●他人の目を気にすると生きづらい

 

痛みに顔をしかめずにはいられず、杖をついて歩いていると「どうしたの?」とご近所さんに声を掛けられる。

「痛風です」と答えると、自業自得で同情されることはなく、冷たい笑顔で「ぜいたくしているのね」「おいしいものばかり食べているのね」と嫌な笑顔でいわれる。こっちは痛くて息まで苦しく、必死の思いで、食料の買い出しに這い出ている。

一〇〇円のハンバーガーを食べ過ぎても痛風になる。一〇〇円のサバ缶かサンマ缶を食べ過ぎても痛風になる。特に魚の缶詰の煮汁を飲むとやばい。

気が狂いそうなくらい痛い時、嫌味っぽく笑顔でいわれると思いっ切り杖を投げつけたくなる。

最近では「神経痛が出ちゃいました」と噓をいっている。

私は本当に神経痛をもっているから、そう答えたほうがいい。神経痛なら、相手は「大変ね」と同情する。

平気で噓がつける人は「ガンになっちゃいました」とか「脳の病気の後遺症です」といえばお見舞いがもらえるほどやさしくしてもらえるかもしれない。

他人の目や噂なんて気にしていたら自由に行動できなくなる。みんな同じように必死でもがき苦しんで今を生きている。

人の目を気にしているとどうしても行動が狭まり後になって必ず後悔する。どうでもいい人にどう思われたってかまわない。やるべきことをやるべき時にさっさとやりたい。自分にしかやるべきこともやるべき時もわかるはずはない。

私は編集者であり、フリーライターで、他人の目を気にしてみなと同じように暮らしていたら、企画も書くものもみなと同じようになり、仕事がさらに減る。

人と違っていてもかまわないし、人と違っているから面白い。

普通でないからこそ普通より面白い企画を考え、面白い文章を書ける。どうしても目立ってしまうぐらいでないと身一つ、フリーで生きていくことなどできない。

 才能ある人はみな、普通と違い、目立っている。

痛風は本当に痛いのに、死ぬ病気ではないから軽くみられる。

しょっちゅう痛風になるから「季節の変わり目になると神経痛が出ちゃうんです」と答える。日本は年中季節の変わり目がやってくるから春夏秋冬、全部神経痛の理由になる。

「台風がきて気圧が変わると」と答えるとみんな納得する。雨も理由になる。本当に、雨の日や梅雨の日は体の関節が痛む。雨の日や梅雨に、精神を病んでいる人や鬱病の人のツイッターをチェックすると、やはりことごとく、落ち込んでいる。気圧の変化は弱っている人をさらに弱らせる。

私の神経痛はロキソニンがよく効き、痛風の痛みに比べれば十分の一の苦しみでしかない。

 痛風発作の期間だけはさすがに酒を飲む気がしない。ロキソニンを飲みながら酒を飲んでもいい気分にはなれない。

痛いと食事もまずい。テレビでうまそうなものをみてもうまそうに思えない。

元気を出そうと、昔の吉本新喜劇のDVDをみても笑えず、あの頃に戻りたいような死にたい気持ちになってしまう。何をやっても気が滅入る。

テレビでは大騒ぎでご馳走を食べている。厚切りのレアステーキの赤い切れ目から肉汁が流れ出ているのをみているだけで痛みが増す思いがする。カツオの刺身はもうこの世にはいらない。頭がおかしくなりそうな痛みが、赤い肉は食べるな、肉や魚の血がダメだ、と本能的にわからせてくれる。

痛風発作や風邪などが治るとまたご馳走を食べたくなるものだが、肉と魚はもう一生食べたくない。四年以上食べていないが今だに全然食べたくない。それほど痛い思いをした。