょう。

 

それは、シェークスピアの言う通りです。

この世は舞台、人にはみな役割がある。

 

では、スクールカーストの最下層になるのは、誰ですか?

あなたですよ?

決して他の人を指名してはいけません。

自分がなりたくないからと言って、他人に押し付けてはいけません。

誰だって、無責任で不誠実な人を「上」にしたい、、なんて思わないのですから。

 

だから、日本人は、「上」を認める条件として、同情があることは見落とすことはできません。

(後々、この条件が生きてきます)

 

 

 

 

 

『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』

 

『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』(永瀬さらさ著)。

11巻の終盤、物語で一番かっこ良さが光るところ。

 

日本人女性の皆がみんな、こんな考え方をする訳ではないけれど、

軸になってる考え方は、日本人女性特有のもの。

 

欧米では、魔女狩りによって女性の心は眠りに就いたまま。

アジア方面では、学問(仏教含む)の強い影響で、「下」になりやすい心理状態。

 

現在でも日本人女性が世界でもモテる、、というのは分かります。

(あくまで比較に過ぎませんが)心がしっかりしてる。

 

その理由は、江戸時代にあります。

江戸時代になる前に、刀狩りがあった。

文化として、夜這い文化があり、女性の意見やお財布は完全に守られていた。

 

その時代、「同情」の文化が構築されたのです。

その強い影響によって、明治時代の力強さが育まれ、ほとんど消えつつあるとは言え、女性のおかげで日本人男性は世界で振る舞いやすい。

 

たとえ、現代では(都市伝説かもしれませんが)高校生女子がお米を研ぐ時に洗剤で洗ってしまったり、観葉植物の葉をアルコールティッシュで拭いてしまったり、、しても。

男性陣が生み出した世界の中で育てば、そうなりやすいのは当然。

女性の素晴らしさを逆説的に証明しています。

(説明は、今回は省略)

 

 

 

 

「運命を変えるなんて、案外簡単なのだ。

人生の主役はいつだって自分なのだから。」P282

「ままならない人生だって面白い。そう娘には教えていこう。

不自由こそ自由だと笑うような、そんな子に育てるのだ。」P187

 

かっこいいですね。

地に足が着く考え方をするのは、現代では日本女性だけかもしれない。

 

知ってましたか?

その秘密は、江戸時代にあることを。

 

もちろん、明治になり、植民地にならぬために、緊急の近代化は必要だったのかも知れない。

喫緊の問題のために、コロコロ信念を変え、コロコロ人を裏切り、コロコロ人を殺す、、ことも仕方ない、、と言えるのかもしれない。

 

けれどね、知恵を壊したのは、他ならぬ明治以降に生まれた日本人男性。

どんなに仕方ない、どんなに大義名分がある、、と主張しようとも、この現実からは逃れられない。

 

いくら舞台が用意されていようとも、

どんな役割が与えられようとも、

 

言い訳は聞かない。

 

言い訳をしたいのなら、知恵を維持するための知恵を生み出してみよ。

 

それは、男性の役割。

今、あなたに「役割」を与えよう。

 

社会の中で「役割」を果たす、、ことが自分の責務。

そう考えたことのある男性は、多い。

 

そして、舞台でも、大義名分でもなく、

大地に足を着けた、、現実。

 

 

 

 

、、ということを、男性にさせないのですよ?

日本女性は。

 

「不自由こそ自由だと笑うよう」に育てたいと願う男性は、まずいない。

なぜなら、自由を与えたい、、と願うから。

 

「男性性」の本質なのですよ。

子どもには、自由を。

 

「女性性」は、その中で素晴らしい人生を描けるように、、そう願う。

だから、「ままならない人生だって面白い。そう娘には教えていこう。」と心に決めることができるのです。

 

だから、日本人男性にマザコンは多いのです。

外国人に指摘されるまでもなく。

 

男の役割を奪わないで。

男に責任感を思い出させて。

 

女性に依存してしまう男性が多くなってしまいますよ?

 

 

 

 

これが、日本史におけるマザコン男性の誕生秘話になります。

近現代日本史において、この流れを把握しておくことは、教科書に載っている名前の人たちの振る舞いを理解しやすくします。

 

なぜ、例えば小説でも、悪い奴が平身低頭して相手を上にしてくるのか?

相手は上だから、頭を下げる必要はない、、と言っているようです。

頭を下げない、、ことを想像してみてください。

頭のてっぺんに凝(こ)りが生まれてくるのを感じると思います。

そうなると、思考のスピードが落ちます。

だから、お客さんの立場でも、何度も感謝のお辞儀をすることは、頭の良さを維持するコツになります。

 

今日も読んでくださって、感謝です。