キキララ日記 -3ページ目

びっくりドンキー

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あたしって。あたしって。

痩せる気ないねあせるこりゃ叫び叫び叫び




今日は旦那に付き合い、
びっくりドンキーへ音譜

びっくりポテトナイフとフォークに、ピーチプリンパフェいちごカクテルグラスを注文にひひ


旦那は、
レギュラー200ナイフとフォークに、
メリーゴーランドソフトクリーム

ま、ポテトほとんど食べられましたが(笑)


久しぶりに食べたら、
やっぱり美味しいねラブラブ


帰りに会計する時、あたしが払ってたら、
「お会計別々にしますかはてなマークニコニコ
ガーンガーン

まぁ慣れてるんで、もういいけどシラーシラー


夫婦に見えなくて、すみませんな~プンプンむかっむかっ

奥さんが豚だからだろ~ぶーぶーキラキラブタキラキラ
と怒りながら帰りましたとさむっ爆弾ドンッメラメラむかっ合格


チャンチャン(笑)
叫び音譜

震災ニュースリンク集2

避難訓練は、私が小学校、中学校の時にたくさんした記憶があります。

当時からしてたことが、こんなニュースにとりあげられるような
ことだったなんて・・

海の近くに住んでいたので、避難意識も高かったのかもしれません。


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奇跡はいかに起きたか…釜石の防災教育

産経新聞 6月14日(火)15時18分配信


 独自の防災教育が奏功し、東日本大震災で小、中学生の避難率がほぼ100%だった岩手県釜石市。この釜石式防災教育が実現したカギは、ほとんど津波のことを知らない内陸部出身の教員の意識改革にあった。指導した群馬大学の片田敏孝教授は「教師全員が津波を学び、自ら取り組んだ熱意が、未曽有の災害から子供たちの命を守った」という。(北村理)

 「私が小学生のころだったら、今回の子供たちのように適切な避難行動はできなかっただろう」と、釜石市教委の河東(かとう)眞澄教育長は打ち明ける。河東教育長は8年前、片田教授の指導による防災教育の導入を決めた立役者で、津波のたびに壊滅的な被害を受けている釜石市南部の唐丹(とうに)湾に面する集落の出身だった。「地震があると津波が来るという伝承は聞かされており、毎夜、枕元に着替えを用意させられていた」と語る。

 しかし、河東教育長自身も防災教育を受けた記憶がなく、このような伝承頼りのような状況は防災教育を導入するまで続いていた。その理由について、河東教育長は「教員の3分の2以上が内陸部出身者で津波のことを知らず、津波教育への取り組みは大きく進まなかった」と説明する。

 教員の「沿岸部」「内陸部」という出身比率は、津波への意識に大きな影響を与えていた。防災教育を始めるにあたり、片田教授が平成17年、釜石市内の小中学校の全教員を対象に行った津波への意識調査(回答率80%、276人)でも顕著に現れている。

 調査で「子供のころ津波の話を聞いた」と答えたのは、岩手県の内陸部出身者は4割弱だった。沿岸部の釜石市出身者は9割超だったが、情報源といえば両親や祖父母が多く、内容は伝承にとどまっていた。また、教壇で「児童生徒らに津波の話をしたことがあるか」との問いに、「内容をしっかりと伝えた」と答えたのはわずか1割未満だった。

 実際、全生徒を避難させた釜石東中学の村上洋子副校長も、全児童が自主避難した釜石小学校の加藤孔子校長も内陸部出身で、「釜石に赴任するまで、津波のことはほとんど知らなかった」という。

 この意識調査は平成19年にも実施されたが、17年と同様の結果で、教員の意識改革はほとんど進んでいなかった。危機感を抱いた市教委は全教員を召集し、津波防災の講演会を行った。そこで片田教授は調査結果を示し、「津波は今きてもおかしくない。このような認識で子供の命を守れますかと、相当の覚悟を促した」という。

 当時のことを、釜石小学校の加藤校長は「津波に子供たちが襲われる姿が浮かび、明確に意識が変わった」と振り返る。この講演会を契機に、各学校から教員が集まり、教材開発の検討会が立ち上がった。

 検討会は1年にわたり2カ月に1回のペースで行われた。学習目的を「知識習得に留まらず、いつでも適切に避難行動に移れる姿勢を身につけることに主眼を置いた」(河東教育長)。このため、例えば数学の1次方程式で避難時間を題材にするなど常に津波が話題になるよう全教科に取り入れ、授業の展開に無理なく継続できるように既存のカリキュラムでの実施を重視した。

 また、津波をイメージできるように、津波の映像や被害想定シミュレーションの動画など、視覚に訴える資料を多用した。釜石東中の村上副校長は「ジオラマを使った実験で水槽の波が町全体を覆うのを見て生徒が声をあげて驚いていたのが印象的だった」。

 こうした津波の学習に加え、実践的訓練として、学校からの避難経路確認と、下校後の避難方法を各家庭で決めさせた。釜石小学校では、校区で実際に緊急地震速報を流した訓練を実施し、地域住民にも小学生の避難呼びかけを要請。今回の大震災でも効果を発揮したという。

 河東教育長は「実は、釜石の防災教育は大震災前にも岩手県内で注目され、沿岸部の他自治体でも機運が高まっていた」という。

 群馬大学がまとめた被災3県の死亡者の年齢別データによると、岩手県内の死者のなかで小中学生の割合は、宮城、福島2県に比べ3分の1以下だった。

 大震災後、釜石の取り組みは全国に広がっている。

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震災ニュースリンク集3

市内でも私の母校だけ修学旅行が中止となっていましたが、
大阪市職員の方が寄付をしてくださり、
大阪市内に招待して頂けることになりました!!
良かったねー☆

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“釜石の奇跡”の生徒たちを大阪市へ招待・市職員ら寄付で 修学旅行中止で



産経新聞 6月17日(金)20時6分配信


東日本大震災の津波被害にあった岩手県釜石市の釜石東中学校で3年生の修学旅行が中止になったことを受け、大阪市の平松邦夫市長は17日、この中学の生徒を大阪市内に招待することを明らかにした。釜石市に対して行っている長期支援策の一環で、米映画のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」や大阪城などへの訪問を計画している。

 釜石東中は壊滅的な被害を受けた鵜住居地区に立地。震災時は徹底した防災教育の成果もあって生徒たちが近くの小学校の児童たちの手を引いて避難、登校していた全員が逃げ延び「釜石の奇跡」とも呼ばれた。ただ、校舎の被害は大きく、別の中学校を間借りして授業を再開している状態。生徒の8割の自宅は津波被害を受け、避難所生活も多いという。

 修学旅行をめぐっては釜石市内のほかの学校で実施のめどがたったが、釜石東中だけは中止に。支援を行っている大阪市教委の担当者が、釜石市教委から「修学旅行が中止になったことが心苦しい」と聞いたことをきっかけに招待が決まったという。

 数百万円かかるという修学旅行の費用は大阪市職員の寄付などでまかなう方針で、PTA団体や民間企業などにも賛同を募るという。また、生徒たちが行きたいと希望したUSJに市が協力依頼をしたところ無料招待を快諾したという。

 招待するのは、3年生の73人と教職員8人。10月上旬に3泊4日の行程で実施する予定で、大阪市内の中学生との交流行事も計画している。平松市長は「大阪を満喫してもらい、心に残る修学旅行にしてもらいたい」と話している。