●『外伝麻雀放浪記』「ラスヴェガス朝景」239ページ

ルーレットは確率だと思っているが、専門の学校を出ているディーラーが狙った目を出せる。

玉を投げてから張るが、ディーラーの立場から見ると、大多数の客が死目を追ってくる以上、いつもわざと死死目を作り、死に目に張らせ、その目を出さなければ胴元は安泰。客はルーレットが確率のゲームだと思い込んでいる

●232ページ

全然張らないのも意味がない。いつも、自分の現在のツキを測定する必要がある。ウォーミングアップに少しでも張っていないと、自分の狙いと結果がどのくらい離れているか確かめられない

●238ページ

30年ばくちをやっているが完璧な勝負なんて二度か三度しかない

●238ページ

自然の風に身をまかせるように肩の力を抜いて、ただその台の目のリズムにとけこんでいけばよろしい

●238ページ

ツキを戻すきっかけをつかめばよい。ツキが戻ってくれば、チップんどたちまち山積みになる。相手のスマッシュをなんとか拾ってゆくことだ。こちらの得点打を放たなくても、拾って拾って拾いぬけばチャンスの芽が自然に湧いてくる。ときおり私の中のぎやーに刺激を受けてエンジンが火を吹きそうになることがある。二つ三つ連続して押さえ目を拾ったときだ。これだけでは不足で、本格に自分のペースをにするためには超打が必要なのだ。

●242ページ

ツイている者に乗っかれ、は鉄則

●243ページ

陣痛の時期。勝負ごとにはこらがつきもの

●246ページ

待ち望んでいるのはたった一つ。ツキの風が俺の方に向いてくるきっかけさ。一生ツキ続ける男は居ない。一生ツカない男も居ない。誰にだってツキはやってくる。問題はそのツキをどう生かすかだ。それがギャンブラーの腕なんだ。但し、ツカなければ、どんなに勝つ方法を知っていても無駄さ

●250ページ 

ギャンブルはなにしと耐えることだ。ひたすら待つのだ。地中の蝉のように、待って待って待ち抜いて、一瞬の光を得るのだ。

●251ページ

三日つかないというのは誰にもあるもので、ツキの風に関しては年期はものをいわない

 

 

●『麻雀狂時代』109ページ

冷静だったと思う。何故なら、丁半の類のゲームのコツは、1.1.3、というペースの貼り方にあるからだ。

次の目を当てようと苦慮するのはアマチュアなのである。プロは、目を当てるよりも、損をしない張り方のセオリーに重点をあおく。

11と負けて、3で勝つ。三回に一度勝てばプラスするのである。勝つか負けるか、目は二つしかないのであるから、平均すれば二回に一回は当るはずだ。それを三回に一回しか当たらないペースでも勝てるように張るのである。だから目を当てようとして考えなくてもよろしい。考えれば、かえってカンの狂いを呼んでチグハグになる。

丁半だけでなく、チンチロリンもオイチョカブも、皆このセオリーの上に立っている。

だから、113と張った。そお三百ドルがとられたとき。はじめて私は慌てた。

ツラ目の異常さを感じたが、そこでプレイヤーに張りかえることはできなかった。張りかえてまたチグハグになったときは最低にクサる。ギャンブラーすべてに共通した心理である。

私はバンカーの目と心中して、浮き分を残らず失った。もっと早く、異常さを感じたときに立つか、見するかするべきであったが、そこが経験の浅さである。

理念では、どこかにスキが生ずる。無作為の自然ほど怖いものはない。それに対抗できるとすれば、稽古を重ねて反射神経を錬磨する以外にないのである。

 

※『麻雀狂時代』123ページの「二百ウォン」は「二百万ウォン」の誤植

●『新・麻雀放浪記』344ページ
バカㇻの一般法則
例え1万円賭け
・プレイヤーに賭け、初戦に勝って1万円が2万円になったらそのまま続けて2万円をプレイヤーに賭ける
・2度続けて勝って4万円になったら、5000円だけプレイヤーに賭ける
・3度目からは5000円を負けるまで同じところに賭ける
 
 

 

●蛭子能収の倍賭け

ギャンブルの基本戦法である倍賭けの法則を蛭子さんが書いている。

倍賭けの法則はギャンブルの神様阿佐田哲也もよく書く。阿佐田哲也の場合は、競輪で◎○や◎▲を倍賭けしていけば必ず勝てると気づくギャンブラーが、失敗するという話。

この戦法はギャンブルの基本で、必ず勝てるとみなトライするが必ず資金が続かなくなる。

蛭子さんの倍賭け失敗がわかりやすい。

●蛭子能収『気弱なギャンブラー』50ページ

マディ上原が蛭子さんに大小(丁半みたいなもの)の必勝法を教えた。

2回大なら次は小だ。

負けたらまた小に倍賭けすればいつかは必ず勝てる。1回勝ったらまた別の賭場で賭ける。

マディは勝って、蛭子さんも勝ってどこまで勝つか心が躍った。

最初は1000円ぐらいだ。当たれば倍になる。

ところが……(みんなこうなる)

3回大が出たから小に賭けた。

1

2

3

4 1000 トータル-1000

5 2000 -3000

6 4000 -7000

7 8000 -1万5000

8 1万6000 -3万1000

9 3万2000 -6万3000

ここで金がなくなった。

結局12回連続で大が出た。

もし当たるまで続けると、

10 6万4000 -12万7000

11 12万8000 -25万5000

12 25万6000 -51万1000

13 51万2000 102万4000になるが、賭け金を引くとトータルで+1000円

「おかしいんですよエビスさん、大が連続して8回も出ているんです。こんなバカなこと、あってもいいんでしょうか」

バカなことがあるのがギャンブルの特徴だ。しかし私のギャンブル哲学をひけらかすのはやめにして、マディ氏を慰めるために、

「えーっ8回もですか? それはおかしいですね」

と私がいう。

蛭子能収『気弱なギャンブラー』は1986年から1989年に『男の歓楽街』『官能小説』『王様手帖』に連載されていた蛭子さんが原稿用紙に手書きしていた頃の文章。

カバーが蛭子大明神になっていて「エビス大明神カードを、切り取って身につけると……損することにくじけない、一流のギャンブラーになれます。」「切り抜いて、定期入れ、サイフ等に入れよう。エビス大明神が、不思議なオーラであなたを包み、勝利に導いてくれる、はずだ……。」

 

 

 

 

 

 

 

 

●『ドサ健ばくち地獄』下巻

159ページ

やめ時が大事なのである。やめようと思ったときに、すっと立てる人は、大怪我をしない。

160ページ

負け目に入らないうちに帰ろう

160ページ

格下ですからね。見栄も外聞もありませんよ

178ページ

3人麻雀はいったん自分で定めた戒律にどのくらい忠実になれるか、それが結果を左右することが多いのである

179ページ

1カキ2ピン。サイコロと同じく、麻雀でも低迷期には、1回カイて(総どり)その後が悪い。この貧乏をケアするためには、1カキ2ピンだと意識して、次局を勝負に行かず、オリてしまうか、すくなくともエラーをしないように耐え忍ぶ。ここができれば、本格的な上昇気運になるのだが、たいがいは、一度大物をあがると、いろめきたって攻撃に転じようとするのである。

●『麻雀放浪記』1巻青春篇27ページ

ドサ健「俺には自分の運の限度ってもんがわかってる。年よりくせえ言い方だがそいうなんだ。だから限度まで運を使って勝ったらその晩はさっとやめちまうんだ。商売だからな」

●映画版では

「運を限度以上に使ったらはじめてチョンだ」

和田誠は『麻雀放浪記』のセリフを映画でいじったが、よくなっているのがすごい。こういう例はあまりない。

 

●『麻雀放浪記』は古い順に角川文庫、文春文庫、双葉文庫 現在新刊書店に在庫がないが、ここ40年ではじめてのことだ。漫画のブームが去ったばかりだからだ。アマゾンやヤフオクでも古い本がけっこうするので、ヤフオクをやっている人はブックオフで100円本をみつけたらチャンス。50年間ずっと人気作なので需要が切れることはない。

 

 

 

 

 

 

●固いレース
色川武大(=阿佐田哲也)は1961年新人賞受賞時に「競輪で食ってます」と発言した。

老後は競輪衛星中継を見ながら電話投票するのが夢であった。
色川は枠番時代の競輪が得意だったが、実際に勝っていたかどうかは疑問。本当に勝ち続けることができるなら超大金持ちになれるはずだ。
阿佐田哲也はネット時代を知らずにこの世を去った。ネット時代がきてレースを選べるようになり、コンピューターをつかいながら馬券で勝ち、税務署に摘発される人が実際に何人も登場するようになった。競輪で勝って脱税して税務署に摘発されたケースはまだ聞いたことがない。

1990年代までの枠番発売がメインだった頃の競輪場では、50万円分の本命車券が普通によく捨てられていた。まとめて勝負する人が多かった。

●『東一局五十二本場』112ページ「雀ゴロ心中」
「3か所も4か所もやってるだろう。30レースや40レースの中から選ぶんだから、こりゃ当るわい」
●『麻雀狂時代』268ページ

●間違いない固いレース
場外に商売している競輪のノミ屋は、ここ数年で、ばたばたと廃業していった。
現在はまだすこしレースの綾がちがってきて、固いレースが少なくなっているが、一時期、騒擾事件を怖れるあまり、主催者側が本命レースを喜ぶ傾向があり、その傾向はレースにも反映して、低配当が続出したことがあった。
低配当の本命レースというものは、健全な小遣銭で遊ぼうとする一般ファンには向かない。
みすみすわかっていても、当たって150円などという配当は、金持ち用レースなのである。一般ファンはそんなに大戦は打てない。で、万一の僥倖を期待して大穴車券を100円200円と買って観戦している。
塵もつもれば山となる、そうした100円200円が集まって、本命レースの配当になる。

何十万円何百万円を投資した金持ちファンをいやがうえにも喜ばせるのだ。
だから、一緒にノミ屋も負ける。競輪は東京周辺で、同じ日に2か所でも3か所でもやっているから、一場所10レースとして、1日に20レースや30レースの中から、固そうなレースだけ選べば、まずまちがいないのである。

中央競馬をやるとすれば、普通は10レースから11レース、1場所の中から、勝負レースを選ばなくてはならない。

レース数が多い中から選べるというだけでも、競輪は客に有利だ。
但し、場内ならば安全操業である。
何故か。最終レースまで毎レース、買わせるからである。二鞍や三鞍で、勝って離れる客もたまにあるが、なんとかしてそうさせないのがノミ屋の腕なのだ。
だから、毎レース、べたに買っていくとしたら、大体において客が負けていくのだ。1日や2日はツイている日があったとしても、そのうち沈む。
群衆ギャンブルは、勝つ人より負ける人が圧倒的に多いのだ。それでなければ2割5分の寺銭が主催者側に残る筈がないではないか。


●寺内大吉は競輪好きの作家で、お坊さんでもあった。

●●枠番時代の競輪ファンにはたまらない傑作映画『競輪上人行状記』

競輪で528万円勝った坊主の映画

小沢昭一主演映画『競輪上人行上記』(1963年)で、競輪の面白さがよくわかる。

本堂再建資金を集める坊主が競輪にはまり、本堂どころか寺を売ることになる。寺を売った金と競輪でつくった借金の差額30万円が坊主の手に残り、坊主はその金で最後の大勝負に出る。

競輪場のスタンド席で、ひもで体を結び付けている女と出会う。ひもで体をしばらないと狙いの7R以外にも手を出してしまう。

男の狙いも7Rだ。女が6Rを買いたがるが、坊主が止める。

二人とも7Rに全財産を突っ込む。

6Rは女の予想通りで、「やっぱり買っておけばよかった」と女が悔しがる。

二人の勝負の7Rがついにやってきた。

坊主は2-4で1点勝負で30万円突っ込む。女は4-2に全財産を突っ込んだ。

昔は3連単車券などなく、競輪は枠番連勝単式で勝負した。33点の買い目に大きく張る人が多かった。

結果は写真判定で2-4、坊主が勝った。配当は17.6倍、坊主は528万円の払い戻しを受け、寺を買い戻し本堂を再建する。興奮が伝ってくる。あれが競輪だ。

 

 

●『麻雀狂時代』は隠れた名著。競輪ファンにはたまらない。『麻雀狂時代』というタイトルだが、最初は麻雀コラムのようでつまらなそうなのだが、どんどん面白く展開していく。最後は競輪勝負。バカツキ男の、命賭けのノミ屋との勝負。ノミ屋の空のは2億円失うが、博打打ちはタネがある限り勝負をやめてはいけないのだ。

 

 

 

 

 
 
 

 

●『色川武大・阿佐田哲也エッセイズ 1』187ページ

●初出は『麻雀師渡世』(日本文芸社、1971年)

●「知らぬ男とダイスをやるな」

●競馬競輪は張り方が技術

世間では、普通は対勝負のものは技術できまる度合いが多く、人数の多いやつは運の占める度合いが濃いという。

なるほど、囲碁、将棋、こいこい、いずれも運できまるのは初歩的な段階のみで、いちおうのレベルに達すれば精密な技術と知恵の争いであろう。

しかし、だからといって、たとえば、麻雀も、競馬、競輪などの群衆ギャンブルも結局は運ではない。

競馬みたいに、自分でやらないゲームは、本当の運だけさ、という人がある。

それは多少なりとも近視眼的な見方である。

麻雀で、あがるのは運(ツキ)だ。馬券で当るのも、運だ。運がなければ、どうにもなりはしない。この限りでは、なにもかもが運だ、といえるだろう。

しかし、長い期間のトータルで+を保っていくのは技術なのだ。完全に、技術でしかないのだ。

では、技術とは何か。馬の研究か。そうじゃない。研究はぜひ必要なことだが、そんなことは皆やっている。麻雀で、あがり方や筋などを皆が心得ているのと同じことだ。皆がやっていることは技術とはいえない。

秘密は、張り方にあるのだ。麻雀でいえば勝負の仕方である。ルーレットでも、丁半でも、皆同じである。対勝負の技術は、そうとうに奥まで開発されている。だから、もううま味がない。

しかし群衆ギャンブルでは、こういった、いわゆる根元の技術がゆきわたっていない。だから面白い。

 

●手本引きの話

●『ドサ健ばくち地獄』上 230ページ

昭和32年の当時、若いサラリーマンの給料は、2万円あったかどうか。

伊佐子は、1万円ずつ張っていたようだが、そういう張り方は、たとえば競馬で百円ずつ平均しに全レース買うのと同じで、有利な張り方ではないのである。

こういう賭け事というものは、還俗として、濃淡をつけるほどよろしい。淡くする所はどこまでも淡く、濃くするところはどこまでも濃く。

ここが張りどきというときに、どっと張るにはいうまでもなく度胸がいる。誰しも、ありあまる金で勝負している者など居ないのである。

賭博者にとって、金は命より大事のはずである。無計算な支出は、一銭でも防止しなくてはならない。

にもかかわらず、一歩ばくち場に入ったら、お金は鼻ッ紙と思う必要があるのであるある。生命より大事のお金を、鼻ッ紙のだとわりきって、勝負所には惜しみなくつぎこまなければならない。鼻ッ紙と思えるかどうか。

普通は、惜しむあまり大決断ができない。そおくせ、張らないわけにもいかない。その結果、一定額の平均張りのようになってしまう。

女性は特にその傾向が強い。本来、感性においては有能なはずの女性が、ばくちに向かないのは、大決断と、大合理性のどちらをも苦手とするからである。

ドサ健が、横に足を投げ出して、ケンしているところだった、健ばかりではないが、ツキの下降線を意識すると、戦列を離れてしならく見していることがある。

 

 

 

 

 

 

上坂氏考案の強運マーク

上坂さんが考案開発した強運マーク。運を引き寄せて宝くじが当たりやすくなるのだという。本を読みえるとなんとも縁起がよく思え、神々しく光って見える。明日宝くじに絶対当たる気持ちになってくる。1000万円当たりますように。

 

★上坂元祐名言「宝くじもお金も生きている。大切に扱ってあげれば、つかってもつかっても何倍もの仲間を連れて戻ってきてくれる」

 

仲間を連れて戻っておいで!

 

●上坂先生の輝かしい当選実績

※は高額当選

2憶、1億、6000万、1000万以上8回! 100万以上●17回!

高額順では最高2憶、1億、6000万、1647万、1565万、1240万、1108万、1000万、979万

こんなことが実際にありえるのがすご過ぎる。

 

●1991年 100万円(1) インスタントくじ

●日付不明 100万円(2) 不明

●日付不明 200万円(3) 不明

●※1994年9月16日 ●6000万円(4) サマージャンボ1等

●※1994年 ●1000万円(5) 百円くじ1等

●日付不明 100万円(6) 不明

●1995年4月12日 100万円(7) 普通くじ三等

●1995年9月20日 200万円(8) サマージャンボ特別賞

●※2001年3月15日 ●2億円(9) ロト6一等

●2001年11月23日 15万5700百円 ナンバーズ4ボックス

●2001年11月26日 42万4600円 ナンバーズ4ストレート

●2001年12月17日 10万3700円 ナンバーズ3ストレート

●※2001年12月31日 ●1億円(10) 年末ジャンボ二等

●2002年1月18日 66万9700円 ナンバーズ4セットストレート

●※2002年2月7日 ●1240万8600円(11) ロト6二等

●2002年2月25日 11万2400円 ナンバーズ3ストレート

●2002年2月26日 21万3400円 ミニロト二等

●2002年3月5日 18万9700円 ミニロト二等

●2002年3月6日 10万400円 ナンバーズ3ストレート

●※2002年3月7日 ●1565万6100円(12) ロト6二等

●※2002年3月12日 ●1647万6500円(13) ミニロト1等

●2002年3月12日 23万6700円 ミニロト二等

●2002年3月20日 8万7000円 ナンバーズ3ストレート

●※2002年4月2日 ●1108万7500円(14) ミニロト1等

●2002年4月3日 97万2600円 ナンバーズ4ストレート

●※2002年4月4日 ●979万1700円(15) ロト6二等

●2002年4月15日 10万9800円 ナンバーズ4ボックス

●2002年4月16日 13万7600円 ミニロト二等

●2002年4月22日 108万8300円(16) ナンバーズ4ストレート

●2002年4月25日 41万3700円 ロト6三等

●2002年4月26日 136万3400円(17) ナンバーズ4ストレート

 

絶版で入手困難の名著は、現在中古で5000円以上の高額になってしまっている。

宝くじ当選の驚くべき攻略法、実際の上坂先生の買い方が細かく語られている。

宝くじは努力と根性で高額当選できることがよくわかる。

上坂先生は意地になってロト6で2億円当てている。

 

1000万円以上の高額当選はなんと8回!

2億円の他、1億円も当てている。

この本は確実に将来も度々話題になり続け、100年後も熟読する人がいるだろう。

少しおかしいほどに運が上坂先生に集まり、研究に価する。

全てが実話だ。

これほど運の強い人は存在しない。上坂先生は運をかき集めるように神経を尖らせて生活している。

宝くじの当選確率は雷に当たるよる低いという常識をぶっ壊した。

 

●『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則』

 

 

 

●『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則』

 

 

『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則。』を読むと、上坂先生は1994年、車を電柱にぶつけて、家に帰って新聞で宝くじの当選番号を確認するとサマージャンボの1等6000万円が当たっていた。宝くじは90枚、2万7000円分買っていた。

それから半年後、今度は10枚買った100円宝くじで1等1000万円が当たった。

上坂先生は酒、煙草、ギャンブルをやらず、世の中に感謝し、周囲の人を大切にし、正しい振る舞いをし、宝くじに集中して何度も当てる。

 

●懸賞で600万円の外車も当選!

●お年玉つき年賀はがきで鍋が30個も当選!

●100万円以上の高額当選は、この本の中だけで17回!

もうメッチャクチャだ。ここまで当たる人は学者にいわせると「世界に2人か3人しかいない」という。

 

24という数字に思い入れのある上坂先生は2001年第24回のロト6を当てることを決意し、本当に1等2億円を当ててしまった。

2億円を当てる3か月前にも交通事故にあい、車ごと田んぼに落ちた。上坂先生は高校生の時にもランニング中に車にひかれ、田んぼに落ちて死にそうになっている。車にも宝くじにも本当によく当たる人で、懸賞でも600万円の外車を当て、お年玉つき年賀ハガキでは鍋が30個も当たってしまい、置き場所に困り、来客へのお土産として配った。

6000万円当たった時も、1000万円当たった時も、家族にあげたり買い物をしたらなくなったが、2億円はつかってもつかってもつかいきれなかった。家を買って、車を買って、人にあげたり寄付した。

 

※いくら宝くじの天才である上坂先生でも、さすがに10枚買っただけで宝くじを当てるのは無理だという。

 

それでは上坂師匠は1回の宝くじで何枚、いくら分買っているのだろうか?

 

本書の記述を繰り返し何度もじっくり読んでいった。

 

上坂元祐の宝くじ買い方

●6000万円当てた時はまず1つの売り場で窓口を変えて、連番で10枚を2組、バラで20枚を2組、今度は別の売り場へ行って連番で10枚、バラで20枚、1枚300円のジャンボくじだったから合計で90枚2万7000円買った。

●1枚200円のミニロトは1回で40枚合計8000円買った。

●1枚200円のロト6は1回で60枚合計1万2000円買った。

●少ない時は、ジャンボくじで連番で10枚、バラで20枚、合計30枚9000円買った。

※ある程度の枚数を買わなければ当たる確率は上がらないという。

 

上坂流おすすめの買い方

●ジャンボで最低連番で10枚、バラで20枚、合計9000円買い、1万円札を出してお釣りを1000円もらい、それで100円の宝くじを10枚買うという高等テクニックだ。

上坂先生はこの買い方で、年末ジャンボのお釣りで買った100円くじで見事1等1000万円をゲットした。

●どこで当たりくじを売っているかわからないので、少しでも当たる確率を高めるため、複数の場所で複数の窓口で、買う日も別な日に分けて買うと当たる確率が上がるという。

 

なかなかこんな面倒臭い、根拠のないことはできることじゃない。上坂先生を信じる者だけが大金をゲットできるようだ。

 

宝くじを最愛の奥さんのように扱う上坂元祐。

●上坂さんは宝くじもお金も大切に扱う。存在する物はみな生きているから、宝くじとお金を大切に愛を込めて扱ってあげる。

●心の優しい上坂先生は宝くじが窒息しないようにビニール袋から出してあげ、暗いところでゆっくり休ませてあげる。

●引き出しに入れても息ができるように、少し引き出しを開けておいてあげる。

●丁寧に、まるで旅館に泊まりに来たお客さんを扱うように宝くじとお金を大切に保管している上坂先生のもとに、たくさんのお金さんたちが大勢の仲間を誘って、リピートしてくるというわけだ。

 

★上坂先生名言「宝くじもお金も生きているから、大切に扱ってあげれば、つかってもつかっても何倍もの仲間を連れて戻ってきてくれる」

 

つかってもつかっても何倍もの仲間を連れて戻ってきてくれる、なんて、想像するだけで嬉しくなってくる。私もぜひそういう立派な人になりたい。

これからは、上坂先生と同じように絶対にお札の向きをそろえてあげてから財布に入れます。さっそく財布の中の千円札2枚の向きをそろえてあげたらなんだか当たる気がしてきた。

 

上坂先生の考え方には影響されてしまい、。リンゴやみかんを買っても生きている気がしてきて、冷蔵庫にゆったりと動き回れるぐらいに快適なスペースをつくって丁寧に並べてあげる。重ねたり、押し込むなんてできなくなる。豆腐まで生きているような気がしてきて豆腐君が醤油をかけられて嫌な気がしないかまるで弟のように気遣うまでになった。これはますます当たる気がしてきた。
 

●この本には強運の宝くじのお守りとして、上坂先生が研究して考え出した丸いカラフルなお守りマークが印刷されていて縁起ががいい編集となっている。この強運カラフルマークも、重要な上坂先生から読者へ向けての出版意図であるので、私の当選確率もグンッと上がったはずだ。1日でも早く高額当選して貧乏を抜け出したい。

上坂氏考案の強運マーク

『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則。』を読むと自信がみなぎってくる。信じていればきっと当たる。当たるに決まっている、と心が燃え上がって興奮してくる。

 

上坂先生は100万円以上を●17回も当たったのだから、上坂先生を真似すれば私にだって1回ぐらい当たってもおかしくない。

 

しかし、1年でロト6の2等を3回も当てた人はこの世に上坂先生1人しかいないだろう。

 

●上坂先生を尊敬し、上坂先生の真似をして先祖の墓参りに行った。

●上坂先生と同じように、こまめに部屋の掃除をした。

●上坂先生がするように、財布に入っているお札の向きを揃えた。

しかしまだ当たらない。

なぜ当たらないのだろう? 何がいけないのだろう?

 

『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則。』をもう一度最初から1字逃さず熟読した。

記述がある当選履歴をメモし、リストをつくった。

リストを眺めながら研究した。

 

上坂先生は宝くじを始めて5年ぐらいで初めて大当たりしている。

5年待てる人はなかなかいない。

やはり宝くじの世界でも、あきらめずに続ける者だけが大金を当てることができるのだ。

 

※は高額当選

買い始めて5年大当たりなし

●1991年 100万円(1) インスタントくじ

●日付不明 100万円(2) 不明

●日付不明 200万円(3) 不明

●※1994年9月16日 ●6000万円(4) サマージャンボ1等

●※1994年 1000万円(5) 百円くじ1等

 

●日付不明 100万円(6) 不明

●1995年4月12日 100万円(7) 普通くじ3等

●1995年9月20日 200万円(8) サマージャンボ特別賞

 

(5年間大当たりなし)

 

●※2001年3月15日 ●2億円(9) ロト6一等

●2001年11月23日 15万5700百円 ナンバーズ4ボックス

 

●2001年11月26日 42万4600円 ナンバーズ4ストレート

●2001年12月17日 10万3700円 ナンバーズ3ストレート

●※2001年12月31日 ●一億円(10) 年末ジャンボ2等

●2002年1月18日 66万9700円 ナンバーズ4セットストレート

●※2002年2月7日 1240万8600円(11) ロト6二等

 

●2002年2月25日 11万2400円 ナンバーズ3ストレート

●2002年2月26日 21万3400円 ミニロト2等

●2002年3月5日 18万9700円 ミニロト2等

●2002年3月6日 10万400円 ナンバーズ3ストレート

●※2002年3月7日 1565万6100円(12) ロト6二等

 

●※2002年3月12日 1647万6500円(13) ミニロト1等

●2002年3月12日 23万6700円 ミニロト2等

●2002年3月20日 8万7000円 ナンバーズ3ストレート

●※2002年4月2日 1108万7500円(14) ミニロト1等

●2002年4月3日 97万2600円 ナンバーズ4ストレート

 

●※2002年4月4日 979万1700円(15) ロト6二等

●2002年4月15日 10万9800円 ナンバーズ4ボックス

●2002年4月16日 13万7600円 ミニロト2等

●2002年4月22日 108万8300円(16) ナンバーズ4ストレート

●2002年4月25日 41万3700円 ロト6三等

 

●2002年4月26日 136万3400円(●17) ナンバーズ4ストレート

『上坂元佑の宝くじ大当たり! 黄金の法則。』は2002年6月29日発行。

 

上坂先生の当選実績を丁寧にノートに書き写しているうちに気づいた。

100万円、200万円程度の当選をのぞいた、1000万円以上の超高額当選は●8回だ。

 

もちろん当たったほうがいいが、100万円や200万円で生活が楽になるということはない。

巨額なお金に関する事件で逮捕された許永中の名言に、

「人は100万円では動かないが、1000万円なら動く」

というのがある。

100万円と1000万円では大きく違う。500万円ぐらいから生活に余裕が出る。

 

上坂先生のように「つかってもつかってもお金が仲間を連れて帰ってきてくれる」ようなお金持ちになりたい。

上坂先生は宝くじを当てるために、宝くじが当たるためのライフスタイルだ。宝くじのプロに徹している。宝くじという職業に対し、プロスポーツ選手と同じスタンスで向き合っている。

 

ロト6の数字を考えるためだけにホテルにこもる

●宝くじを当てるためだけに1人でホテルにこもり、念力でロト6の当選数字をひねり出した。

こんなことってあるだろうか。こんなことやる人は他にいるだろうか。宝くじのために生きるマニア、天才だ。

夢のような信じられないことが起きている。しかし、上坂先生の努力は読んでいるだけで苦しくなるほどだ。努力で宝くじを当てるのはここまで苦しいのだとよくわかる。

 

上坂先生は長い期間、すごい労力をかけて宝くじを買いに行き続け、●8回も超高額当選を実現した。

 

●宝くじを買い始めて最初の5年くらいまったく当たらなかったのにやめない。

宝くじを買うために生まれてきたような人だ。

●途中、1000万円級の当たりが7年こなかったのに、苦しみながら買い続け、見事念願だったロト6で1等2億円を当てている。

宝くじを買うために、ここまでの努力をしている人は世界に上坂先生ただ1人しかいない。

宝くじに人生をささげている。

「必ず宝くじを当ててみせる」などと言ったら普通は人に相手にされなくなるのに、本当に必ず当てまくって見せた。

 

宝くじが空前の売れ行きになっている。現実として、宝くじしか希望がもてない人間は多い。

宝くじは雷に当たるより当選確率が低いとよくいわれるが、そんなことはないだろう。毎週毎週こんなにたくさんの高額宝くじが開催されるようになり、絶対に誰かに当選している。

宝くじで1000万円当たった人をバイト先で1人だけ実際に見たことがあるが、雷に打たれた人には1度も会ったことがない。

宝くじ売り場で並んでいて、私の前の前の人が当選確認して100万円当たったのも見たことがある。関係ない私の前のおばさんが驚いて私に「あの人100万円当たったわよ!」と興奮しながら周囲に教えた。

雷に当たればニュースになるが、宝くじに当たるとみんな隠す。

この狭い日本のどこかで毎週誰かに確実に高額宝くじが当たっている。

●造船太郎

2024年夏、スポーツくじMEGA BIGでサッカーの試合中止が続き当選確率が一気に上がった。チャンスと見た医大生造船太郎氏が、サッカーの試合結果を予想することもなく全財産7350万円分MEGA BIGを買い、当選金2億円を手にした。MEGA BIG当選金も宝くじ当選金も税金はかからないと法律で決められている。

 

パソコンを使って確率を計算しながら賭け、競馬で数億円配当金を回収して税務署に摘発された人もこれまでに数人いる。

ちゃんと競馬に詳しい人で、本命馬券と穴馬券を研究しながらうまく配分して賭けていくらしい。

「競馬で儲けた人はいない」「宝くじは雷に当たるより当選確率が低い」という考え方はもう過去のものになっている。

 

●『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則』

 

 

●『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則』

 

 
 

 

強運マーク宝くじ当選

5億円当りますように。

 

 

 

 

 

2009年からYouTubeに消されてはアップされ続ける『ザ・ノンフィクション』史上1番の傑作『漂流家族』。

前篇後篇2回放送されただけの、普通一般には評価されていないテレビ番組なのに、16年もの長い間、ネット界だけで人気を保ち続けている。

見れるうちに見ておいたほうがいい。見れない時はかなり長い間見れない。

漂流大家族竹下家のその後を知りたい! という熱望が16年間止んだことがない。特に魅力の大元であるパパとママの消息が全くわからない。そこがさらなる飽くなき魅力となっている。何もかもが奇跡的に素晴らしい名作だ。

 

●前篇と後篇セット

 

●『漂流家族』とは?

人気番組『ザ・ノンフィクション』で2009年、2週にわたって放送された8人の大家族竹下家のドキュメンタリー。竹下家の9年間が記録されている。放送直後からネットがざわつき、竹下家のファンが湧き起こっていった。かなりアナーキーな家族なので、一般ドキュメンタリー番組としての評価はないが、ネット上では『ザ・ノンフィクション』史上1番の傑作という声が16年間多いまま維持され、それでも一般には無視され続けている。

 

その後どうなったのか続きを見たくて、待ち望まれ、何年も待っていたら、2019年『漂流家族』が『ザ・ノンフィクション』で再び放送! 続きかと思ったら、竹下さんではなく、元プロレスラーの別の漂流している大家族で、竹下家の鬼気迫る迫力に足元にも及ばなかった。レベルが違うというか次元が違った。やはり竹下さんはすごい方だ。

竹下家を求めて以後全てのザ・ノンフィクションを欠かさず見たが、竹下版漂流家族にかなう『ザ・ンフィクション』はない。

竹下家のその後を『ザ・ノンフィクション』が撮影しているという情報は皆無だ。

 

練馬のスナックで知り合ったお父さんとお母さん、娘6人の8人家族が北海道の過疎問題を抱えている村が募集した移住制度に応募し、地元の親切な牧場経営者に30年2000万円のローンの連帯保証人になってもらい新築の一軒家を手に入れたが、パパもママも仕事を辞めてしまい、埼玉県に帰った。ローンが払えなくなり、当然ローンの請求は連帯保証人の桜庭さんのもとにいく。桜庭さんは竹下さんに電話するが、竹下さんは出ない。

困ってしまって怒った桜庭さんは埼玉まで追いかけてきて、かなり強めの拳骨を竹下パパに食らわす。今では放送できないほどの強い拳骨だ。ゴツンと鈍い音が鳴り恐ろしい。ローンの支払い残り1800万円の怒りと不安のこもった、親切で純朴な人の怒りに満ちた拳骨だった。

 

結局北海道の家は、近所にもう一軒夜逃げそのままの中古の家なんて絶対に全然欲しくもなんともない桜庭さんが1800万円のローンを払い続けることでおさまった。たんたんとしたナレーションで解説しているが、視聴者は思わず「ヒエー」と声が出てしまう。だって桜庭さんは竹下さんと親戚でもなんでもない全くの他人だし、桜庭さんには自身の牛舎の借金が1億円近くあるのでこれで借金は1億1800万円だ。いくらなんでもひど過ぎる。桜庭さんのような親切な人が世の中に存在するということは聞くことがあるが、ここまでしっかりと悪夢の一部始終が映像作品に記録されているのを見ることのできる機会はない。これは『ナニワ金融道』のようにフィクション作品ではなく、ザ・ノンフィクションなのだ。竹下さんにような人には桜庭さんのような人が必要だし、ちゃんと出会うことができるような運命になっている。

竹下パパ、桜庭さんに拳骨を食らう

 

この作品は見どころが多過ぎる。3度見るに値する。全編一瞬も見逃せない。時間が経つとまた戻ってきてしまう。どうしても気になって2年に一度は竹下さんの消息をネットで調べてしまう。

●職場で問題が起きてパパは怒って意見を言うが、トラブルの原因はパパだった。

●家庭内ではいつも怒号が飛び、隣の家からも怒号が飛んでくるが、怒って、ママをにらみつけ、ママを殴る寸前までいくパパの青いTシャツでは『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじがのん気に茶碗で風呂につかっている。

目玉おやじTシャツの漂流家族パパ

●ママがオラオラ口調。大変にお世話になっている神様のような1800万円のローンの連帯保証人の桜庭さんに注意されると毎回いちいち言い返す。「かっこいい話ばかりすんな!」「かっこいい話じゃない」「もっと現実を見れ」「見てます」「あんたずいぶん冷静な話し方するよな。俺に1800万のローンがかかってくるんだぞ今」「冷静とかじゃないですよ全然」桜庭さんの言葉に対応してママも北海道なまりで言い返すのも桜庭さんをおちょくっていてしゃくにさわる。

漂流家族、ママがオラオラ口調

「荷物まとめろ! オラァ!」

漂流家族、荷物まとめろ

●パパも娘も口汚い。

●みんなの体が巨大化していく。

●桜庭さんは口に出さないが、(とんでもないのに引っかかっちゃたぞ)という桜庭さんの心の声が何度も聞こえる。桜庭さんは『漂流家族』放送で唯一得した人で、『漂流家族』を見てしまった人の中に、桜庭さんを信頼できない人なんて一人もいない。桜庭さんは口に出さないが、家にテレビカメラが入る度、(またお前らも俺の災難を撮影しにきたのか。9年間も)という桜庭さんの声が聞こえる。桜庭さんが怒る度、顔が赤くなり、おさえきれない怒りが手のオーバーアクションとして現れ、竹下夫婦を理解することが困難であることの混乱と、血圧上昇によりパニックに陥っているのがよくわかる。

●パパが文句ばかり言い、常にキレている。元旦に娘が豚の角煮を作っていてこがしただけで、

「捨てちゃえよ。食えるわけないんだからよ、馬鹿野郎」

と言って娘を泣かす。さらにシクシク泣いてしまっている娘に近寄っていき煙草を吸いながら棚を蹴飛ばし、

「泣いてんじゃねーよ!」

とわめきしつこい。

●正社員にこだわる。お金に困っても、娘の就職は正社員採用以外は決して認めない。

●金に困っているのに見ているこちらが怖くなるほど金遣いが荒い。金に困っていない普通の家庭よりもバンバン買い物をして、見ているこちらが「大丈夫なのか」と思うほど不安になる。

●パパもママも煙草を吸いながら切実にお金に困っている話をする。

●視聴者を刺激するような問題発言が多い。(ファンの間ではそれらは名言に熟成していく)

●明るいナレーション原稿と恐ろしいほど深刻な現実映像の世界感が一致せず、ナレーションの山本太郎と原日出子の声が怒りで震えているように聞こえてくる。山本太郎も原日出子もこんな原稿どんな声でどう読んでいいのかもわからないでいるようだ。最初からずっと一度も安定せずにノンストップで深刻なのに、ナレーションではだんだん深刻になってしまうようなストーリーにしているが、無理がある。ナレーション原稿と現実が違う。どうやってもいい話にもっていけていない。

●はっきりいってしまえば、9年間、また仕事を辞めてまた仕事を探す繰り返しだけを1時間半にまとめているので、同じような場面が繰り返され、時系列とストーリー展開を覚えられない構成になっている。

●深刻な事態なのに、BGMが間違えたようにのん気だったり明るかったり勇ましい。音楽がずーーっと明らかに変。BGMでヤバい映像を中和しようとして失敗している。おそらく編集している人が怒りで平常心を失い、BGMのピックアップをどうしていいのかわからなくなってしまった。適当ともいえるピックアップで「もうこれでいいや!」という投げやりな態度が耳に伝わってくる。

 

本当にハチャメチャで目が離せないのに、番組意図としては苦労大家族のいい話に演出していて、BGMはおだやかで優しいが映像は恐ろしく、見ているだけでこちらの将来まで不安にさせる。

ナレータをつとめた山本太郎と原日出子の声が怒りで震えているように聞こえるのは、竹下家の後先を考えない無計画で無責任な行動と、ナレーション原稿のやさしい世界観が遠く離れ過ぎているからだ。

見ているこちらにもいちいちリアルな怒りが湧き起こり、見終わると、怒りを誰かに伝えなければおさまらない。そして誰かに話しているうちに怒りがおさまり、やがて熟成すると感動に変わり、もう一度落ち着いて『漂流家族』をじっくりと見返してしまい、この家族に魅了されていく。

●放送翌日から一部が騒然

2009年に放送された翌日、私は会社でみんなに「昨日『漂流家族』見た?」と聞いて回ったが、見ている人はいなかった。強く襲いかかっている気持ちのやり場がないから、インターネットで検索してみると、もうインターネット内では『漂流家族』への怒りの感想が飛び交っていた。

「本当にむかつきました」「この不安な気持ちをどうすればいいんですか?」という声が多く、それぞれ鼻息が荒くトラウマになっているのが伝わってくる。みな同じ気持ちだった。みな日曜の2時に『漂流家族』を一人ぼっちで見てしまい、不安になり、どうしていいのかわからない一夜を乗り越えネットの掲示板に救いと共感を求めていた。

放送翌日にはもうすでに竹下さんへの尊敬は始まっていた。最初はみんな怒っていたはずだったが、数年しても続編熱望がおさまらず、竹下家は伝説になった。初めて見た時の血圧上昇の体感が忘れられず『漂流家族』に戻ってきてしまう。『漂流家族』級のノンフィクション番組を求めて手当たり次第にドキュメンタリー番組やドキュメント映画を見た。田原総一朗の昔のドキュメンタリー番組がDVDで復活し、ちょうどドキュメンタリブームがやってきた。

竹下さんに比べたら『ザ・ノンフィクション』はどれも退屈になってしまった。

竹下さんに比べたら他の大家族なんてスリルがなくて見ていられない。

●パパとママの消息は誰も知らない

続きが知りたくてたまらないからネットで竹下家を調べる人が続出し続けている。大家族だからSNSをやる娘もいる。しかしどれを辿っていっても『ザ・ノンフィクション』で見た竹下家への怒りは湧いてこない。肝腎なパパとママの情報がいっさいない。『漂流家族』を繰り返し見ているとわかるが、『漂流家族』の魅力はパパとママの魅力だ。パパとママさえいなければ竹下家は普通の家族になってしまう。

 

全てをテレビ画面にさらけ出してくれた竹下軍団の勇気に感謝する。竹下家を見つけ出してきて9年間も撮影し続けた『ザ・ノンフィクション』スタッフの選択眼も恐ろしい。

偶然に見た『漂流家族』だったからもちろんビデオ録画していなかった。私はそれまであまり『ザ・ノンフィクション』を見たことがなかったが、『漂流家族』を見た翌週から、竹下家を求め、その後の『ザ・ノンフィクション』を全て予約録画を絶対に忘れないように確かめながら欠かさず、10年以上、1回も見逃さずに全て熟視し続けてしまった。『漂流家族』がダントツナンバー1で、ナンバー2など考えることもできない。

 

竹下家から出るオーラが強過ぎ、どんな演出もビリビリに破り捨てられてしまう。何をやっても不思議なテイストを醸し出し、他では決して見ることのできない傑作ドキュメンタリーになってしまった。

作ろうとして作ろうとした作品ではない奇跡の作品だ。

実は私は『ザ・ノンフィクション』のスタッフに話を聞く機会があり、2010年の時点で続きが撮影されていないことを知っていた。『漂流家族』が狙い通りの作品ならば続きが撮影されていたはずだ。スタッフたちは『漂流家族』について語ろうとしなかった。

 

※魅力にあふれる竹下夫婦の発言をもっと聞きたいし映像を見たい。ビックダディたちが大家族テレビ番組によって多くの仕事を得たように、竹下家もこの永久不滅の人気によって裕福になれたらファンとして本望だ。竹下家は、竹下家にしか見せることのできない本当に有意義な視聴時間を届けてくれた。

 

これは100年後の人類にも衝撃を与える真に評価されるべき奇跡の名作ドキュメンタリー作品だ。

 

 

 

結局勝っている人は本命党で、穴党の夢を吸い取っているのがわかる。穴党はたまに勝って興奮している。三吉さんもこれだけ研究して真実を知っているのに、穴舟券も買う。

ギャンブルは楽しいからやる。

いろいろな人を見ていると、ギャンブル中毒で借金を増やす人の特徴は、熱くなる。叫ぶほど、怒るほど、ものを壊すほど興奮し、一般の人ほど感受性が強く、感情を刺激され、ギャンブルを楽しんでいる。普通はギャンブル中毒になるほど熱くなれず、借金してまでは賭けないし、冷静に考えて借金して確実にギャンブルで勝てるとは思わない。つまりギャンブル中毒者ほどにはギャンブルにはまることができないし、楽しんでいない。冷静さを失うほどに楽しんでいるのがギャンブル中毒者だ。

 

こんなにすごい舟券研究は見たことがない。この20分の動画は非常に貴重で名作だ。本1冊買うより価値がある。三吉功明は舟券解析をライフワークにし、ここまでわかりやすい解説は他にない。舟券解析だが全ての公営ギャンブルに通じる。必見! 他のどの本を読んでもここまですごい研究は絶対ない。

●11分49秒頃衝撃貴重真実発言

「人気筋の舟券というのは基本的に回収率が高い。全部そう。穴党の思考になればなるほど安い回収率のフィールドに入っていっちゃう」

すごい! 舟券驚きの回収率データ!

●全全全を買い続けると 61.8%

●123で勝負 83.2%

●1全全合計20点 79.5%

●4.5の頭 63-66%

●6の頭 35.7%

●それでも穴を狙うなら4の頭

●BOX買いブームで、せっかくの穴オッズが下がってしまった。穴党は厳しい。

●参考(5より1のほうが来る確率が高いという例)

415 75%

451 59.3%

 

 

これは本当に素晴らしい動画だ。ギャンブルを追求するものにとっての永遠の宝物だ。

こんなに誰もが欲しい貴重情報をYouTubeで無料で発信してくれているなんて素晴らしい。ギャンブラーは何度でも見て、記憶しておくべきだ。舟券の話だが、車券にも絶対に通じるところがある。

 

「答えはもう出ている。」

お金を払って本を買って読むレベルの解析だ。毎年改定版を出せば一定部数売れるだろう。本当にすごい。

 

※「穴党はオワコンです。」

※「穴党は買ってるだけで大損してます。」

 

ものすごい時間をかけて苦労してつくった価値ある年間研究結果を20分でほとんど無料で発表してくれている。

 

これは全部文字起こしするレベルの研究発表だ。

文字起こしした文章を読みたい。手元に常においておきたい。

 

「楽になりたいんだったら本命党が断然ベスト」

「オッズを見て割りに合わないギャンブルはしない」

「舟券年間データは人間の変化とともに数年で大きく変動していく。ルールや背景で舟券人気傾向は変動していく」

 

 

●三吉功明

年間回収率75%以上の奇跡の勝負師三吉功明氏は1972年生まれ。元スポーツニッポン、元『マクール』副編集長。フリーのボートライター。舟券配当データ解析がすごい。使命感をもって舟券研究をしている。全ての公営ギャンブルに通じるこんなすごい研究家でもギャンブルは勝てない。勝てなくてもいいのだとよくわかる。ギャンブル場にはたまに必ずこういう神様のような天才が現れ、ギャンブルを盛り上げてくれる。最高のギャンブラーだ。

 

 

吉岡稔真の脳梗塞からの回復が凄すぎるし早過ぎる。

●2024年2月 軽い脳梗塞を起こし入院したと発表された。

●2024年7.7 小倉競輪場吉岡稔真カップ表彰式に杖をついて現れ、左手を震わせ、軽くない脳梗塞の後遺症があることをファンは知って驚き、心配した。その後、たまに競輪中継のスペシャルゲストとして何度か元気な姿を見せた。中野浩一との会話で、長い話になると呂律が回らなくなり話が聴き取りづらかった。

●2025.8.11 小倉競輪場吉岡稔真カップ表彰式に現れ、杖なしで歩き、マイクをもってのコメントでは、優勝した柳詰選手の名前もスラリと普通に話し、ファンを驚かせた。

●2025.10.15 スピードチャンネル小倉競輪中継で鬼脚井上茂徳と並んでコメンテーターとして出演し完全仕事復帰した。脳梗塞の後遺症は見られず、普通の55歳の吉岡稔真でファンはまた驚き、「おめでとう」の声が多く飛び交った。

 

昔、誰にも負けないほどものすごい強かった滝澤正光という競輪選手が、

「自分は日本で一番練習をします。だからもがき合い(競輪競走で、根性の力勝負で長い時間、二人が1番前に出るのを競い合うこと)になったら負けないんです」

という名言を残した。

滝澤より強かったのが吉岡稔真で、異常な練習量が業界で噂になり話題になった。周囲があきれるほど、一人でいつまでも練習をして競輪界で1番強くなったのが吉岡だ。

吉岡は脳梗塞になって軽度ではない後遺症が残ったが、回復力が異常だ。今では普通の55歳の人と変わらない。もし吉岡がリハビリを練習ととらえて取り組んだら、今のように普通の人にまですっかり戻ってしまうのではないか。

NHKの健康番組は吉岡稔真のリハビリを取材し、日本全国130万人の脳梗塞患者たちに希望を届けて欲しい。脳梗塞の後遺症は治るのだ。

 

●2025.8.11吉岡稔真カップ表彰式。この時よりさらにずっと、現在はまるで病気でない普通の55歳男性と変わらないまでに回復し、普通に話している。現在は、長く話すと呂律が回らなくるのも克服した。

 

●2025.10.15 スピードチャンネル小倉競輪中継で鬼脚井上茂徳と並んでコメンテーターとして出演した。

脳梗塞の後遺症がすっかり治っているのに驚く。

普通に話してジョークも飛ばしている。隣の鬼脚が吉岡に話し掛けながら嬉しそうにしているのがファンとしては嬉しい。競輪界の人間関係はいつもこのような感じで、それも競輪の魅力だ。吉岡ー井上で決まるレースは多かったが、吉岡ー井上の車券は競輪史上もっとも売れた車券なのではないか。だって、本当に毎回みんな買っていた。吉岡井上か、それとも無理して井上吉岡か、それ以外買いようがなかった。そんな車券他に知らない。

話も、表情も、普通の人に戻っている。病気前の吉岡とあまり変わらない。

すごい55歳だ。

さりげなく仕事復帰した。さすが不動心だ。

●2025.10.15小倉競輪中継。5時間28分35秒から吉岡稔真出演。

 

●2025.8.11 吉岡カップ優勝表彰式に吉岡稔真が杖なしで歩いて登場し、挨拶した。大きく回復したというより普通の55歳よりすらりとしてずっと若くかっこよく、成功者の見栄えだ。痩せたから服が似合い、カラフルなラインの入った去年よりおしゃれな帽子と黒い服できめている。優勝した柳詰選手の名前もすらりと全く普通に話した。

見ているのが嫌になる異常に長過ぎる表彰式で、吉岡がなかなか登場せず、吉岡の登場を待っているファンばかりだった。

吉岡は去年とおととし弟子の優勝に感激して泣いたが、今年も泣いた。競輪界が吉岡を讃えている雰囲気に応えて泣いてしまっているのだろう。来年も必ず登場してくれる。

吉岡稔真、復帰後の表彰式で颯爽と登場

吉岡稔真、黒服に帽子、表彰式

 

吉岡の病状は手足の軽い後遺症と、長く話していると呂律がついていかなくなるという程度のようだ。

 

祝! 今年からやっと、ついにF1開催からG3に格上げか?(詳細不明)

今年は万国協賛 第19回吉岡カップG3となっている。今回だけのG3開催かもしれない。記念競輪G3でなく、協賛競輪G3なので賞金も高くないし、スター選手は出場しない。

小倉競輪場はG1競輪祭が名物で基本的に競輪祭以外のグレードレースは開催されない規定になっている。

2025年8月8日金曜から8月11日月曜 小倉競輪場

吉岡の姿が見れそうだ。

 

宇都宮の神山雄一郎杯、吉岡稔真杯、松戸の滝澤正光杯、久留米中野浩一杯と4大G3としてもいいが、現在F1開催である武雄井上茂徳杯、弥彦小橋正義杯もG3に格上げして6大G3にして大いに盛り上げるべきだ。競輪ファンが鬼脚井上茂徳、鬼脚二世小橋正義にどれほど興奮し、夢を見て、大金を賭け、時に大儲けに酔ったか競輪施行者は理解するべきだ。6人には確かに競輪魂の全てがあった。

 

吉岡稔真は2024年2月に軽い脳梗塞を起こし入院したと発表された。

しかし、2024年7月7日の吉岡稔真カップ、弟子の小川勇介優勝表彰式に現れた吉岡は杖をつき、軽い脳梗塞ではなさそうだった。

吉岡稔真は大スターだ。吉岡が現れるだけで競輪場は盛り上がる。今、競輪場には盛り上がりが必要だから吉岡は必要とされている。

競輪には思い出がある。どこの競輪場も通いづらい場所にあり、それでも競輪に魅了されたファンは通う。泊りがけで競輪に行くこともあるから競輪には思い入れがどんどん深くなっていく。

吉岡は特に思い出が深い。1994年、18連勝の走りをみんなが見に行き、完璧な一人舞台を見せてくれた。ネットのない時代、毎朝スポーツ新聞を買って吉岡の連勝記録を毎回確認した。伊集院静が『FRIDAY』に特別寄稿して吉岡の18連勝を讃えた。

私は吉岡稔真の連勝を大宮競輪場に見に行き、吉岡の捲り以外、全ての時間が止まった瞬間を見た。まるで静止した絵の中を吉岡一人が走っているようななめらかな素晴らしい捲りだった。

 

左脳の脳梗塞だと右半身と言葉が不自由になるが、吉岡は幸い右脳の脳梗塞のようで、言葉はしっかりして、会話も普通だ。長い話をすると今はまだ呂律がついていかなくなるが、反応は普通に早い。左足と左手が不自由になってしまったようだ。しかし脳梗塞の後遺症はほとんど全員がリハビリでどんどんよくなっている。

脳梗塞になって痩せた。痩せたから服が似合うようになった。なかなか独特のファッションでかっこいい。高そうな背広と帽子だ。

杖もきっと高級な杖だろう。私のようなダイソーで買った200円の杖とは違うだろう。

長嶋茂雄も中程度の左脳脳梗塞で言葉と右半身が不自由になってしまったが、それでも野球場に現れ、テレビに出て、インタビューに答えた。その方が野球ファンが喜ぶからだろう。自身のためにもきっといい。それに長嶋は、なんだかいつだってどんな時でもかっこいい。

野球界には長嶋がいるが、競輪界には吉岡がいる。

吉岡の頭がはげだした頃、吉岡本人はかなり気にしていたようだったが、ファンはそんなことはどうでもよかった。坊主頭の選手はいくらでもいる。気にしていたのは吉岡一人だけで、そんなことより、全盛期を過ぎて勝率がかなり下がっても吉岡は一番人気になることが多かった。実力よりも人気の車券だった。どうしても吉岡からの車券を買いたい。毎回、なぜかどう考えても吉岡が勝たないなんて考えられなかった。

全盛期、吉岡が先行すると、いつまでも1本縦並びで、そのまま縦並びでゴールした。対抗ラインがかまし先行を仕掛けても、ズンズンと番手選手を引き連れてきっちりと捲り切り、ゴール前では番手選手とともに数車身ぶっちぎった。少し実力が劣る選手が吉岡の番手につくと、1本棒の吉岡の先行についているだけなのにつきバテして番手から離れていってしまうということがよく起きた。吉岡の番手からの二段駆けは一度もなかった。展開上吉岡の番手にはまった選手がゴール前で差すということはあったように思う。

みんなが何度も吉岡ー井上茂徳1番人気150円の車券を買い、1万円を1万5000円にして競輪場を後にした。帰り道、いつもみんなが、「やっぱり吉岡井上1点だけでよかったんだよー」と後悔した。吉岡のレースはなかなか荒れないのでファンは困った。

引退試合はグランプリで、井上昌己の後ろに着くことがきたが、自力を選んだ。山崎芳仁の先行を捲ることができず、9着だったが、最後まで吉岡らしかった。いったい我々は吉岡の車券をいくら買っただろう。

いつまでも吉岡を見たい。

吉岡も長嶋みたいにどんどんおしゃれをして競輪場に現れて欲しい。競輪中継にも出演して欲しい。吉岡がいると確実に盛り上がりファンが喜ぶ。ファンは吉岡が病気をしても何も変わらずファンのままでいる。吉岡の代わりはいない。それが吉岡だ。吉岡のことだから、ファンからの声援が吉岡を元気にすることがあるかもしれない。

脳梗塞患者は日本に100万人もいる。杖をつくようになるとわかるが、どこの商店街を歩いても次から次にたくさんの足の不自由な人とすれ違う。吉岡は練習量で有名な根性の人で不動心だ。バンクを一人でいつまでも回ってひたすら練習をして強くなった。死ぬまでファンを魅了するほどの走りを現役時代の吉岡はした。

●2024年7月7日吉岡稔真カップ表彰式。吉岡稔真登場は13分48秒から

●吉岡全盛期、ライバルは神山雄一郎ただ一人だった。記念競輪で低配当で連勝する吉岡を見て誰もが「神山しか相手にならねーよ」とぼやいた。1995年のKEIRINグランプリ、神山雄一郎が先行し、吉岡が捲った。神山の先行は完璧で力強く安定し、これを捲れる選手は吉岡ただ一人しかいない。二人の走りは豪快で、完全に二人きりの力勝負であった。吉岡ー神山で決まり車番1ー9は2190円。競輪魂がふるえるすごい闘いであった。1994年、大垣全日本選抜競輪決勝戦では、山本真矢の後ろをなんと吉岡と神山で競った。選手紹介から二人が位置を主張して並走し、ファンは不思議なものを見た。実力は山本真矢が下だが、その時、山本真矢は先行で結果を出している時だったので、山本真矢の先行に山本と同期の吉岡に乗られて二段駆けをされては神山に勝ち目はないということのようだった。高橋光宏ー神山ー吉岡で決まり、枠番連勝単式4-1で5000円だった。

●1995年KREIRINグランプリ

●神山雄一郎涙の引退会見より「吉岡君に認められる選手になりたくて頑張ってきた」(9分50秒から吉岡のこと)2024年12月24日引退会見

●●本田晴美のために走った吉岡

自力選手は自分で見せ場をつくることができる。見せ場をつくることを使命とした実力者が人気一流選手になる。滝澤正光と吉岡稔真がそうだった。

昔、本田晴美がG1決勝で吉岡稔真の番手につくことになった。

本田が準決を勝ち上がり、続いて吉岡も準決を勝ち上がった。

レースを終えたばかりのまだ息の荒い準決勝の勝利者テレビインタビューで、タイトルを獲ったことがない本田晴美のために走る、と吉岡が宣言した。

「自分は本田さんのことを尊敬しているんで、本田さんにタイトルを獲ってもらいたいです。本田さんが勝てればいいです」

あの吉岡が本田のために走るとインタビューで答えた。

そういわれた本田も嬉しそうに感極まったような表情で照れたようにモジモジしていて、まるで恋人同士のようだった。

なんとなくテレビを見て吉岡のインタビューを聞いていた競輪ファンは感動してしまい、翌日本田から車券を買わないわけにはいかなかったが全盛期を過ぎた本田は勝てなかった。

それでも我々はさらに吉岡と本田のことを大好きになった。あの時の吉岡と本田のインタビューで、20年以上経った今でも私は吉岡と本田を好きでたまらない。

吉岡は走る度、話す度、登場する度、ファンを増やしてきた。それは今も変わらない。