小雨の中、庭の掃除で葉脈となった落ち葉を見つけた。
我が家に葉脈となった葉があるなんて嬉しくて嬉しくて、
この気持ちを周りに伝えますが、なかなか理解して貰えないようです(;^_^
小学校へ上がるかどうかの頃、近所のお兄さんが持ってきてくれた葉脈標本を見た時の嬉しさワクワクした気持ちを今もハッキリ覚えています。
その後に薬剤で作れると知り親におねだりした記憶もうっすらあります。
物欲もなくオロオロと不安を抱えていた子どもでしたが、
本当は好きな物がはっきりしていた様に思います。
もしその事を周りの大人が気付いてくれたら少し違っていたかな?と
時折思ったりしておりました。
まあ、今となっては、何一つ周りの大人のせいでは無いのだと思えますが。
さて、今の環境は人のせいにしてしまう程頼りない人生だった頃と比べれば、
随分と変化が起こったと思います。
「身体が弱く絶えず問題が起こり、
しかし誰かの為にそれを乗り越えて耐えられる人間」という
自ら作り出した人生。
そして本来の自分に戻ろうと覚悟を持った途端、
見えない愛の力が修正を手伝ってくださった。
私にはそう思えます。
今、私は昔からとても好きだった物たちに囲まれています。
それはとても不思議です。
ここの地に来る数年前から少しづつやって来た物たちです。
薬剤でなく葉脈となった葉っぱもその一つ。
だから心から喜びます。感謝します。
居ても立っても居られないほどワクワクするのです。
それが見えない大切なものへの礼儀です。
鶺鴒鳴(せきれいなく)七十二候0913より