女子高校生Aは歴史の授業が苦手だ。自分の生まれる以前の歴史が事実だと思えない。 例えば、60年以上前に起こった第二次世界大戦は事実だろうか。終戦記念日があったり、広島平和資料館があったり、歴史の教科書に書いてあったり、第二次世界戦の記憶を語る人がいたりする。まだ第二次世界大戦の名残が残っている。
しかし、女子高校生Aは第二次世界大戦を事実のように受け入れることができない。自分が経験した出来事ではないからだ。第二次世界大戦を語る人も歴史の教科書もすべて嘘かもしれない。先人が過去を捏造した恐れがある。その疑いを消すことができなかった。
あるとき、女子高校生Aは自分の赤ちゃんのアルバムを見ていた。そのアルバムには両親が残した写真があった。そして両親が懐かしそうに過去の出来事を語って聞かせてくれた。その女子高校生Aは両親が好きだった。だから、自分が知らない過去の記録であるアルバムが事実であると信じられた。再現性も事実を表す証拠もない状況でもだ。
そのとき女子高校生Aは国や先人を信じられないから歴史を信じられないのだと理解した。第二次世界大戦を引き起こすような国や先人を信じることができないからだ。まず、歴史を信じられるかを確認する前に、国や先人を信じられるかを確認する行為から始めなければならない。信用できない人が残す歴史を信じられない。
注意:作り話より。
◆解説
歴史に関わる人は誠意を持って事実に忠実であると宣誓しなければいけない。
人は歴史を知るために他人の記録を利用する必要がある。人は長くても100年ぐらいしか生きられない。人は誕生以前の事実を他人が残した記録から理解するしかない。その記録が事実を表しているかを確かめるためには、他の記録と比較する必要がある。また、記録とその記録が事実を表す証拠を確認する必要もある。同じ記録を発見したり、作ったりできると確かめる必要もある。それができないなら、記録が正しいと信じるしかない。
それでも歴史を調べる人は記録として残る資料を疑って確かめる必要がある。他人が事実だと見なす歴史を受け入れるだけでは惜しい。歴史を疑う理由が必要だ。歴史が歴史を調べる人の主張から成り立つからだ。その歴史は信じるに足りない歴史かもしれない。わずかな資料から過去を想像していないか。発見された場所だけで、資料を信じていないか。歴史を知りたいならば、歴史を描くために利用した資料を確認する必要がある。
その歴史を知りたい人の要求に応えるために、資料とその資料が事実だとする認識を後世に引き継ぐ。歴史を表す資料を残すだけではない。歴史を経験した人は経験していない人にも歴史が事実だったと語り継ぐ必要がある。その語り継ぐ行いが途切れたら、実感の湧かない歴史になる。それでも資料から歴史を想像するしかない。私たちは資料から可能な限り歴史を想像して人に伝える。その行為は歴史を引き継ぐ人の行動に左右される。
したがって、歴史を調べる人も引き継ぐ人も残す人も、人から信用される必要がある。信用できない行いをしても正せるのだと信じてもらう。その信用できない行いを隠すよりも嘘の記録を残さない姿勢が必要だと信じてもらう。また、自分が公表する資料が事実を表すと信じてもらう。その資料に基づいて歴史を述べていると信じてもらう。そのとき、人が信用してもよいと思うために、歴史を語る人は信用できるという証言を必要とする。
記録や資料が事実を表すと、信用や信頼できる人の証言で証明するしかないか。
希記より。