家来は弓をかまえきりりとしぼり、光空に向けて矢を放った。

しかし、その矢は僧光空にあたらず、光空の傍らに落ちてしまった。

 

兵平介曰く、「やや珍しや失敗したではないか、何を恐れている」と。

 

家来はふたたび矢をかまえ、射るが、矢はまたもや光空の身体にはあたらず

その傍らに落ちてしまった。

 

光空は心乱れず、これまでのいくつかの正しい行いを思い起こし「どうしてこれしきのこと、

恐れることなし」と、声を上げて経を読む。

 

これを見て兵平介はさらに怒り、「なんというざまだ」と自ら弓を取って光空に向かって

矢を射るが、二度、三度矢は光空にあたらず地に落ちるばかりであった。

兵平介は驚き、怪しんで、弓矢を棄てて曰く「このように近くから射てもあたらないとは

ただごとではない」と、恐れ入った兵平介はその場で懺悔し家に戻った。

 

その晩、

「白象に乗った普賢菩薩が現れ、

なんとその菩薩の脇腹に矢が三本突き立っているという夢を見るのであった。

 

光空に放った屋は普賢菩薩が身代わりになって受け止めていたのである。

菩薩曰く「悪を見て遠く去り、全を見て近づく」

 

普賢菩薩は、事情を知って懺悔する兵平介を許すが、「この家を去る」と告げ、

僧光空も二度と戻ることはなかった。

 

兵平介は真相を告白した従者を殺さず追放に書したのみである。

 

古来、日本の生死観は、仏教における極楽浄土や地獄といった観念とはまったく異なる

ものであった。

日本の成り立ちを記した最古の歴史書「古事記」(太安万侶・和銅5年(712年))には

死後の世界として黄泉国があった。

中国では黄泉国とは冥界を指し示す言葉として認められていたが、古事記を基とする

当時の倭国、すなわち日本では、黄泉国はこの世の地である葦原中つ国の国土とつな

がっており、生きている者が歩いて行くことができる場所であった。

 

この思想の背景は、古代の原初の時代に風葬がおこなわれ、遺体は山中や洞窟などに

そのまま置かれていたのだと思われる。これらの場所が黄泉国とつながっていると考えら

れたのである。

また、死んでから埋葬までの間、遺体は安置されていたが、このことは、一定時間置くことによって、まれに生き返るものがあるやもしれない、ということを考慮してのことと推察される。

そうすると当然、死者は地中に埋葬され、死後の世界は暗黒の世界、黄泉国は

「夜見の国」闇につつまれた暗黒の世界とされたのではないだろうか。

しかも当時の朝廷が置かれた大和の国から見て西の方角に位置する出雲国が死者の

世界との境界-結界とされたのであろう。

島根県松江市東出雲町にある黄泉比良坂は、この世とあの世と黄泉国の境界と一般的に

言われている。

 

いずれは時速500km/hのリニア中央新幹線に乗って「死出の旅」を”それなりに楽しむ”

時代が来るのではないだろうか。なぜなら乗り合わせた「この世」の乗客と、「あの世」の

乗客は、お互い顔をあわせることもないそれぞれの次元にいるのであるから。

ともかく”リニア新幹線”、”火車”を経由して七万キロ程度走れば、「地獄の一丁目」あたり

の駅に到着するのであろうが、罪人それぞれにとっての罪の軽重による目的地があるの

で、第一の地獄「等活地獄」、第二の地獄「黒縄地獄」、第三の地獄「衆合地獄」、

第四の地獄「叫喚地獄」、第五の地獄「大叫喚地獄」、第六の地獄「焦熱地獄」、

第七の地獄「大焦熱地獄」、第八の地獄「阿鼻叫喚地獄」などなどの駅に到着するには

どの程度の時間を要するのか筆者は知らない。