平成25年6月29日14:00~、30日14:00~、坊っちゃん劇場にて。

作・演出/横内謙介
作曲/深沢桂子
振付/ラッキイ池田・彩木 エリ

浄瑠璃作曲/竹本葵太夫

浄瑠璃/竹本葵太夫・鶴澤翔也

出演/
平賀源内:神 敏将(劇団民藝)


吉次郎:大沢健(ワイツー・カンパニー)

お千世:鈴木潤子(わらび座)


杉田玄白:森一馬(演劇倶楽部『座』)


田沼意次:柳原悠二郎
小田野直武:海老原良和

お蝶:加藤富子(わらび座)
屁乃花咲太郎・越前屋:近藤誠二
軽業金太・浪花屋:大岩主税
かん平・権太夫:瀧田和彦
からくりクリ坊・ウナギ屋:藤井凛太郎
お三毛:白石悠佳
お寅:小林可奈
番頭:加藤隆


「未来よ、やってこい!」というフレーズが、今も頭の中を繰り返し流れている。


カーテンコールでも使われていた『げんない』の曲。

その「未来」という言葉が、この舞台の大切なキーワードのひとつだ。


貧しさゆえ人買いに売られた少女お千世が、

逃げ出して紛れ込んだ先は、怪しげな見世物小屋。

江戸川乱歩の小説にでも出てきそうな(江戸時代なのにw)、

猫娘・軽業師・せむし男・へび女・屁こき男等々が跋扈するその小屋の中央に立つ、マント姿の人物。

それが、平賀源内だった。


源内といえば、エレキテルくらいしかイメージがなかったけど、こんな面白い人だったの!?


エレキテル・鉱山・西洋絵画・焼き物・織物・熱気球etc
もう、ジャンルもなにもあったもんじゃない、ホントいろいろなアイディアを溢れさせていた人。

でも、それは実は決して気まぐれな思い付きなんかじゃなく、

たとえば、電気という新しいエネルギーの重要性や、

自国で資源を算出することの必要性など、

広く世の中を見通すような、不思議なモノの見方をする人。

普通の人間とはまったく違う、

たとえば空から見る鳥のような視点で、この世を見つめる男。


そういう人として、この舞台では描かれている。

さまざまなものが見えてしまうことでの苦労もあるだろう。
正しいと信じることが、いちいちこれまでの規範や常識とぶつかってしまうのだから。

それでも、見ることはやめられない。

見えてしまうことが正しいと思えば、それをしない訳にはいかない、という源内。


その奇才だけでなく、無邪気さとスケールの大きさの同居する、奇妙に魅力的な人物。

彼に惹かれて集まった、一癖もふた癖もあるげんない一座の連中もまた、

個性的で、才に溢れた人材が揃っている。


秋田の殿様の命で、西洋画法を学ぶためにきた武士の直武。

あぶな絵(色っぽい絵のことね)書きのやくざ者だった、という吉次郎。

西国の出身らしい軽業師の金太。


ナイフ投げを得意とする幻お蝶。

屁こき芸を褒められて、源内に心酔している咲太郎。

銀髪のなまはげ男。

セクシーなお寅とキュートなお三毛の猫娘コンビ。

寡黙なのに表現力豊かなピエロのからくりクリ坊。


出自も事情もさまざまな、怪しげな一座の連中は、
貧しくてもご立派なやつらより幸せだ、仲間がいるからさびしくないと歌う。

そんな一座の連中に助けられ、感謝だけでなくすっかり彼らに惚れこんだお千世。

特に、最初にかばってくれた吉次郎の優しさと絵に対する情熱に惹かれていく。


源内を慕い、その才能を信じる杉田玄白は、

やや眉をひそめながらも、げんない一座の様子を見守り、助力や助言を続ける。


そんな中、米の不作が続き、苦慮する田沼意次に、ある提案をする源内。

彼の夢(のひとつ)だった日本大辞典を作ろう。
挿絵入りで日本の名所や名産品などを載せた大辞典。

作って、それを使って海外に日本という国を売り込み、貿易で国を盛り立てよう、と。


米作だけに頼った経済は、簡単に破綻する。

これからは貿易、それも、諸外国に搾取されるんじゃなく、こっちから日本を売り込むんだ、という。

そのスケールの大きさに、意次は思わずうなずくのだった。

田沼意次って人もねぇ、なんていうか金権政治的なイメージだったんだけど、

幕府の財政難を建て直し、これまでの常識とは違う世の中を作ろうとする、

そういう心意気のある人物として描かれていて、面白かった。


ま、そんな訳で、日本大辞典という源内の大きな夢が実現しそうになり、一同は喜びに浮き立つ。

けれど。

現実のカベが、そこにはあって。


過去は変えられないのは仕方ない。

でも、今というときがこんなにままならないなんて、と吉次郎が嘆く。


過去は変えられない。今もままならない。でも、未来は変えられる。

源内はそう語る。


挫折しても、夢を見続ける。
彼らの夢見た未来は、きっとやってくると。

未来はけっして明るいばかりではない、その半分は暗いのだと、

源内が玄白に言う場面がある。

また、別の場面でエレキテルについて語るときも、
いまは線香花火より小さな火花を放つだけだけれど、
理論上は月よりも明るく輝いて人々を照らし、大きな力で大地を揺るがすこともできる。


そのチカラがよく使われれば人々の暮らしが豊かになるが、

使い方を間違えれば、恐ろしいことにもなるのだ、と。


源内がいう未来とは、なんだろう。
寝て起きて、いくつ朝を重ねても、それが未来とは言えない。

源内の時代から見れば、今は遠い未来かもしれない。
電気は日毎夜毎世界を照らし、さまざまなものを動かしていく。

『げんない』を観たあと、松山空港から飛行機に乗ったときに思った。
あ、私いま空飛んでるじゃん!

吉次郎は、人が空を飛べるかどうか、という議論がきっかけで源内と出逢った。

お千世は、その人が空を飛べる!という話題が大好きだった。

空を飛ぶことは、きっと長い長い年月、人間の夢だったはずだ。
叶うはずなどないと、そう思われてもいただろう。

それでも、源内が飛べるといえば、一座の仲間をきっとそれを信じた。

日本がまだまだ閉鎖的で、身分の上下も歴然としてあった時代。

貧しい農家の少女は売られ、

河原者の命は馬の首より軽いと言われ、

武士と庶民が同じ人間だなんていえば、それだけでお手打ちにされたかもしれない。

でも。

解体新書を翻訳するために、死罪になった盗人を腑分けしたとき、
玄白が見たのは、外国の本にあった図と、寸分たがわぬ人の内部。

日本人も外国人も同じ。
そして、武士も盗人も同じなのだ。

それを言葉にすることのできない時代。

田沼意次の時代に、商人がチカラを持ち、

それまでの時代の規範が揺らいだその隙に咲いた仇花、

それが平賀源内だったのだろうか。

いや、仇花ではない。「源内は種をまいたのだ」と玄白はいう。
武士の身分を捨て、全国各地を歩き回り、

日本中に科学や文化や、さまざまな新しい時代の種をまいたのだと。

時代の荒波に耐え、その種にうちいくつ花開くことができるのか。


田沼の失脚が迫り、また古い規範に縛られる暗い時代の予感を感じながら、
それでも、夢を追い続ける源内。


いつか、人が自在に空を飛び、

武士も百姓も商人も、身分の差などない、そういう時代が来る、と。


彼の夢見た未来は、やってきたのだろうか。



……という感じで、あらすじめいたモノを主観込みで、つらつらと語ってみました。


ネタバレご容赦。(←先に言え!)

でも、それほどひどいネタバレじゃないよね!?特に後半の具体的な展開には触れてないし。


それに、ちょっとくらいのネタバレでつまらなくなるような、ヤワな舞台じゃないのです。

もうホント、見どころが多過ぎて、キョロキョロしてしまうような、盛りだくさんな舞台。


たとえば、美術も素敵です。


舞台の背後に、3つの階層になった高さのあるセット。

扉座ファンなら、『ドリル魂』のときのイントレをちょっと思い出すかもしれません。

でも、イントレどころではない、しっかりした三層の舞台となっていて。


その背後の3層の部分を活用することで、舞台上の空間が立体的に使われています。


しかもそれがマス目状に分かれて、その部分部分で別の場面が演じられたり、

さまざまな絵が現れてそのマス目を覆ったり、いろんな動きが加わります。


また、開演前や休憩中、客席やロビーに登場するピエロのからくりクリ坊。

そのパントマイムの面白さや、観客とのからみで、

舞台が始まる前から、人々の関心を惹きつけます。


軽業師の金太が、

いろんな場面で惜しげもなくアクロバットを見せてくれたりもしますし。


浄瑠璃仕立ての場面の凝り具合も見どころのひとつだったり。


物語の終盤には、歌いながらの殺陣、という場面があって、

これはもう、何のショーなんだ!?と思うような、キメキメのカッコよさで、

観ていてとても気持ちがいいのです。


もちろん、ダンスも歌も見どころたっぷりです。

そうだ、振付はラッキィさんとエリさんだった!と観ながら思い出しました。


扉座ファンにもわらび座ファンにもすっかりお馴染みの
ちょっとコミカルで、でもカッコよくて楽しい、ワクワクするようなダンス。

深沢先生の楽曲も耳に馴染み、思わずクチずさんでしまいます。


個性的なキャスト陣を観るだけでも、遠征した甲斐があったと思うくらいだし。


それぞれの衣装も(着替えも多くて大変そうですが)、役の印象や物語のイメージを強めます。


でも。

ひっくり返ったおもちゃ箱みたい、と

どなたかがおっしゃっていた、そういう素敵な舞台ですが。


観終わって印象に残ったのは、色鮮やかなさまざまなアイテムや見事な芸以上に、

人々が語るたくさんの言葉でした。


源内が語る未来を見つめる言葉。

玄白が源内の才を惜しみ、案じる気持ち。

げんない一座の人々が語る自由や仲間への想い。

田沼意次や越後屋の、あるいは源内の故郷の人々の、それぞれの立場からにじみ出る言葉。


そういうたくさんの言葉。


言葉が想いがをつづり、想いが交わされ、

そうやって物語を、そこで生きる人々を描き出していたと。


私には感じられました。


特に後半やラストにかけての源内の多くのセリフは、

それぞれに印象的で大切なフレーズがとても多いのです。


きっと、彼はこうして種を蒔いていったんだろう。

あとから、そんなふうに思いました。


彼の発明や提案が、すぐさま人々の暮らしを変えたわけではなくても。

そうして蒔かれた種が、未来に向かっていくつ芽吹いたか、いくつ花開いたのか。


そういえば劇中、お千世と吉次郎の恋とからめて、ひとつの花が登場します。


吉次郎が源内から受け取り、お千世にやった球根。

彼女が大切に育てた球根は、やがて日本で初めてのチューリップの花を咲かせます。


それは、未来に向けた希望の象徴。


ラストに源内がまわすプロペラ?竹とんぼ?(←竹じゃないけど)

それもまた未来への希望。


カーテンコールでの「未来よ、やってこい!」のメロディと、

並んだキャストの背後に見える、摩天楼の灯と。


観終わって、観客の胸に残るのは、そういう希望の明るさなのだ、と感じるのです。



あ~、あいかわらずの長文でゴメンなさい。

長くなりすぎたので、お写真入りでのキャスト紹介は、また改めて明日にでも。


ではまた☆