【舞台演出家 小池博史 ロングインタビュー その4】
小池作品は時々「どう解釈してよいかわからない」「どんなふうに見ればよいのか?」という質問を受けることがあります。今回は舞台作品の観かたについて、そして舞台創作の仕方について聞いてみました
【interviewer kazue】
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Q : 舞台作品は全感覚的、全包囲的に見る。そして、本来持っている野生を働かせる作業でもあると話していましたが、野生とはどういうことですか?
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「なぜ、子どもたちに僕の作品がうけるのかということなんだけど。子どもたちというのは知識ではものを見ないんだよね、これは何か?では見ない。自分たちの衝動でものを見ている。僕もそうなんだよね、たぶん、僕自身も3歳児みたいなところがある。
衝動的なこと、もともと持っている命の力みたいなもの。
たぶん、そういうことに触れる機会があると見えてくるんだよね。それはでもどんどん失われていく。知的になってしまった頭で、見ることができるだろうか。そして、知的になったように思えても、ほんとうに見えているかはわからない。
つまりそれは生命力を失っていってしまったということ。
命って何か?やっぱり心の琴線に触れることなんだよね。
知的というのは、心が喜んでいるわけじゃなくて、頭が喜んでいるだけなんだよね。それは単に、自分が自分の人生で培ってきた歴史に対して追認識することだから、たしたことじゃないなといつも思っている。
音楽ってもっともいい例だと思うんだけど、感覚的なところにダイレクトに響くじゃないですか。納得して、ああ、いいなと思うわけじゃない? 映画とか舞台もそうだと言えるんだけど、どうしても人は知ったかぶりで見てしまうところがあるんだよね。
そこで大事だと思うのは詩性ということなんだ。」
Q:小池さんはその場所が与えてくるものと対話しながら舞台作品を創作するという話を聞きましたが、どのようなことですか?
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「今、香港で制作・稽古をしている『2042世界望郷の旅』という作品を上演予定だった場所は、いわゆる牛小屋だったんだよね。そこでやろうとして台本を書いていた。あくまでもそこで上演するために、いろいろ感じ取りながら台本を書いていた。
さらにその場所は、かつて日本軍が支配していたんだ。牛小屋だったのはそのずっと前なんだけど、今もその痕跡が残っているんだよね。そんな古い建物に時間が堆積している。
そこから何らかの影響を受けながら、『2042世界望郷の旅』をやろうと思っていたんだ。
そういう時間の堆積とリンクしてひとつの舞台にしようと思っていたんだけど、今回のコロナウイルスの影響で使えなくなってしまった。だから上演を1年延期することにしたんだ。別の場所でやるならばやりたくない。だから延期にしてもらったんだ。
そのくらい場所というものは重要なんだ。
例えばある場所がある。
そこで何が感じられるか、最初に空間によって規定されてくるんだよ。空間があるから、そこでどんなものをやるかを発想できる。だから、対話というよりは一方的に受け取っているんだよ。そこにある時間の堆積、それが創作させてくれるんだよ。」
インタビュー5に続きます