地獄の裁判所は戌の刻から寅の刻まで、すなわち現在の午後九時から翌朝五時までが勤務時間である。

 

注:地獄とは、サンスクリット語で「地下の牢獄」を意味するナラカ、またはニラヤという言葉が語源となっている。ナラカは「奈落」とも訳される。

 

小野篁は閻魔王庁の正面玄関にいた。

篁を見知っている者もいるとみえて、その都度、律儀に挨拶を交わしている。

ここは死後35日目(五七日)の五審「閻魔王庁」である。

 

「無仏世界」と言われているこの場所―「閻魔王庁」

 

「閻魔王」は「地蔵菩薩」の化身であり、したがって閻魔王庁は”無仏”ではない。

「地獄の冥王」閻魔王の素顔が慈悲深いお地蔵様であると思うと、子供はもちろんのこと、

大人でもぞっとしそうな形相の「冥界の王」の顔が、よく見ると笑っているように見える?

のだが・・・。

 

「往生要集」によれば八大地獄の横に、同じく等分に立ち並んでいるのが八寒地獄である。

八寒地獄についてはいずれ詳しく説明するが、「八大地獄プラス八寒地獄」が地獄の全てであると考えてよい。

広島県の重要文化財に指定されている「篁山竹林寺線起絵巻」には詞書に「八寒地獄」の詳細が記されている。

 

篁を見ていた閻魔王は、われ鐘のような声で

「小野篁、このような夜更けに、閻魔庁に何の用だ」と叫んだ。

篁は女性の「倶生神」がすすめる椅子に腰をおろし、閻魔王を睨みつけた。

篁「すぐる承和五年十月三日、遣唐大使藤原常嗣が玄界灘を航行中の遣唐正使の船から

海に転落して行方不明となった。」

 

その船―「天の釣舟」は、われがこれまで二度ほど乗った舟であって、難破はしたものの、

二回とも乗員ともども須磨の海岸にながれついた運の強い舟であった。

今回も海は荒れていたものの、乗組員や使節団に、大使を除くと死傷者は一人もいなかった。

つまり犠牲者は藤原常嗣大使ひとりにとどまったものだから、朝廷では

「小野篁と争っては藤原大使に小指ほども有利なことない。

しかも小野篁は冥界の覇者「閻魔大王」の友人というではないか。

篁は自分の舟を取り上げるために、帝に訴えた大使を自らの手で罰したのではないのか。」

との噂がもっぱらであった。

 

                                                   つづく