平成24年11月10日(土)13:45~、わらび劇場にて。
第一部 舞踊詩「遠野物語」
台本・演出/栗城 宏
作曲/甲斐 正人

第二部 舞踊集「故郷(ふるさと)」
台本・演出/安達 和平
振付/安達 真理
作曲/紫竹 ゆうこ

音楽監督/甲斐 正人
出演/
平野進一、椿 千代、安達和平

笹岡文雄、千葉真琴、高田 鵬、森下彰夫、塚越 光
飯野裕子、末武あすなろ、吉田 葵
第54期わらび座研究生
渡邊真平、小山雄大
鎌田千園、山田愛子、高橋真里子
 
二度目の『遠野物語』を観てきた。
 
観ていて、思った。少し台詞が変わっただろうか? 
主人公の福二が故郷を離れてさまようこととなった原因が、より明確になっていた気がする。
 
あの日、離してしまった大切な人の手。
助けられなかった……という自責の念が、
故郷や子どもからさえも彼を遠ざけ、知らない土地へと駆り立ててきたのだと。
 
助けられなかった命。
それを思うからこそ、炎の中から幼子を助けたことが彼を変えるきっかけになったのだろう。
 
遠野の土地に伝わる踊り。
地を踏み鳴らし、無心に舞うことで、天地や神々とさえひとつになるのだと。
人が生きていくことの苦しみや哀しみは、そうやって浄化されていくのだと。
 
観ていてふと、『カンアミ伝』のことを思った。あそこで描かれていたふたつの道。
より高尚な芸の道を究めようとした世阿弥と
大衆の中に戻り、市井の人々とともにあろうとした観阿弥。
 
『遠野物語』で描かれる歌や踊りは、観阿弥の戻っていった道よりさらに人々の暮らしに近い。
それは鑑賞したり、批評したりする対象などではなく、
四季折々の営みとともに歌や踊りがある。暮らしの中に芸能があるのだ。
 
農作業や海での仕事、
子どもが産まれ、育ち、老いて、死んでいく、そういう折々にある歌や踊り。
そうやって人々は、天と地と、森羅万象この世界と折り合ってきたのだろう。
 
……など理屈っぽいことを言う必要など本当はないのかもしれなくて。
 
この日、客席はとても楽しい雰囲気だった。
最前列に座った自分の後ろから、場面ごとに楽しげな笑い声や拍手が響いた。
 
それはたぶん、舞台の上にも伝わっていただろう。
舞台上の笑顔がいっそう輝いている気がした。
それがきっと、『カンアミ伝』のラストシーンを思わせたのかもしれない。
 
冒頭で森を跋扈するもののけ(いや、オオカミか?)たちの躍動感、
どこかユーモラスな山男や天狗や山姥。
里では座敷童子や河童たち。
 
ひとつひとつの場面はいっそ素朴なくらいなのに、気持ちのいい緊張感が途切れない。
舞台に引き込まれたまま、福二の変化を見守っていくことができた。
 
第二部では、海の男たちの勇壮さや女たちの花の舞いの美しさを堪能して。
そして、じゃんがら。
 
そういえば、恥ずかしながら前回「じょんがら」と書いてしまった(←直しました)
それじゃ三味線ですね。
 
じゃんがら念仏踊りでした。そして、漢字では自安我楽と書くらしいと、この日人から教えていただいた。
これがねぇ。
 
なんていうか、とても幻想的で美しいのです。
腰を落として膝で支えた太鼓を打ちながら、輪になって人々が進み、女たちが鉦を叩く。
その動きと音と照明と。
 
次の虎舞は本当に楽しい。勇壮で迫力あるんだけど、愛嬌もあってワクワクします。
7頭の虎がずらりと並ぶと、もうどっちを向いていいのか、わからないくらいです。
 
そこから最後の喜び舞。
やや腰を落として踊り続ける様子は、きっとキツいことでしょうけれど、
皆さん楽しそうな笑顔で踊る様子が印象に残ります。
 
客席のノリは最後までよくて、アンコールまでずっと楽しく盛り上がった雰囲気でした。
こういうのは、客席のノリも大切だわね、と思ったりしました。
 
二度目の『遠野物語』。一度目同様、あるいはそれ以上に充足感を感じる舞台でした。
観に行けて本当によかったです。
 
この後、バックステージがありましたが、それについてはまた明日にでも。
とりあえず今日はこの辺で☆ではまた!