「ジャズと映画とベースボール」94 ビリー・ホリデー | JAZZ&Coffee kikiのブログ

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今に名を残すモダンジャズのミュージッシャンには、悲惨な末路の者が少なくない。アルコールや薬物で命を縮めたとか、女房に撃ち殺されたとか、ハドソン川に浮いていたとか、若くして命を断つ(断たれる)話をジャズ本からよく仕入れた。

ビリー・ホリデイは1959年に44歳で亡くなるが、およそ生涯にわたって災厄がつきまとう生きざまだったように思える。油井正一と大橋巨泉の共訳「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝」(1972 晶文社)を読み、ダイアナ・ロスが演じた映画「ビリー・ホリデイ物語」(1972 S・J・フューリー)を見て、多少誇張があったとしても彼女の身に起きたことの壮絶さがよく分かる。人種差別、薬物禍、売春、その他、それこそ地べたを這いずり回って生きたように思える。それにしても、そんな状況下でジャズ・ヴォーカルの世界に確たる地位を築いていくのはなぜなのだろうか。あるいは死後に神格化されていくのだろうか。

例えば刹那に身を任せた人生を歌に投影させ、聴く者の心に響かせたからだろうか。終生、人種差別と戦った不屈の魂を、聴くものが感じ取るからだろうか。「Body and soul」を聴き、「Don't explain」の歌詞の意味を確かめ、「Strange fruit」の悲惨な背景を想像してもなかなか核心には到達しない。それはそうだと思う。簡単に想像するだけで彼女の歌に込めた思いを理解したと思うのは、あまりにもうかつすぎる。だから、できることはレコードから流れ出る声の背景を思い、込められた魂を感知するべく神妙に聴き入ることしかない。ビリー・ホリデイに向かうとき、いつもその限界を思い知らされる。(12月26日)