平成27年11月3日(火・祝)19:30~、6日(金)19:30~、シアター風姿花伝にて。
脚本/中嶋康太(Mrs.fictions)
演出/上野友之(劇団競泳水着)
出演/
清田:落合モトキ
魔美:花影香音
宜保:倉田大輔
ユリ:亀田梨紗
カゼッタ:今村圭佑(Mrs.fictions)
秋山:岡野康弘(Mrs.fictions)
ヤオイ:岩井七世
稲川:金丸慎太郎
ものがたり/
世界の終わりは、いつも夏。
暑い暑い、夏の一日。
地球には小惑星が接近し、今まさに、各国が連帯した宇宙空間での撃墜作戦が進行していた。
そんな「地球滅亡の危機」が迫っているようには到底見えない、都内の雑居ビルの屋上。
では、一人の女子高生が遠くを見つめ、佇んでいた。
そこに、曰くつきの「超能力者」たちが集まってくる。
万が一、撃墜作戦が失敗した際に地球を救う、最後の砦として……。
しかし彼らの能力は実効性も信憑性も薄く、屋上には気怠いムードが漂い続ける。
そして投げやりな空気がピークに達した頃、一つの報せが届けられる。
「撃墜作戦、失敗」。
地球滅亡が決定的となった夏の午後に、彼らがとる行動とは……。
(公式サイトより)

2011年にMrs.fictionsが上演した作品を、劇団競泳水着の上野友之さんの演出で、イトーカンパニー所属の方々と小劇場で活躍する役者さんによって再演した舞台。
「世界の終わりは、いつも夏。」という魅力的なフレーズどおり、小惑星が地球に衝突する当日に集められた、へなちょこ超能力者たちの物語だ。
何度もクスッと、あるいは声を立てて笑ううちに、しだいに切なさが胸に積もって、壮大さとは無縁な人々の弱さや孤独が愛しくなる。
観ていて一瞬だけ希望的なラストもありうるかと思ったりするけれど、考えてみれば、彼女の見た未来の光景はありえないものだし、着実に近づいてくる終末を動かすすべはやはりないのだ。
それでも、いや、だからこそ、目の前のささやかな勇気や優しさが大切に感じられる気がした。
初日に拝見した後、脚本の中嶋さんと演出の上野さんによるアフタートークにまんまとつられて、2回目の観劇。
キャラクターそれぞれのバックボーンを踏まえてから観ることで、いっそうせつなく感じられた。
……と、こんな感じの感想を、観てきてすぐにツイッターとかに書いたんですが。
これ以降は、がっつりネタバレありの感想です。公演期間が終わっていても、たいていはある程度ぼかした書き方を心がけているのですが、今回は、野暮なようですがどうしても具体的なことを書いてしまいそうなので、気になる方はご注意ください。
すでに千秋楽を迎えていることでもあり、とりあえずご容赦いただければ幸いです。
屋上にたたずむ少女。高校生らしい制服姿だ。そこに、クーラーボックスを抱えて現れる若い男。
一度観て、彼女の正体(!?)がわかった後にもう一度観ると、2人のやり取りやその後の場面でのあれこれがその正体に配慮してあることに気づいていっそう面白い。(そしてそれがラストシーンにまでつながっていく)
夏の午後。あと2時間ほどで小惑星群が地球に衝突する……かもしれない日。
アメリカを中心に上空での迎撃的な作戦が進められており、成功する確率は99%とも100%とも言われている。軍事力を持たない日本は、資金援助に加えて、国内に潜在する超能力者を集めて隕石の来襲に備えることとなって。
いやいやいや。ありえない。
隕石が落ちてくること以上に、こんなゆるい計画がしかも衝突予定日当日に実行されることの方がありえない、と思う。集まった超能力者の顔ぶれもどうみてもチープでインチキくさい。
しかし、そういうゆるさやチープさは、実は意図的にしかけられたものなのかもしれない。
物語に即して言えば、だれも本気で取り組む気になれないトンデモな仕事を押しつけられた清田が、ようやくこの日に実行に移せた、ということなのだろうか。
いかにもチャラくて胡散臭い宜保と、ティーン雑誌にコラムを書いている霊感主婦というこれもインチキくさい肩書きのユリ。演じるのは倉田さんと亀田さん。このふたりのテンポのいいやりとりが物語を牽引する。
宇宙人を名乗るカゼッタ。今村さんが演じるこの役は、もう反則だと思う。面白過ぎるしチャーミング過ぎる。
屋上に住み着いているホームレスの秋山は、初演で清田を演じた岡野さん。「死に場所を探しにきたみたいなことだ」という台詞が、ドキッとするほど印象的だった。
新興宗教の教祖めいた女 ヤオイとそのマネージャー稲川。岩井さんの演じるヤオイさまの包容力と、金丸さんの胡散臭い虚勢やシスコンぶり、どちらもとても魅力的でハマり役だった。
そういえば、登場人物や会話の中に登場する人物のネーミングが超常現象がらみで統一されていて、そこでもクスッと笑ってしまう。
それにしても、地球の命運を預けるには、どいつもこいつも頼りないことおびただしい。そもそもこいつら、何しに来たんだ、という感がぬぐい得ない。
けれど。
それぞれの過去。それぞれの抱えてきた想いがしだいに明らかになっていく。最期のときに居場所を求めて集まった、行き場のない孤独な人々。
ありえないと言った設定がここへきて必然に変わる。この日、場所でなくてはならなかったのだ、と。
面白いのは、ここでもう一回ひっくり返して、やはり彼らはそれぞれ本物の超能力者だったらしい描写があることだ。
そして、落合さん演じる清田と花影さん演じる魔美。
清田が語る想い。誰かのカモとしての人生。彼の感じてきた生きにくさや報われなさが聞いていて切ない。
そして、その独白の後、最期まで順番が回ってこなかった、と言う清田のために頭を下げる宜保。
この作品中でも特に印象に残る場面だ。
宜保の行動は予想外だった。人をだましたり、うまく丸め込んだりしながら生きてきた彼のような人間が、あの場面で、そういう騙す側の代表として、騙され続けてきた清田に頭を下げる。
その場面は、意外に感じられる一方で、胸が痛むほど愛しく感じられた。
いや、ここで「愛しい」としか書けないボキャブラリーの貧困さが我ながら残念だけれど、この場面で清田と宜保の見せた切実さを、ではなんて呼べばいいのだろう。
絶望と呼ぶには優し過ぎる。そういう、言葉にしきれない想いが劇場を満たした。
そして。
魔美の見た未来の光景は、平和な朝食を囲む清田と魔美の姿だった。このまま隕石が落ちてくればもう夜も朝もこないし、朝飯を食べることもない。彼女の見た未来は、隕石が落ちてこないということを示すのか、と一瞬思いそうになるけれど。
ここで、魔美の正体が効いてくる。明示はされないが、それに近いくらい丁寧に示される彼女の正体は、かつて学校の屋上から投身自殺した少女の幽霊だ。
だから、彼女と清田が朝食を食べる光景は、明日とか10年後とかではなく、人類が滅んで、また生まれて、そうやって転生を繰り返した遠い遠い未来のものなのかもしれない。
迫りくる隕石の気配を感じさせながら、楽観的に振舞う彼ら。いや楽観ではなく諦観なのだろうという気がする。こうして寄り添うように集まった彼らにとって、死や滅亡は悲劇ではないのだ。
脚本/中嶋康太(Mrs.fictions)
演出/上野友之(劇団競泳水着)
出演/
清田:落合モトキ
魔美:花影香音
宜保:倉田大輔
ユリ:亀田梨紗
カゼッタ:今村圭佑(Mrs.fictions)
秋山:岡野康弘(Mrs.fictions)
ヤオイ:岩井七世
稲川:金丸慎太郎
ものがたり/
世界の終わりは、いつも夏。
暑い暑い、夏の一日。
地球には小惑星が接近し、今まさに、各国が連帯した宇宙空間での撃墜作戦が進行していた。
そんな「地球滅亡の危機」が迫っているようには到底見えない、都内の雑居ビルの屋上。
では、一人の女子高生が遠くを見つめ、佇んでいた。
そこに、曰くつきの「超能力者」たちが集まってくる。
万が一、撃墜作戦が失敗した際に地球を救う、最後の砦として……。
しかし彼らの能力は実効性も信憑性も薄く、屋上には気怠いムードが漂い続ける。
そして投げやりな空気がピークに達した頃、一つの報せが届けられる。
「撃墜作戦、失敗」。
地球滅亡が決定的となった夏の午後に、彼らがとる行動とは……。
(公式サイトより)

2011年にMrs.fictionsが上演した作品を、劇団競泳水着の上野友之さんの演出で、イトーカンパニー所属の方々と小劇場で活躍する役者さんによって再演した舞台。
「世界の終わりは、いつも夏。」という魅力的なフレーズどおり、小惑星が地球に衝突する当日に集められた、へなちょこ超能力者たちの物語だ。
何度もクスッと、あるいは声を立てて笑ううちに、しだいに切なさが胸に積もって、壮大さとは無縁な人々の弱さや孤独が愛しくなる。
観ていて一瞬だけ希望的なラストもありうるかと思ったりするけれど、考えてみれば、彼女の見た未来の光景はありえないものだし、着実に近づいてくる終末を動かすすべはやはりないのだ。
それでも、いや、だからこそ、目の前のささやかな勇気や優しさが大切に感じられる気がした。
初日に拝見した後、脚本の中嶋さんと演出の上野さんによるアフタートークにまんまとつられて、2回目の観劇。
キャラクターそれぞれのバックボーンを踏まえてから観ることで、いっそうせつなく感じられた。
……と、こんな感じの感想を、観てきてすぐにツイッターとかに書いたんですが。
これ以降は、がっつりネタバレありの感想です。公演期間が終わっていても、たいていはある程度ぼかした書き方を心がけているのですが、今回は、野暮なようですがどうしても具体的なことを書いてしまいそうなので、気になる方はご注意ください。
すでに千秋楽を迎えていることでもあり、とりあえずご容赦いただければ幸いです。
屋上にたたずむ少女。高校生らしい制服姿だ。そこに、クーラーボックスを抱えて現れる若い男。
一度観て、彼女の正体(!?)がわかった後にもう一度観ると、2人のやり取りやその後の場面でのあれこれがその正体に配慮してあることに気づいていっそう面白い。(そしてそれがラストシーンにまでつながっていく)
夏の午後。あと2時間ほどで小惑星群が地球に衝突する……かもしれない日。
アメリカを中心に上空での迎撃的な作戦が進められており、成功する確率は99%とも100%とも言われている。軍事力を持たない日本は、資金援助に加えて、国内に潜在する超能力者を集めて隕石の来襲に備えることとなって。
いやいやいや。ありえない。
隕石が落ちてくること以上に、こんなゆるい計画がしかも衝突予定日当日に実行されることの方がありえない、と思う。集まった超能力者の顔ぶれもどうみてもチープでインチキくさい。
しかし、そういうゆるさやチープさは、実は意図的にしかけられたものなのかもしれない。
物語に即して言えば、だれも本気で取り組む気になれないトンデモな仕事を押しつけられた清田が、ようやくこの日に実行に移せた、ということなのだろうか。
いかにもチャラくて胡散臭い宜保と、ティーン雑誌にコラムを書いている霊感主婦というこれもインチキくさい肩書きのユリ。演じるのは倉田さんと亀田さん。このふたりのテンポのいいやりとりが物語を牽引する。
宇宙人を名乗るカゼッタ。今村さんが演じるこの役は、もう反則だと思う。面白過ぎるしチャーミング過ぎる。
屋上に住み着いているホームレスの秋山は、初演で清田を演じた岡野さん。「死に場所を探しにきたみたいなことだ」という台詞が、ドキッとするほど印象的だった。
新興宗教の教祖めいた女 ヤオイとそのマネージャー稲川。岩井さんの演じるヤオイさまの包容力と、金丸さんの胡散臭い虚勢やシスコンぶり、どちらもとても魅力的でハマり役だった。
そういえば、登場人物や会話の中に登場する人物のネーミングが超常現象がらみで統一されていて、そこでもクスッと笑ってしまう。
それにしても、地球の命運を預けるには、どいつもこいつも頼りないことおびただしい。そもそもこいつら、何しに来たんだ、という感がぬぐい得ない。
けれど。
それぞれの過去。それぞれの抱えてきた想いがしだいに明らかになっていく。最期のときに居場所を求めて集まった、行き場のない孤独な人々。
ありえないと言った設定がここへきて必然に変わる。この日、場所でなくてはならなかったのだ、と。
面白いのは、ここでもう一回ひっくり返して、やはり彼らはそれぞれ本物の超能力者だったらしい描写があることだ。
そして、落合さん演じる清田と花影さん演じる魔美。
清田が語る想い。誰かのカモとしての人生。彼の感じてきた生きにくさや報われなさが聞いていて切ない。
そして、その独白の後、最期まで順番が回ってこなかった、と言う清田のために頭を下げる宜保。
この作品中でも特に印象に残る場面だ。
宜保の行動は予想外だった。人をだましたり、うまく丸め込んだりしながら生きてきた彼のような人間が、あの場面で、そういう騙す側の代表として、騙され続けてきた清田に頭を下げる。
その場面は、意外に感じられる一方で、胸が痛むほど愛しく感じられた。
いや、ここで「愛しい」としか書けないボキャブラリーの貧困さが我ながら残念だけれど、この場面で清田と宜保の見せた切実さを、ではなんて呼べばいいのだろう。
絶望と呼ぶには優し過ぎる。そういう、言葉にしきれない想いが劇場を満たした。
中嶋さんの脚本に惹かれるのは、こういうところなのだという気がする。台詞や登場人物の魅力はもちろんだけれど、それ以上に、こうやって観る者の心のやわらかい部分に直接響いてくる何かがあるのだ。
そして。
魔美の見た未来の光景は、平和な朝食を囲む清田と魔美の姿だった。このまま隕石が落ちてくればもう夜も朝もこないし、朝飯を食べることもない。彼女の見た未来は、隕石が落ちてこないということを示すのか、と一瞬思いそうになるけれど。
ここで、魔美の正体が効いてくる。明示はされないが、それに近いくらい丁寧に示される彼女の正体は、かつて学校の屋上から投身自殺した少女の幽霊だ。
だから、彼女と清田が朝食を食べる光景は、明日とか10年後とかではなく、人類が滅んで、また生まれて、そうやって転生を繰り返した遠い遠い未来のものなのかもしれない。
迫りくる隕石の気配を感じさせながら、楽観的に振舞う彼ら。いや楽観ではなく諦観なのだろうという気がする。こうして寄り添うように集まった彼らにとって、死や滅亡は悲劇ではないのだ。
