●介護犠牲

11年の介護を終えたが、やってよかったなどとは思わない。

私は父と仲がよくなかった。15年一度も話したことがないほど仲が悪かった。

しかし、父が病気になると連絡先はどうしても私になった。

病院を移る時、父は座ることもできなくなり、救急車を借りることもできず、どうしていいかわからないので、病院に手配を頼むと介護付きのワゴン車が着て、30分の移動で1万1000円以上かかった。父を病院に送り届けて、帰りは節約して1時間半歩いて家に帰った。そんな時に限って雨が降ってきたりする。介護はそんなことの繰り返しで無駄ばかりだった。

唯一の喜びは一日中病院のつきそいで、そのまま夕方になってしまい、1日飲まず食わずのまま、かぶら屋に行き、当時メニューにあった生グレープフルールサワーを一気に飲むことだった。あの生グレープフルールサワーは長いアル中飲酒経験の中でもベスト5に入るうまさだった。

母の介護も6年やったが、私はまだ30代で当時はまだ介護などという言葉が社会に浸透しておらず、ニートと呼ばれた。

母の介護もやってよかったとは思わない。母も、私が食事や掃除や洗濯やゴミ出しの世話をしても、感謝しなかった。

そういう家庭だったから仕方がない。かといってよその家を羨ましいとも思わない。しかし、お金もちの家は羨ましい。私のうちも少しお金もちの家ではあったが、親戚が多過ぎて私に入る額が少なかった。

父と母の介護で計17年だ。

介護をしていない人からみると私は暇にみえる。

たしかに暇なのだが、介護は待ち時間が多過ぎる。

病院や施設に預けても、例えば父の場合、目が悪い。病院や施設に眼医者はいないので、車椅子に乗せて眼医者に通わなければならない。

手術や検査の日、1日施設の人に付き添いを頼むと2万円近くはかかる。そんなバイトは私にはないから私が自分で付き添う。お金があるうちならどんどんお金を払えばいいが、普通は節約していつまで続くか将来が不安になる。

また、どんどん施設に任せていわれるままに払っていると請求額は上がっていくところもある。きちんと事情を説明して高くならないようにチェックする必要があるところもある。アマゾンで新品を6万円で買える高級車椅子を定価19万円で買わされたりすることがある。あちらも仕事なので奉仕だけでなく当然利益も追求しているところもある。私は何度もそういう現実を経験した。

車をもっていないから、車椅子が乗れるワゴン車を手配する。車椅子が乗れるタクシーは予約制で値段は普通車と変わらないが、一営業所に数台しかなく、高齢化社会の中でそれらがフル稼働している。行きは前もって予約できるが、帰りはなかなかつかまらない。1時間は待つ。

車椅子の乗れるタクシーはフル稼働だから大儲けだろうと思うが、運転手さんは嫌がる。予約制で動き、病院が多いので距離は近く、送り届けた帰りに、予約客以外を乗せることもできないので、稼ぎはよくないのだ。

私の介護時間は一日に平均すると短いが、ちょくちょく、いつも緊急に施設や病院から連絡がくる。二時間で済むこともあるし、9時間かかることもある。週一日の時もあるし、週4日のこともある。開いた時間にちゃんと働いている人もいるらしいが、そんな働き方ができるとしたら夜勤か早朝か、優秀な人か、自分の親族が関係している会社なのではないだろうか。私はとにかくずっと身動きが取れず、外泊はできなかったし、携帯を見えるところに置きながら風呂に入った。遺産相続にも巻き込まれ、嫌がらせを受けていたから、さらに自由はきかなかった。ストレスで何度も気絶したため、悔しかったが正式に司法書士に頼んで相続放棄手続きを取り、親戚と縁を切った。

ストレスばかりだった。ストレスで頭の皮がかゆく、フケだらけで、頭皮の3割がむけ、いつも濡れているかかさぶただった。

父が死に、介護を終えると、頭のかゆみと、過食嘔吐が止まった。

苦しみが終わると、「もう一度やってもいいかな」と思うのが普通だ。刑務所経験でさえ、そう思うらしいが、介護なんてもう嫌だ。

介護者が私一人だったから風邪をひくことも許されなかった。父が死に、自由になったら、一気に緊張が緩み、帯状疱疹が出て、今度は私が寝込むことが多くなった。もう少し高齢になると、介護を終えて死んでしまう人は多い。

遺産をたくさん残してくれるのなら希望があるが、生きているうちも、死んでからも、数年後が不安でずっと節約している。

介護犠牲、介護への生贄といっていい。

仲のいい親子なら一緒に過ごせた幸せを語るが、そういう家ばかりではない。