閻魔 「それで?」

篁  「常嗣大使が乗っていたのは、われが大使に献上した『天の釣舟』である。」

閻魔 「大使だけが転落したのであろう。夜間、それも凪の玄界灘だ。星空を見上げて

     物思いにふけっているうちに、自らの行く末をはかなんで海に転落したのであ

     ろう。

     いわゆる自死である。」

閻魔 「今頃は無数の魚に喰いつくされて骨だけが残り、海底に沈んでいるにちがいない。

    それなのにいささか問題があるとはどういうことだ。篁、有体に申してみよ。」


閻魔大王は、目の前に置いてある「閻魔帖」(鬼籍簿)をみながら「『浄玻璃の鏡』を映し出せ」 と補佐官に命じた。


「常嗣大使はわれが副使として乗り二回とも遭難はしたが、何とか生き延びた運の強い持ち船を、『正使の船として使うから差し出せ』といってきたのだ。」
 

代わりに前回の暴風雨で破損した常嗣大使自身の船を下賜する、という。

つまりわれの船と交換しようというのだ。正史は、その船を修理して「乗れ」といっている。

ずいぶん無理な話だが、われはこの提案を断ることができなかった。
 

なぜならば大使の提案は帝の命令そのものだ。

どうしてわれがこの提案を断ることができよう。

藤原常嗣は『飛ぶ鳥をも落とす勢いの藤原一族の北家であり、彼もすでに二回渡航に失敗している。』今回はなんとしてでも唐に渡らなければならないという事情があった。
そのため正史は、われが二回乗って二回遭難した舟を差し出せ、というのだ。
つまり新造船に乗船するより『篁の強運』を利用しようとする魂胆なのである。
 「われとて、『天の釣り船』の強運を利用したくないといったら虚言であると言わざるをえない。

しかし帝の命令に反したということになったらとんでもないじたいとなる。
そこで泣く泣く正史に船を譲る心境になったのであるが、このまま泣き寝入りしては天下の小野篁の顔が廃る」

 

「またあまりにも強引なやり方にはいささか腹の虫がおさまらない。」
そこでわれは一計を案じ『病いを得たので副使を辞退したい』と願って帝から許しをえたのだ。
『そこまではよかったのであるが、正史の藤原常嗣が玄界灘で行方不明となり、宮廷の口さがない人々は、篁が冥界の友人―閻魔大王に依頼して正史の寿命を縮め、報復したのだ、とのうわさが飛び交い、われもそれにはほとほと迷惑している。

近頃は弁目のためしばしば朝廷に出向き、理を尽くして身の潔白を明らかにしているのであるが、肝心の帝は、われが船のことで正史と争っていたこともよくご存じで、帝はそのことでもわれに怒りをお持ちのようだ。』

隠岐に流されるのは必定のように思われる。

 

篁「大王、貴殿はもしやわれとの友情から常嗣大使の行為を罰したのか」
閻魔大王はからかからと笑い、
「もし、われがこの件でなにか策をろうしたということであれば、

鏡にも映っているであろうし、われも舌を抜かれる仕儀にになるではないか。
閻魔が舌を抜かれることなどシャレにもならぬけっしてあってはならないことだ。」


「浄玻璃の鏡にもなんら不審なことはおこっておらず、しかも寿命より15日も経過しての死であり、これはわれのささやかな恩情のあらわれと思ってほしい。
休暇だと思って隠岐に滞在するのも一興であろう。歌でも詠んで過ごしたらどうか。
毎年八月七日から十日までの四日間、おこなわれる『六道まいり』と称してそなたが『迎え鐘』でも打てば常嗣も「六道まいり」が表看板の六道珍皇寺に姿を現すことができよう。
そこで常嗣自身の口から真相を聞くがよい。

 

小野篁は遣唐副使に任ぜられるも、正史藤原常嗣が前回の風雨によってこわれた自身の船を、篁の船と交換したことを不服とし、「病いを得た」として乗船しなかった。

勅命に反した篁は嵯峨帝の怒りを受け、承和5年12月、隠岐に流罪となった。


わたの原 八十島かけてこぎいでぬと 人には告げよあまのつりぶね

                                            小野篁

 船出の孤独感・哀愁感がにじみ出ている。


出典
古今集・九「隠岐の国に流されけるときに船に乗りていでたつとて、京なるひとのもとへ

つかはしける
     「小野朝臣和漢朗詠集」
  ――――教科研究者――――