『この世』と『あの世』の人々は、それぞれ 住んでいる"次元"が違う?ので、偶然に相席したかたちで隣り合わせて座っていても直接に会うことはない???
ただ時々、何かの拍子に、だれかとすれ違ったような感覚や、気配を持つことはある。
もう少し穿った言い方をすると、『この世』は地上の24時間を支配し、『あの世』は地下の24時間を支配している?ということであろうか。
『往生要集』(源信著)によれば「地獄は立体的であり、縦の世界である。」
仏教の世界観でいうところの、人間の住む世界―「贍部洲」(せんぶしゅう)の地下1000由旬(1由旬は14.4km)付近に第一の地獄―「等活地獄」があり、罪人たちは〝逆さ吊り〟のスタイルとなって、頭を下に、第1から第8の地獄までゆっくりと下がっていく。
途中、「等活地獄」にとどまる罪人たちは生前、動物や人を殺生したものたちである。
仏教では、一般の信者が五戒を定めているが、その中でも殺生戒はもっとも罪が重い。
自らの手で、人間の命を奪う行為はもちろんのこと、自らが手を下さないまでも、死を示唆しただけでもこの罪が適用される。この地獄に堕ちた罪人たちは、自分たちが生前に殺した生き物たちが受けた苦しみを同じように受けるようになる。
罪人たちはお互いに敵愾心(てきがいしん)を抱き、お互いに襲いかかり、それぞれの手の爪で、血肉がなくなり、骨だけになってもお互いに引き裂きあう。
ようやく相手を倒したとしても、たちまち獄卒たちによって鉄棒や刺股でずたずたに引き裂かれる罪人の体を粉々に潰したり、鋭利な刃物で魚をさばくようにきりさいてしまうのは獄卒たちのもっとも得意なところである。しかし、苦しみはこれだけでは終わらない。罪人たちの肉体が消滅したとしても、どこからか涼しい風が吹くと罪人の体は元に戻り、またまた同じような殺戮が繰りかえされるのである。「活」「活」という声が聞こえてきても同様である。
等活地獄には、東西南北に四つの門がありその門のそとには16の「小地獄」(別所)が付設されている。
すなわち、
1.屎泥処
2.刀輪処
3.瓮熟処
4.多苦処
5.闇冥処
6.不喜処
7.極苦処
8.衆病処
9.両鉄処
10.悪杖処
11.黒色鼠狼処
12.異異回転処
13.苦逼処
14.鉢頭麻鬢処
15.陂池処
16.空中受苦処
両刃の剣が雨のようにふりそそいだり、闇火(あんか)で焼かれたり、釜で炒られたりする責め苦がまちかまえている。
現世においても、「地獄」のような拷問や刑罰は多々存在している。
いやその残虐性、過酷性は、「地獄」を上回る凄まじいものがある。
国内においても、古代から現在にいたるまで、人間が集団を作って生活する過程において、ありとあらゆる犯罪が存在し、それを防止するという口実の下に過酷な刑罰が発明?され、
それに比例して拷問という名の残虐な攻め方が生まれた。
徳川幕府下二百数十年間において、「徳隣厳秘禄」ほど、刑事関係資料としてすぐれた資料は他に類をみない。これらの資料等を〝死罪〟を中心に、「刑罰」の残虐性についてふれてゆくが、現在執行されている「刑事法」第26章第199条殺人の罪による死刑―を含み人間は、国の内外を問わず、実に残酷である。サディズム、マゾヒズムも顔負けの残虐性を持つ「刑罰」に、読者はどこまで耐えられだろうか?
古代の人びとは、違反行為を認定した場合、罰は①物納によって決済②身体の加虐によってつぐなうの二点に絞って実行された。古くは「古事記」や「日本書記」によっても明らかである。
たとえば「古事記」によると、「イザナギノミコト」の妻である「イザナミノミコト」が「ヒノカグツチノカミ」を生んだ時、その火によって陰部(ほと)を焼かれて黄泉国(よみのくに)に旅立ってしまった。「イザナギノミコト」は妻を慕うあまり、黄泉国を訪ねる。妻は死後の世界にまで迎えに来てくれた夫を喜び迎えたが、現世に戻るには、夫の迎えがあまりにおそかったため黄泉国の食事を十分に食べてしまっていた。
この段階では現世に戻るには、それなりの手順を踏んで身体を清めなければならない。
妻は夫に対し(しばらくの間、私の姿を見ないでほしい」とくれぐれも頼んでいたにもかかわらず、夫はあまりにも長い時間待たされることに耐えられず、とうとう妻のいる場所を覗いてしまった。そこにはなんと、以前の美しい妻とは似ても似つかぬみにくい姿があった。
百年の恋も一度にさめてしまった夫は、黄泉醜女(よもつしこめ)などに追いかけられてながら、」ようやく現世との境界にある黄泉良坂(よもつひらさか)のふもとまで逃げのびたのである。ほっとしたのもつかの間、妻が恐ろしく醜い姿で突き進んでくる姿を目撃した。
夫はとっさに、かたわらの大岩を転がして黄泉良坂の中ほどに引きすえ、道を遮った。
そしてその大岩を挟んでイザナミノミコトに向かい「これを限りに夫婦の契りを解く」と夫婦離別の呪いの言葉を吐いたのである。妻を慕うあまり、」禁忌を犯して姿を覗いた罪がイザナギノミコトにあり、さらに死後の世界に踏み込んだけがれに対する罪を清めるために、イザナギは、筑紫の日向の流れで身をきよめ、禊をした。
これらの違反行為としての罪にたいして、穢れを落とす方法が罰であり、古代では、物によって済ます方法と身体刑の二通りがあった。『延喜式』巻八の「大祓の祝詞」(おおはらいののりと)には天津罪(あまつ)、国津罪(くにつ)があり、
生虐断(いきはだだち)=人の皮フを斬る傷害罪
死虐断(しにはだだち)=人の死体を斬る損傷罪
白人(しらひと)=何か罪を犯したことが原因で白斑病にかかる
胡 久美(こくみ)=いぼやこぶ、象皮病。
何か罪を犯したために病気となった
近親相姦
獣姦
昆蟲(ほうむし)の災=蛇やむかで、いなご等の害を受けるのは
何か罪を犯したからとされた。
高津鳥の災=鳥害
畜生倒(けものたおし)=みだりに動物を殺す
姦物為罪(まじものせる罪)=呪術、妖術をもって人をたぶらかす。
国家が形成されてからは謀反、大逆、殺傷、盗奪、義務違反も罪に問われることになった。
ついで唐の律令制をまねた大宝律令が定められ、焚殺(ふんさつ)、投火(火罪)、斬刑、流刑唐がおこなわれた。
(つづく)
見所
・黄泉国比良坂=島根県松江市東出雲町
・極楽浄土=平等院鳳凰堂
・畜生道=動物園、水族館