職場で先輩の機嫌を悪くさせてしまった私。
原因は自分にあるのですが、あやまっても「許さん」と言われ、今は完全に無視される状態が続いています。(無視されても私は普通に明るく接していますが・・・)
その先輩は私以外の人の歓心を買う言動がやけに目立つようになりなりました。
心ある先輩や同僚から、こっそりと「大丈夫か?」と声をかけてもらえるのが何よりの救いです。
あのとき、こうしておけばよかったとか、なんでこういった態度をとられるのかなどと相手のことを考えると気分が落ち込んでしまいます。
嫌なことを考えるのは無駄だと思いますが、頭がモヤモヤ。
面倒な人、厄介な人のことが頭から離れない。
人の不幸は蜜の味、人間が出来てない私はその先輩が困っていると、それ見ろと思ってしまったり、何か起こって仕事にこれなくなればよいのになどと思ってしまったりします。(心の中で思うだけですが・・・)
しかし、それは良くないことなんでしょう。
以前に読んだ「神さま仏さまが教えてくれた 迷いをすっきり消す方法」という書籍に影響されてます。
怒りや嫉妬、恨みが湧いてきても、「こんなことを思ってはいけない」と自分を責めたり、見て見ないふりをして無理にやり過ごしたりしなくてもいい。
悲しみや怒り、どうしようもない気持ちは心の中で孔雀明王さまに聞いてもらい、そしてその毒を孔雀明王様に食べてもらおうと「おんまゆきらていそわか」と唱えてました。
孔雀明王さまは愚痴などの毒を食べて浄化してくれる仏さまだそうです。
(上記の書籍から学びました)
こんな状況の中、寝る前の読書で小説の中の世界に没頭しているとき、そして寝てるときだけが一番幸せと思える時期が続きました。
そんな状況の中、前述の書籍の内容が頭によみがえり、困ったときの神様仏様。
家の近くに大きな岩がご神体の神社があります。
たぶんその大きな岩は文字がまだなかったであろう太古の昔、神社がなかった時代から地元の人の信仰をあつめてきたと思います。
そんな神社は神聖なエネルギーに満たされているはず。
深くは考えずに、その神社に行き、「祓え給い(はらえたまい)、清め給え(きよめたまえ)、守り給い(まもりたまい)、幸え給え(さきわえたまえ)」と唱えながらお参りしました。
邪な気持ちを持った私の穢れを祓っていただき、人として清めてもらい、さらには神様に守っていただき、幸せに導いてくださいと祈りました。
それだけのことですが、なぜか心が落ち着きました。
そしてその神社の中には、神様だけではなく不動明王さまも祀られています。
不動明王さまにもお参りし、「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだんまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん」と三唱。
高野山 真言宗 龍王山 大師寺さまの不動明王 御真言 七遍を参考にさせていただき、何度も見て唱えて覚えました。
意味は不動明王さま。迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。所願を成就せしめたまえ。
こちらも前述の書籍(神さま仏さまが教えてくれた 迷いをすっきり消す方法)から得た知識です。
不動明王さまに守られていると信ずることで、お参りした後は、心が落ち着き、人はひと、自分は自分と思えるようになりました。
何より
自分には神様仏様がついているんだと
思えるようになりました。
ものすごく感化されやすい私です(笑)
そう思えたことで、私の心の中はご神仏が大きくなり、嫌なことを考えることが少なくなりました。
一緒に仕事をしていても、その先輩のことをあまり意識しないようになれました。
何かを思い悩んでおられる方、ぜひお近くの神社へ行ってみてください。
心身を浄化するために「祓え給い(はらえたまい)、清め給え(きよめたまえ)、守り給い(まもりたまい)、幸え給え(さきわえたまえ)」と唱えてみてください。
悩みやストレスが静められ、心安らかに過ごせるようになるかもしれません。
目に見えない力を信じて行動してみてはいかがでしょうか?
後日譚===
最近は、無視し続ける先輩を私自身は気にならなくなりましたが、逆に先輩は意識をもって無視しておられるだろうから私がイジメているのではないかと少し心配になってきました。