歴史研究者がこの時代の歴史を残すために、どのような事実を残すべきかを考えた。歴史を作る会を設立した。その会をホームページで公開して、歴史を語る情報を集めた。
その歴史を作る会に、65歳の男が尋ねてきた。その男は自作した自分史を持ってきた。その本には自分の生活や周囲の出来事の記録が書かれてある。1993年頃に起こったバブル崩壊に巻き込まれた話や、2000年頃に問題になった就職氷河期を経験した子どもの話を語り始めた。また、消費税が増税した話や年号が変わったころの話まで語った。
歴史研究者はその男に一般人の自分史に歴史的な価値はないと説明した。研究者が欲しいのはノーベル賞を受賞した人の話や、首相の実話や、話題性のある芸能人の話だった。歴史を理解するために重要な出来事が必要なのだと語り始めた。
65歳の男は反論した。「例えば、奈良時代に農民や商人の語る日記が残っていたら気になる。確かに奈良時代に無能な天皇を侮蔑する内容の日記を書いた事実がばれたら罰せられるかもしれない。今の天皇や首相の至らなさを侮蔑する内容があってもよい」と。
それを聴いた歴史研究者は、「偉大な天皇や首相を侮蔑するような内容を記録に残したら問題になる」と男を非難した。結局、歴史研究者は「一般人が書く自分史は自分で楽しむために書かれるものだ」と述べた。次に自分史を受け取らないで男を追い返した。
注意:作り話より。
◆解説
人は歴史を理解するために人生を語った自分史を利用してもよい。
もし、奈良時代に一般人が書いた日記が残っていたら、その時代の生活を知ることができるかもしれない。ただし、奈良時代のすべての人が字を書けるわけではない。その上、支配者たちの悪口を書いたら罰を受けるかもしれない。そのような事情も分かったら興味深い。古い時代の生活を記す資料がわずかしか残っていないから貴重な資料になる。つまり、日記であっても過去を示す資料が少ないから、過去を知るための貴重な資料となる。
すると、人生を語る自分史が残ったら、自分史が語る時代を理解する役に立つかもしれない。時代を表す出来事に関わった経験は貴重な資料になる。どれだけ私たちが出来事に関わるかが重要だ。自分が関わった出来事をより理解する試みも必要だ。しかし、守秘義務で出来事のすべてを自分史では語れない。また、個人情報の集合体なのですべてを語れない。それでも自分史はある年代に生きる人々の生活を知るために利用できる資料だ。
しかし、自分史を読むよりも国家や新聞社が集めた資料を読む方が出来事を理解できる。自分史よりも新聞や白書が信用できる。新聞や白書で嘘を書けないからだ。嘘を書くおそれがある自分史が事実なのかを確認するには、新聞や白書のような他の資料との比較が必要だ。すると、自分史よりも信用できる資料があるなら自分史を必要としない。新聞や白書や出版物が出来事の情報をまとめるから、一般人の情報収集力では勝ち目がない。
それでも人は歴史を知るための資料として一般人の自分史を利用してもよいはずだ。人が世界の重要な出来事を一般人の自分史から理解するのは難しい。しかし、歴史を知るために一般人の人生を知る資料が必要だ。その時代に生きる人の人生を知りたいからだ。また、重要な出来事が起きたと証言する可能性があるからだ。そして、新聞や白書に載らない人生の描写があるからだ。すると、資料が少ないのも多いのも問題になる。
人は自分史を歴史資料として採用してもよいのだろうか。
希記より。