こんにちは、夕陽です。

 

【統合失調症患者が「東大受験」してみようか】にお越しいただき、

ありがとうございます。

このブログは、皆さんへの報告というよりも、僕自身の記録・備忘録という目的で進めるつもりです。

 

統合失調症患者が東大なんて受かるのか?そもそも、受験するところまで行けるのか?

障害を知る人の中には、そう心配する方もいるのは分かりますが、、、

そんなことは、僕も分かりません笑

 

現在2024年4月上旬。

受験予定は、10ヶ月後。

 

僕がこれから、どうなっていくのか?

興味がありましたら、思い出した時などに訪問してくだされば嬉しいです。

 

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今回、ちょっとしつこいです。

しつこく説明します。

 

なぜなら、どれだけ「支配者が描く歴史」が浸透してるか知ってるからです。

世界史経済を学ぶ上で、大前提となる「お金」について理解する必要があるのです。

(僕自身が納得するまで繰り返します。なぜなら、僕自身の勉強だからです)

 

 

目次

・お金の起源

・患者から見るイキるおじさん

・お金以前

・現代でもロシアではダーチャがある

・種を蒔けば、、知ってる?

・種を蒔けば芽が出る、、だから、どうしたの?

・お金の誕生

・「お金」の姿

・「自由」を失っていく流れ

 

 

 

お金の起源

 

まず、お金ってどうやって生まれたのでしょうか?

 

保存することが難しいものが手もとにない時に、

持っている人から買ったりできる、、??

 

だから、お金があれば便利だ、、?

 

確かに、現代では、お金がなければ生きていけません。

けれど、ここではお金が生まれた当初のことを考えます。

 

 

 

参考書にもあるように、

お金は信用を得るまでが長かった。

 

珍しい貝殻や銅貨や銀貨、

誰がその価値を保証してくれるのでしょうか。

 

また、当時はそんなに困っていたのでしょうか?

もちろん、学校で学ぶ「支配者が描く歴史」では、そうだ、、と言います。

 

けれど、僕は立場が違います。

奴隷を認める世界を受け容れていません。

 

だから、奴隷を生み出す「支配者が描く歴史」はスルーします。

統合失調症を悪化させないためでもあるので、この「立場」の違いをお許しください。

 

 

 

患者から見るイキるおじさん

 

統合失調症患者が感じる「愛から見る世界史」では、本来、人間というのは奴隷など必要ではなかったのです。

「愛から見る世界史」では、支配者は単なるイキってる中年おじさん、、に過ぎません。

そんなおじさんも、家庭ではゴロ寝ばかりの単なる親父だったりします。

 

僕は、単なる親父であるおっさんでも良いじゃないか、、という「立場」です。

イキってるおじさんは、必ず下の存在を求めます。

部下や可愛い女性社員がいない状態でイキることは、不可能だから。

 

 

 

そんなおじさんも、家庭でイキれば、

「バカ言ってないで、お風呂の掃除でもしてきて!!」って尻を叩かれるのでしょう。

 

どっちを主軸にするのか?、、という問題でしかありません。

イキった姿を真実にするのか、生温かい目で見守り、家庭での姿を想像するのか、、

 

 

 

イキるためには、他の人間が無能でなければ困るのです。

課長クラスも責任があって大切な仕事ですけど、年収1億を軽く超すビジネスマンばかりの場所でイキることはできないからです。

 

イキるためには、他の人間が無能でなければ困るのです。

(もしくは、そう思い込むか)

 

人間を奴隷、、として見るには、イキるしか方法がないのです。

(もしくは、現代のようにその世界観を受け容れるか、ですね)

 

 

 

お金以前

 

大昔は、自給自足社会でした。

経済活動は、物々交換だった、、と。

 

「支配者が描く歴史」で記録されています。

ゲルマン人の大移動があり、一つの民族で約8万の移動があった。

 

そして、ローマ人は、ゲルマン人と契約して傭兵として雇い、土地を与えた、、と。

 

 

 

自給自足のためには、

その土地の植物のことに詳しくなければなりません。

 

だから、ゲルマン人には自給自足は無理でした。

 

ならば、どうするのか?

森を切り開き、畑にするしかありません。

 

けれど、そこは、ローマ人の土地ではありませんでした。

以後のヨーロッパの振る舞いが示してしるように、ケルト人の土地を勝手に契約でやり取りをしたのです。

だから、ちょっと昔の学説では、ゲルマン人は略奪者、、と言われていたそうです。

その反論として、ちゃんと「ローマ人と契約して」いたから、「法的に」正当だった、、だから、ゲルマン人は略奪者だというのは誤りだ、、と。

まぁ、どっちにしても、ローマ人の土地ではなかったのです。

 

水も必要です。

だから、ローマでは水道橋など上下水道の設備が発展します。

 

皆さんも知ってると思いますが、

本当に美しい水は、そのまま飲めます。

 

だから、それまでは水道など必要なかった。

下水道のためには、まずは集まって暮らす必要もあります。

だから、はじめは、集落でした。

そして、ご飯のためには畑が欲しい、、

8万人分の、、

 

だから、彼らは必死にケルト人を説得します。

けれど、森の重要性を熟知していたケルト人は、困ります。

 

当たり前ですよね?

突然、8万人のご飯を要求されても、助け合いの精神では無理だし、森を明け渡すなんて認められる訳がありません。

 

当時のゲルマン人の生活は、現代で言えば「難民」のような生活でした。

突然8万人で引っ越して、いったいどこに暮らすのですか?

家も土地も、ご飯も水も、ろくにありはしません。

 

ゲルマン人を移動させた人々は言うわけです。

「ケルト人が土地を独占してる。森は皆のものじゃないか。ケルト人は酷い奴らだ」

 

ゲルマン人は、もちろんケルト人の村を襲います。

けれど、自然体で生きることができているケルト人男性の身体能力は高い。

だから、ゲルマン人は苦労します。

(カエサルが苦労し、アレクサンドロスが避けたように)

 

当時は拳銃などありません。

だから、身体能力の差が戦力の差になる。

 

 

 

現代でもロシアではダーチャがある

 

YouTubeの動画で、

日本人男性がロシア人女性と結婚して、ダーチャを紹介してくれてるものがあります。

(もちろん、ロシア人が紹介してることもあります)

 

ダーチャとは、「国民向け家庭菜園付き別荘」のことです。

ソ連時代から存在し、ソ連崩壊後のロシアの食料事情を支えた立役者です。

 

そこに住む日本人男性が「食糧難と無縁」と言い切るほど、精神的に安定するのです。

(もちろん、食料の全てをまかなうことはできないはずですが)

 

 

 

 

種を蒔けば、、知ってる?

 

種をまけば同じ樹が生えてくる。

「支配者が描く歴史」では、人々は気づかない、、ことを前提とします。

 

 

 

皆さんは、どう思いますか?

何の知識もなしに数百年森林のそばに住んでいます。

やっぱり、果物の種を蒔けば、同じ果物が採れる、、と気づかないですか?

あなただったら、どうですか?

 

なんで、僕はこんなくだらないことを繰り返して言うのか、、?

デカルト式思想、「支配者が描く歴史」では、人々は畑が作られるまでは気づかない、、とされてるからです。

 

 

 

「支配者が描く歴史」では、そんなことを親切に教えてくれはしません。

 

「歴史」では、こう教わるでしょう?

原始時代、人々は狩猟・採取で生活していた。

だから、人々は移動して暮らしていた。

 

ね?

そして、次にこう言う訳です。

畑や田んぼを作ることで、人々は定住するようになった、、と。

 

ね?

反射的に間違ってる、、って感じますか?

 

 

 

学生は、こう思い込むのです。

種を蒔くことは、畑と密接に関係している、、と。

 

だから、畑がなければ採取しかないのだ、、と。

 

おかしいでしょう??

種は、そこらに蒔けば、豊かな実りを与えてくれるのです。

畑は必要ありません!!

 

当たり前じゃないか?、、って思った人は、

大昔、人類は狩猟・採取の生活をしていた、、と聞いた瞬間に、否定しましたか?

 

学生時代に、なんとなく「そうなのかな?」って感じた人も多いでしょう、、

けれど、その疑問をちゃんと感じるより早く、授業は進んでしまったはずです。

そうして、無意識に「種を蒔くには、畑が必要」という前提条件を受け容れた知識を学んでいく訳です。

 

 

 

森林は、肥沃なのです。

本来は!!

常に、肥料は与えられ、進化論によって見事な生態系を作っています。

だから、永遠に森林は続きます。

これは、本来、植物・生態系は病気に強い、、ことを示しています。

 

人間にとって必要なものは、「知恵」だけだったのです。

どこに種を蒔けば、どのくらい収穫が見込めるのか。

 

「知識」では不可能です。

なぜなら、土地の形状はコピーがないから。

 

 

 

現代では「知識」が重視されます。

だから、現代の基準で原始時代を測ることはできません。

 

これだけを見ても、現代より原始時代の方が数百倍賢かった、、のは分かります。

現代の叡智、学者ですら生態系の全てを把握して、種を植えることはできませんから。

 

こんな暮らしをする人々が、食べ物に困って移動ばかりなはず、、ないでしょう?

また、これまでも言ってきたように、

ローマ軍がケルト人を滅ぼすのに苦労した、、ことの状況証拠になりますね。

 

それでも、まだ「移動ばかりの生活だった」と言う人はいるはずです。

それなら、畑を作って初めて定住した、、ことの意味を考えてください。

畑を作る、、ということは、種を蒔くことを「事前に」知っていた、、ことを意味します。

 

 

 

 

 

繰り返しますが、

「支配者が描く歴史」と「愛から見る世界史」は、立場の違いに過ぎません。

 

支配者が自分を誉め称える方法の一つ、、

俺が統治したから、皆がご飯を安心して食べられるようになった、、と。

だから、皆が、俺に感謝している、、と。

 

けれど、その前から人々は別に困っていなかった、、としたら?

支配者がイキることができなくなりますよね。

だから、人々が自立していた、、なんて、不都合な情報になります。

 

 

 

 

狩猟・採取で暮らしていれば、移動が必要なこともあるでしょ、、と思い込む。

だから、種を蒔くことを知っていた、、という事実を覆い隠し、狩猟・採取で暮らしていた、、と「記録」する。

 

その「記録」は、当然、種を蒔くことに関する知恵が残ってはいけない。

だから、新しい「文字」を作る。

世界史で学ぶように、文字を知れば支配者階級になれる、、ことの裏の意味になります。

 

支配者が別の「文字」を作る、、ことは、古代エジプトを見れば分かりますね。

 

 

 

 

種を蒔けば芽が出る、、だから、どうしたの?

 

そして、現代、、

種を蒔くだけでは絶対に生きていけない世界、、になりました。

だから、支配者も安心してしまいました。

 

だから、学説が多くなっています。

鎌倉時代がいつ始まったのか、、なんて、当たり前ですけど、学説が複数存在するのです。

支配者がイキるために、何を隠すべきか、、誰も考えなくなりました。

だって、種を蒔くことを知っていた、、だから?、、になるから。

 

もう現代では、

種を蒔くことの意味を知ってる人は、いなくなってしまった、、

 

だから、逆に、学者さんが頑張ってくれて、逆にボロが目立ってきたのです。

明治時代、伊藤博文の言うことを理解できず、世界的に日本の立場を悪くしていった明治政府のように。

 

僕でも昭和時代の情報では、東大を受けようなんて思わなかった。

なぜなら、統合失調症患者が見ている世界では、健常者の世界に太刀打ちできなかったから。

まだまだ相対化ができるだけの情報が出ていなかったのです。

 

 

 

 

お金の誕生

 

ここでやっと、「お金」の誕生を考えることができます。

 

そもそも、「お金」は困ってる時に便利だよね、、という理由で生まれた、、と言われています。

もちろん、ゲルマン人の大移動の後のゲルマン人なら、そうだったでしょう。

 

けれど、まだまだ愚かでなかった人類が生きている時代だったなら、、

どうでしょうか?

 

「お金」の意味を考え直さなければならない、、ことに気づくと思います。

 

 

 

学校で学ぶ「経済」は、

種を蒔くことを誰も知らなかった、、という前提で成り立っているのです。

 

いやいや、種を蒔くことなど誰だって分かるでしょう?

その通りです。

 

果物を食べて、種は捨ててしまいます。

そこから、果樹が育ち、同じ果物が食べられます。

ラッキー♪、、としか思えないのか、種を大地に触れさせればもっと美味しい物が食べられる♪、、と気づくのか。

 

学校で学び受験にも出る「支配者が描く歴史」では、人はラッキーとしか考えないことが前提で、

患者の世界観である「愛から見る世界史」では、種を蒔けば・・♪になるのです。

 

ほらね?

支配者だけが頭が良い、、ことを前提にしてるでしょう?

だから、世界史の参考書では、「文字を知ることで、人々を支配した」などと「支配者だけが頭が良い」前提の話がまかり通るのです。

 

 

 

だから、ニュートンの話がもてはやされるのです。

リンゴが落ちました。

それを見たニュートンは深く考えます。

他の人々は考えませんでした、、

 

そう教わりますよね?

だから、何?って思った人は、物理が苦手になり、

受け容れた者だけ物理ができるようになる、、

 

 

 

だから、「歴史」上の偉人たちは、簡単に人を殺せるのです。

だって、人々は愚かだもん、、って無意識に思うから。

潜在意識に素直な人物では、例えばヒトラーやポル=ポトがいますね。

 

人類は、戦争によって発展してきた、、と言われる所以です。

ニュートンを源流にしてしまえば、そうなります。

 

他の発展の方法を選ばなかった、、だけの話です。

 

 

 

「お金」の姿

 

「お金」もそうですよ。

だから、現代日本では花粉症がすごいのだし、

花粉症のおかげで、身体に良いはずの果物を食べることができなくなった人もいます。

 

「お金」は、人を下に見る、、ことが前提になります。

つまり、「お金」は、始まりの愛の祈りに従っているのです。

(始まりの愛の祈りとは、「愛から見る世界史」で話してきた「滅びを遅くするために、人類は自ら愚かになっていく選択をし続ける」ことです。

デカルト式教育を受けた人は、これを否定できません。

なぜなら、デカルトは意識・精神の分野を切り離してしまったからです)

 

「お金」は、人を下に見ます。

つまり、「お金」が人に奉仕する、、のでなく、人が「お金」に奉仕する、、という形を取ります。

 

だから、社畜という言葉があるし、仕事を舐めるな、、という発言も力を持ってしまうのです。

 

 

 

資本主義は、「お金」の流れを健全に保とうとします。

だから、イギリスや欧州では児童労働の問題が生まれ、対抗するように社会主義・共産主義が生まれます。

 

「お金」の流れが上で、人間が下、、です。

だから、現代では会社が世の中を動かしています。

人ではなく。

 

この上下関係、、ヒエラルキーが、「歴史」を貫いているのです。

「支配者」が上ではないのです。

人間は、下、、なのです。

支配者も例外ではありません。

 

 

 

 

「自由」を失っていく流れ

 

近代直前のキリスト教では、、

宗教改革が起こり、お金を欲で稼ぐことはOKになります。

神に許された、、ことになったからです。

 

お金を扱うときに注意しよう、、と言う気持ちがなくなります。

僕たち人類は、自由を失ってしまいました。

選択肢、、という自由を。

 

まず、禁止します、、

長い時間の後、禁止を解除するのです。

 

そうすれば、どうなるか?

禁止される前は、お金を使う使わない、、は、完全な自由でした。

けれど、禁止されたことで、まずは自主的でなく、自由を奪われた、、形になります。

選択肢、、という自由は、自分の中にあった、、にも関わらず。

 

本当なら、

禁止されたから、使ったら身が危険だ、、という理由で、使わない、、のでしょう?

それなのに、いつの間にか、使う自由そのもの、、つまり、お金を使おうとする「意思」の自由を奪われた、、と感じます。

 

だから、

禁止が解除された時、

お金を使うことが自由、、と、勘違いするのです。

 

分かりますか?

自由を勘違いしてしまう、、のです。

本来、お金を使うか使わないか、、という選択肢の自由だったのに、、

 

ここで、ほら、、

「人類が自ら愚かになっていく」が実現できましたね。

 

僕たちは、この流れにいるのです。

これに反するには、多くの知恵が必要になります。

 

そのうちの一つ、、

種を蒔けば、芽が出て、同じものが収穫できる、、ことの本当の意味を思い出す必要があります。

 

 

 

この流れ、貫かれた一本の軸。

これが、「歴史」を支えています。

経済史を見る時に必要な視点になります。

 

 

 

 

今日も読んでくださって、感謝です。