【小池博史ロングインタビュー その2】
小池博史が育った茨城県日立市。
この町を出て、海を越えて、自分の知らない世界が見てみたい。
そんな欲望のかたまりだった少年時代。
日立製作所によって産業が盛隆していく中で、
ひっそり衰退していく炭鉱業などの姿を子どもながらに感じていた。
そんな時代を経て、舞台芸術の世界の扉を開くきっかけになった安部公房の舞台作品。
どんなときにも型にはまりたくない小池博史にその作風は刺激を与えました。
「賑やかだった日立の町」
今の日立はかなり寂れているけれど、あの当時は逆。茨城県内だと一番人が流入していた町で、とても活気があったんだよ。どうしてかというと炭鉱業も盛んだし、日立製作所もあるし。
工場労働者というのは当時、花形に近い職業だったんだよ。そういうことでいえば、
やっぱり今の姿と当時の姿はまるっきり違うね。
銀座通りというのがあって、今はもうシャッター街なんだけど、あの頃はすごく栄えていたし。
「ある日突然転校していた炭鉱夫の親を持つ同級生」
でも東京オリンピックが終わったころかな、小学校6年の頃だから。
そういう時代になっていくと、もう炭鉱業では成り立たなくなってきていんだよね、産業構造が。日立製作所がグイグイ伸してきて。でもそのうち日立市が衰退して、水戸が衰退してきて、一方でつくばがどんどん出てくるというのを見てくると、茨城県内でも随分変わってきたなと思うね。
原信夫ととシャープス&フラッツ(1951年に結成された17人編成のジャズ・ビッグ・バンド)が来ていたのはよく覚えてる。小平会館という日立製作所の創始者が小平浪平というのだけど、その人の記念会館でそこではよくコンサートをやっていたね。
日立もそうだけど、既得権益を得たところはやっぱり駄目になっていくよね。
実家は労働組合の家なので、まあ、学歴云々に関しては嫌っていたね。うちのじいさんは労働組合委員長だったし、日立製作所の初代の組合長だから。そうすると権力を持つ人のこととかはあまり好きじゃないよね。そういう家だったなあ。
「大嫌いだった演劇と舞台芸術に開眼させた安部公房スタジオ」
演劇が本当に好きじゃなかった。
あるいは全部セリフで語ろうとしているところとか。全部説明しちゃうところとか。だったら本を読めばいいだろうと思うし。ただ単に言葉を舞台に落とし込んでいく舞台というのはほとんど意味をなさないと思っていたので。
そういうのを高校生くらいまで観せられるわけなんだけど、なんでこんなものをと思うくらい嫌いだった。そうではないものをみせてくれたというのが、安部公房スタジオだったんだよ。
バレエというのはこういうもの、ダンスはこう、という風にそのものの鋳型でものを観ていくということがあるじゃないですか。僕は昔から鋳型、型にはめられたくないという性格で。親は相当大変だったと思うけど。
型にはめられそうになるとだいたい、かなり反抗もしたね。高校生くらいのときから親は「こいつはどうしようもないな」と思っていたと思うんだよね。
だから、何かやろうとしたときに親から反対されるということがないわけ。アドバイスも聴かない。話をしようとすると喧嘩になっていく、と。子どもの時のことでよく覚えているけど、言うことを聞かなくて物置に閉じ込められるわけ。そうすると聞かん気が強いから物置をぶっ壊してしまう。
何かこういうふうにしろとか、こう在れと言われるのは本当に嫌いだったなあ
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