平成26年7月21日(月・祝)15:00~、きらり鎌ヶ谷市民会館にて。
原作/宮沢賢治「風の又三郎」
脚本/高橋亜子
演出/渡辺哲
作曲/飯島優
編曲/沼井雅之
振付/長掛憲司
出演/
一郎:伊藤幸世
嘉助:神谷あすみ
先生、しの笛、フルート、サックス他:小沢剛
琴、チャッパ他:黒木いづみ
三郎:小山雄大
(公式ホームページより(配役は筆者が加筆))
今回も初めての街の初めてのホール。
最寄り駅から3分、と聞いていたが、ホームに降り立つと、すでに会場が見えた。
公共ホールとショッピングモールの複合ビルだ。
その3階にある会場で、この日の上演は行われた。
「Performance Band 響」は、わらび座の中でも特に音楽性の強いグループだ。
舞台上で、さまざまな楽器を生で演奏する。
わらび座得意の和太鼓はもちろん、しの笛、フルート、サックス、琴、
鍵盤ハーモニカ、オカリナ、その他、名前もわからない珍しい楽器もあって。
そういう楽器だけでなく、今回は特に伊藤幸世さんのボーカルが印象的だった。
昨年は『おもひでぽろぽろ』で、少女の役を演じていたが、今回は一郎という少年の役。
物語の語り手として、音域の広い美しい声で少年の心の動きを描き出していく。
強い風の吹く町。
昔、とても強い風が吹いて、町は大きな被害にあった。
そんな、風の音から舞台は始まる。
吹き荒れる風に人々は翻弄され、建物は破壊された。
一郎はその様子を話に聞く。でもそれは遠い昔のこと、実際に見たわけではない。
けれど、いつか再び訪れるかもしれないその脅威は、彼を不安にさせる。
立春から数えて二百十日。大風が吹くといわれているその日に、一人の少年が転校してきた。
転校してきた三郎と、生真面目な一郎やいたずらっぽい嘉助の交流。
嘉助役の神谷あすみさん。
やんちゃで、明るい男の子。
この方の演じる少年のチャーミングさは絶品だと思う。
生き生きとした表情や、元気な身のこなし。
ちょっと気の弱い一郎との対比も印象に残る。
この舞台を観て感じたことがいくつかある。
たとえば。
冒頭で語られる自然の脅威。
ダイナマイトを使って魚を獲る密猟者と少年たちの対峙。
風の脅威と恩恵。
原作にある場面を生かしつつ、自然と人との向き合い方について問いかけていく。
もうひとつ、原作以上に明確に描かれたのは、少年の成長する姿だ。
転校生の三郎に「怖いの?」と言われた一郎が、
強がってみたり意地をはったりしながら、しだいに自分自身の弱さと向き合っていく姿。
ふと、かつて観た同じわらび座の『山神さまのおくりもの』を思い出した。
こちらは、少年ではなく若者が
自分の弱さや自然と向き合っていく物語だった。
その作品を観たのは、自分がわらび座と出会ってまだ数ヶ月の頃。
その頃、気になっていたのは、この劇団のカラーってなんだろう、ということだった。
今になると、それが少しだけわかってきたような気もする。
外部から有名なクリエイターを招聘しながらも、
それぞれの作品にわらび座らしさが感じられる。
それはたぶん、どの作品も実際に形になるまで、
そういうクリエイターと劇団の方々とで何度も何度も話し合いを繰り返すのだろう。
生きることと向き合おうとする勇気。
自然とのかかわり。労働への誇り。平和への願い。
そういう真摯な想いが、若い世代にも伝わるよう描かれている。
いまは、この劇団について、そんなふうに思ったりする。
そして、この響というチームの特長については、さきほども言ったとおり、
多彩な楽器の生演奏、ということだろう。
例えばこの黒木いづみさんの奏でる琴の響き。
ときに凛として、ときに優しく、その音色で物語を綴って行く。
また、子どもたちのひとりとして舞台を駆け回るときの笑顔も素敵だった。
同じく演奏の要を担う小沢剛さん。
篠笛やフルート、サックス、和太鼓など、多くの楽器を鮮やかに操っていく。
劇中で、優しそうな先生を演じながら、子どもたちの鍵盤ハーモニカと合奏する場面が素敵だった。
そしてそこに、三郎の吹くオカリナが加わる。
転校生 三郎役の小山雄大さん。
お父さんの仕事の都合で転校を繰り返す三郎。
どこへ行ってもよそ者なのだと、少し大人びた顔で一郎に言う。
その遠くを見つめるまなざしやキラキラした笑顔が印象に残る。
また、この作品ではダンスも予想以上にたくさん観ることができた。
中でも、いくつかの場面での歌舞を思わせる動きが印象に残った。
和太鼓や歌舞を生かしたわらび座らしさと、
少年たちの心の動きを繊細に見せる演出と。
地方の小さな町で暮らす少年たちが、
転校生の出現で、戸惑い、揺れ動き、そして、少しだけ成長する姿が瑞々しく描かれていて、
観ているこちらの心もゆらゆらと風に揺られるように、動いていった。
三郎の吹くオカリナを聴いていたら、
自分でも吹いてみたくなってしまった。
我ながら単純だと思う。
原作/宮沢賢治「風の又三郎」
脚本/高橋亜子
演出/渡辺哲
作曲/飯島優
編曲/沼井雅之
振付/長掛憲司
出演/
一郎:伊藤幸世
嘉助:神谷あすみ
先生、しの笛、フルート、サックス他:小沢剛
琴、チャッパ他:黒木いづみ
三郎:小山雄大
(公式ホームページより(配役は筆者が加筆))
今回も初めての街の初めてのホール。
最寄り駅から3分、と聞いていたが、ホームに降り立つと、すでに会場が見えた。
公共ホールとショッピングモールの複合ビルだ。
その3階にある会場で、この日の上演は行われた。
「Performance Band 響」は、わらび座の中でも特に音楽性の強いグループだ。
舞台上で、さまざまな楽器を生で演奏する。
わらび座得意の和太鼓はもちろん、しの笛、フルート、サックス、琴、
鍵盤ハーモニカ、オカリナ、その他、名前もわからない珍しい楽器もあって。
そういう楽器だけでなく、今回は特に伊藤幸世さんのボーカルが印象的だった。
昨年は『おもひでぽろぽろ』で、少女の役を演じていたが、今回は一郎という少年の役。
物語の語り手として、音域の広い美しい声で少年の心の動きを描き出していく。
強い風の吹く町。
昔、とても強い風が吹いて、町は大きな被害にあった。
そんな、風の音から舞台は始まる。
吹き荒れる風に人々は翻弄され、建物は破壊された。
一郎はその様子を話に聞く。でもそれは遠い昔のこと、実際に見たわけではない。
けれど、いつか再び訪れるかもしれないその脅威は、彼を不安にさせる。
立春から数えて二百十日。大風が吹くといわれているその日に、一人の少年が転校してきた。
転校してきた三郎と、生真面目な一郎やいたずらっぽい嘉助の交流。
嘉助役の神谷あすみさん。
やんちゃで、明るい男の子。
この方の演じる少年のチャーミングさは絶品だと思う。
生き生きとした表情や、元気な身のこなし。
ちょっと気の弱い一郎との対比も印象に残る。
この舞台を観て感じたことがいくつかある。
たとえば。
冒頭で語られる自然の脅威。
ダイナマイトを使って魚を獲る密猟者と少年たちの対峙。
風の脅威と恩恵。
原作にある場面を生かしつつ、自然と人との向き合い方について問いかけていく。
もうひとつ、原作以上に明確に描かれたのは、少年の成長する姿だ。
転校生の三郎に「怖いの?」と言われた一郎が、
強がってみたり意地をはったりしながら、しだいに自分自身の弱さと向き合っていく姿。
ふと、かつて観た同じわらび座の『山神さまのおくりもの』を思い出した。
こちらは、少年ではなく若者が
自分の弱さや自然と向き合っていく物語だった。
その作品を観たのは、自分がわらび座と出会ってまだ数ヶ月の頃。
その頃、気になっていたのは、この劇団のカラーってなんだろう、ということだった。
今になると、それが少しだけわかってきたような気もする。
外部から有名なクリエイターを招聘しながらも、
それぞれの作品にわらび座らしさが感じられる。
それはたぶん、どの作品も実際に形になるまで、
そういうクリエイターと劇団の方々とで何度も何度も話し合いを繰り返すのだろう。
生きることと向き合おうとする勇気。
自然とのかかわり。労働への誇り。平和への願い。
そういう真摯な想いが、若い世代にも伝わるよう描かれている。
いまは、この劇団について、そんなふうに思ったりする。
そして、この響というチームの特長については、さきほども言ったとおり、
多彩な楽器の生演奏、ということだろう。
例えばこの黒木いづみさんの奏でる琴の響き。
ときに凛として、ときに優しく、その音色で物語を綴って行く。
また、子どもたちのひとりとして舞台を駆け回るときの笑顔も素敵だった。
同じく演奏の要を担う小沢剛さん。
篠笛やフルート、サックス、和太鼓など、多くの楽器を鮮やかに操っていく。
劇中で、優しそうな先生を演じながら、子どもたちの鍵盤ハーモニカと合奏する場面が素敵だった。
そしてそこに、三郎の吹くオカリナが加わる。
転校生 三郎役の小山雄大さん。
お父さんの仕事の都合で転校を繰り返す三郎。
どこへ行ってもよそ者なのだと、少し大人びた顔で一郎に言う。
その遠くを見つめるまなざしやキラキラした笑顔が印象に残る。
また、この作品ではダンスも予想以上にたくさん観ることができた。
中でも、いくつかの場面での歌舞を思わせる動きが印象に残った。
和太鼓や歌舞を生かしたわらび座らしさと、
少年たちの心の動きを繊細に見せる演出と。
地方の小さな町で暮らす少年たちが、
転校生の出現で、戸惑い、揺れ動き、そして、少しだけ成長する姿が瑞々しく描かれていて、
観ているこちらの心もゆらゆらと風に揺られるように、動いていった。
三郎の吹くオカリナを聴いていたら、
自分でも吹いてみたくなってしまった。
我ながら単純だと思う。