【舞台演出家 小池博史ロングインタビュー】
メルマガ担当者の佐藤一恵さんが小池博史のロングインタビューを行いました。
何回かにわけてみなさまへお届けしていきます!
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2月15日に開催いたしましたワークショップにはたくさんの
ご参加を頂きありがとうございました。
演出家 小池博史に初めて会ったという方、
作品は観たことがあるけどどんな演出家なのかはわからないという方も
おられたかもしれません。
小池博史はどんな背景を持ついかなる人物なのでしょうか
ワークショップの翌日、4時間のインタビューを行いました。
その中で語られた言葉を、少しずつご紹介いたします。
まずは生まれ故郷、茨城県日立市での子ども時代の話から・・・
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「うまいものが喰いたい、そして海の向こうに行ってみたかった子ども時代」
小学生の時は料理人になりたくて、中学生になると船乗り。中3くらいからは建築家になりたくて、同時にジャズも好きになって。ジャズのプレイヤーは無理だろうと思っていたから、ジャズの評論家になろうと思っていた。つまり、書き手ね。
小学校の頃はね、欲望のかたまり。
もう、食に対して。うまいものが喰いたいという。うまいもの食うなら自分で作った方が早いだろうというようなところがあった。それはひとつにはうちの母親とばあさんが昔、食堂をやっていたんだよね。だからそういうことも料理人になりたかったことに影響していると思うね。
でも、その料理はそれなりにはうまいんだけど、もっとうまいものができるだろうと思っていたんだ。そういうことが影響しているね。人が食べて喜ぶ姿がみたい、とか。
一方でじいさんと父親は日立製作所の社員で。もともとは母親も社員だったはずなんだけど。僕は工場労働者になりたいとはまったく思わなかった。やっぱり自分が喜ぶような、楽しくなるようなものが食えるということにはすごく興味があったからね。
「はやく脱出したかった茨城・日立という町」
うちの周りというのは山と海に囲まれていて、海の向こう側に行きたいということは子どもの時から思っていたかな。海の向こう側に行くにはどうしたらいいいかな、という気持ちの表れが船乗りになりたい理由だったんだよね。
その場(生まれた町)にいたいとはまったく思わなかった。
寺山修二が線路の果てに向こう側を感じたんだとすれば、僕は海の向こうだったんだよね。
海の向こう側に行くには船乗りがいいだろうと子どもの時に思い込んだんだね。見たことのないもの、人が喜ぶものに対して何かしたい、という欲求は強かったんだと思う。
あとは自分が見たことのない世界がみたい、感じたことのない世界が見たい。
日立という場所は、やっと30過ぎてからは面白いと思うようになったけれど、その前までは非常に閉塞的でつまらない場所だなと思っていたんだ。閉じ込められたような場所というのかな。
日立っておもしろいのは、山の方に行くとわかるんだけど、ぐるっと山が取り囲んでいて、たどっていくとこう、水平線があって。その水平線が途切れると山に繋がっていて。山が途切れるとまた海に繋がっているんだよ。
地形が語っているようなところがあったよね、何か閉じられているような印象があった。そういう閉じられたような場所で生きてきているから、そこからどう脱していくか、ということが子どものときからの強い欲求だったよね・・・
小池博史が学長!
⭐️P.A.I2020年度生徒募集中⭐️
オーディション日程
4月6日(月)
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公演情報
小池博史の集大成!
完全版マハーバーラタ~愛の章/嵐の章
2020年 7月4日〜7日
なかのZERO 大ホール
【特設ホームページ】https://mb2020.info
(近日公開予定)
【漫画版マハーバーラタ】Instagram:@kikh_mb