吉村昭は歴史の事実設定を変えて小説を書くのを嫌い、森鷗外もそうだった。小説の面白さよりも史実を大切にし、史実だけでも読者を感動させることはできると考えた。戦争小説を書くと資料が多く、1分単位で事実がわかり、それが吉村昭の小説作法になった。想像を加えて面白い歴史小説を書く司馬遼太郎と小説作法が違うため、第一回司馬遼太郎賞を辞退した。

吉村昭は話がうまい。聴衆を笑わせる。間がいいし、落ちもつける。話がうまい吉村昭が志ん生を愛聴していたのは興味深い。

名文家として評価され、文章で笑わせるのが得意な東海林さだおも志ん生を愛聴している。自分を高めるために志ん生を聴いている。名文家・東海林さだおがどんな知識を得ているのか興味を抱く読者が多い。インタビューなどで明らかになったのは、東海林さだおは好きな文章を全集を中心に繰り返し読んでいる。太宰治、木山捷平、志ん生などを繰り返し味わっている。

志ん生を聴いて文章がうまくなる効果は少ないが、志ん生の面白さと表現力を少しでも自分に移したい。「無精床」で床屋の小僧に髪を切られ、「親方、この小僧さん、なかなかうまいよ、痛くないよ、なんだまだやってねーのか」と志ん生がいう。全然面白くないセリフだが、志ん生がいうと客席は受ける。言い方が面白い。感心するほどなぜだか面白い。ああいうのは志ん生と渥美清ぐらいしかできない。顔をみているだけで、声を聴いているだけで、何を話しても面白い。真似している人を見ると腹が立つほどにつまらない。

志ん生を聴いて文章がうまくなったのではなく、文章がうまい人が志ん生を好きなのだろう。太宰治も木山捷平も東海林さだおも文章がうまいことで知られている。木山捷平は友人・太宰治の天才的文章に早くから気付き、太宰が書き損じた原稿を大事に取っておいたりした。みんな、同じ種類の、文章を書くのが得意な人間なのだろう。

 

 

 

●吉村昭講演録 私の史実探求 5枚組

●1巻 『桜田門外ノ変』創作秘話

・関鉄之介になりきり、夢でうなされた

・実際の斬り合いはみんな死ぬのが怖いからテレビ時代劇でみるのと全然違う

●2巻 『生麦事件』創作秘話

・島津久光、小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通

・参勤交代大名行列、加賀藩は7000人薩摩藩は3000人、毒殺を恐れ全て風呂桶まで全部自前で用意した

●3巻 幕末の海戦 回天始末

・幕末の開戦

・榎本武揚

・日本の反肉食文化により、兎は鳥のように一羽といい、猪は山鯨と呼んでごまかして食べていた

●4巻 生存者 『陸奥爆沈』

・記録より当事者の証言が欲しい

・軍人恩給名簿をみて直接会いに行った

・『陸奥爆沈』

・戦艦陸奥撃沈の犯人

・船員は多数足首を骨折していた。内部からの衝撃によると断定。

・引き上げられた艦内から発見された遺体が実印とともに火薬庫の近くでみつかった

・盗癖のある船員

 

・『総員起シ』

・沈没して9年後に引き上げられた潜水艦内部は浸水していない部屋があった

・艦内には遺体から発するガスが充満していた

・艦内に強引に入り込み、写真を撮影した『中国新聞』記者・白石鬼太郎

・カメラフラッシュの中でみたベッドの中で生きているような乗組員たち

・懐中電灯を照らしても生きているようだった

・水兵は坊主頭なのに毛と爪が伸びた遺体

・首吊り死体

・空気に触れると遺体に斑点が出た

・水深60メートルで温度が低く遺体は腐らず、歳を取らす時間が止まった。当時の戦友が身元確認をして、不思議な気分だった

●5巻 歴史其儘 森鷗外

・三島由紀夫に会いに行った

・桜桃忌、太宰治の墓の正面に森鷗外の墓がある。桜桃忌では鷗外の人気はない。

・病床で書き写した森鷗外の文章

・名落語家は笑わない。笑ってばかりの今の芸能人とは違う。

・森鷗外、志賀直哉、梶井基次郎が好き

 

 

●文藝春秋文化講演会

「空襲の記憶」

・志ん生を呼んで落語会を開いた