●デイリーヤマザキのばくだんおむすび

内田百閒は庭の小鳥にエサをやり、

「いつも同じ味であきないのだろうか?」と思った。

その後、自分が毎昼、ざるそばを食べる習慣になり、それを長期間続けているうちに、近所の普通のざるそばを毎昼食べないではいられなくなった。二時間程度の遠出なら、家に戻るまで空腹を耐えてでも、家の近所のざるそばを出前で食べ続けた。そして小鳥の気持ちがわかった。同じ時間に食べる同じもののおいしさを知った。

内田百閒の食べ物エッセイは素晴らしく面白く、影響を受ける。たかが食べ物エッセイが強く心に残る。

百閒が知り合いに高級シャンパンを送り、百閒は貧乏なのだけれでも高級シャンパンはおいしいから自分の分も買った。家では質素なおかずしかないから、オカラをつまみに高級シャンパンを飲んでみると、非常に合い、オカラと高級シャンパンのマリアージュが生まれたと喜んでいる。

内田百閒の『御馳走丁帖』を読むと、質素な食事が芸術的に思えてくる。

私も余裕がないから余計なものを食べないようにし、安くてうまいものに出会えたら、そればかり食べる。飽きるまで食べるが、どんなにうまいものでも数日で飽きてしまう。他に安くてうまいものがなかなかみつからないから、同じものを食べ続けているがそれなりに満足する。

図書館に行く前にデイリーヤマザキでおにぎりと一番安い缶コーヒーを買っていく。

デイリーヤマザキのオリジナルばくだんおむすびは195円もするが、大きくておいしい。ばくだんおむすび(ザーサイ高菜)と、ばくだんおむすび胡麻昆布(日高昆布使用)を買う。食べ過ぎだが、うまいから二つ買わないわけにはいかない。他にも種類があるが、私は菜食だからいろいろ食べることができない。

具の高菜炒めも非常にうまい。ゴハンの炊き方もうまい。やわらかさがちょうどいい。ゴハンの甘みを強く感じる仕上がりになっている。

小学校の遠足気分になる。デイリーヤマザキのおにぎりは手作りで毎朝店内でつくっているという。

胡麻昆布より高菜が好きだが、胡麻昆布は胡麻昆布の佃煮がたっぷり入っていて、買わないわけにはいかない。ゴハンにタレがよくしみて、こんなにおいしいおにぎりは他にどこにも売っていない。

デイリーヤマザキの胡麻昆布おにぎりに関しては、自分でつくる以外には勝てない。あんな満足感は得られない。おにぎりをつくるのは大変で、ゴハンを炊かなければならないし、おにぎりはさめてから旨味が増し、固さと歯ごたえと甘みと弾力は数時間経ってから増し、しかも何時間も経ってしまうと劣化が始まり固くて歯ごたえも悪くなり、味気なく、甘みも消える。

表面の塩のゴハンへの馴染み具合にも時間がかかる。自分で握ると、早く食べたいからおいしくなるまで待てずに食べてしまう。

デイリーヤマザキの胡麻昆布おむすびは、薄味の好きな人にはしょっぱくて食べられない。コンビニおにぎり商品にはありえないほど昆布の佃煮を入れ過ぎている。甘辛旨味醤油がゴハンに染み込んでいる地帯が半分以上ある。そんな贅沢をしているおにぎりがどこにでもあるコンビニで売られているなんて素晴らしい。

醤油がしみたゴハンを愛する人は多い。吉行淳之介も書いていたと思う。醤油のしみた海苔弁をつくって御馳走すると誰もが喜び、リクエストして楽しみにするというような話があった。

自分でつくればかなりおいしいものができるが、なかなかできるものではない。私の周りにも、醤油がしみて、ゴハンがさめて少し固くなって、歯ごたえとのど越しがよくなったゴハンが食べたいために前の晩に弁当をつくり、朝まで熟成させてから食べるという人がいて羨ましい。

何度か自分でもつくろうとしたが、私にはできない、とわかりもう自家製醤油ゴハンはあきらめている。つくりながら食べてしまう。アツアツおにぎりもまたうまい。目の前にあるアツアツのゴハンを食べないではいられない。カップラーメンも、お湯を入れた直後からスープをすすり始めてしまう。何十回も完成するまで待とうとしたが、全敗だ。カップラーメンの場合は熱い方がうまいから麺が完成するまでの間にスープを飲み始めるという考え方も間違いではない。早く食べたい。できれば見た瞬間今すぐ食べたい。

 

デイリーヤマザキのおにぎりを手にした瞬間に食べたい。レジに並ぶ時間が苦しい。ビニール包装を開け、塩味の効いたしっとりとおにぎりと一体化した海苔を見つめながら、並びながら食べそうになる。食べ始めても説明すれば店員にわかってもらえるのではないか、と本気で考えている自分に気づいて我にかえる。

スーパーヤオコーの高菜おむすび192円も具沢山で大きくておいしいが、デイリーヤマザキのようには味が濃くない。デイリーヤマザキの高菜にはザーサイが入っているからかパンチが効いている。夏は特に体が塩分を欲しているかあ旨味が増す。

デイリーヤマザキのおむすびのうまさの秘訣の一つは塩分にある。おむすびの周囲の塩加減も濃いめで、小学生の時食べた友達のお母さんが握ってくれたおむすびの味わいがある。

家の近所のデイリーヤマザキで買ったおにぎりとコーヒーを図書館まで食べずに我慢して持って行って、休憩室で食べる。食後にコーヒーを飲む。それだけが楽しみで朝目覚めるともうデイリーヤマザキのおにぎりのことを考えている。デイリーヤマザキのおにぎりがあるから足が痛んでも出掛ける気が起きる。一日の始まりはまずはデイリーヤマザキのおにぎりで、一日の最初に他のものを口にする気がしない。一日で最初に摂る栄養は一番うまい。

食後、かなりの満足感を得て、しばらくは食欲から解放され、司馬遼太郎の小説を長時間かけてじっくり読む。私の頭ではたくさんは読めない。『竜馬がゆく』は高校生の時、半分読んだが、今読んだ方がとても面白い。50歳を過ぎてもまだ燃えてくる。まだ自分の体の中に生命力が残っているのがわかる。死ぬまで、何かに進んで読書を続けよう、死ぬ前の日も読書をしよう。『世に棲む日日』で、吉田松陰は死刑を覚悟した獄舎の中で読書を進める。松陰は純粋な読書をはっきりと意識しながら読書をしている。おにぎりも本気で食べなければならない。

おにぎりは炊いて握ってさめる頃においしくなる。朝握って昼食べるとおいしい。握りたてのアツアツもおいしいが、あれはおにぎりとは別料理といえる。アツアツゴハンをにぎってゴハンのうまさを凝縮し、醤油をたらしただけでもうまい。特に冬は炊き立ての湯気までがうまい。湯気を吸いこみながらハフハフやっていると冬でも汗ばむ。

私の母は米を炊くのがとても下手で、おにぎりも海苔もいい加減で適当だからでおいしくなかったが、友達の家のおにぎりはおいしかった。タラコがぜいたくにたっぷり入っている。具沢山は自分の子供への愛情でもある。しょっぱいぐらいの方がおいしい。

普通のコンビニの大量生産のおにぎりは味気ない。歯ごたえも塩味も印象ないまま食べ終える。

昔、田町に勤めていた時に朝からやっている小さいおにぎり屋さんがあり、朝五個買って昼食べた。会社の同僚の女性社員も毎朝おにぎりを買っていて、私のおにぎり5個をみてけっこう大きいから「2個で十分だ」といって驚いた。あのおにぎりはおいしかったが、家の近所のデイリーヤマザキのおにぎりのほうが過去最高においしい。

今日は胡麻昆布おむすびは売っていたが、高菜がなかった。確認のため、何度も他のおにぎりを注視していると、野菜かき揚げおむすび248円というのが売っていた。おにぎりが1個248円とは高過ぎる。しかも揚げ物は体に悪い。しかし、胡麻昆布おにぎりを2つ買う気にはならず、試しに野菜かき揚げおむすびを買ってしまった。なんだかもったいなく、罪悪感と後悔が残った。

食べるのを我慢しながらやっと図書館に着き、さっそく期待していない件の野菜かき揚げおむすびの方から食べてみると、おいしい天丼弁当を食べているような幸せな気持ちになった。赤だしの味噌汁をつければ高級てんぷら屋に負けない。かき揚げの上に紅しょうががのっている。紅しょうがは牛丼屋で牛丼を食べる時以外に食べることはない。牛丼屋ではいろいろ試したいから味変程度に食べるのだが、紅しょうがをうまいと思ったことはこれまで生きてきて一度もない。串揚げ屋で紅しょうが揚を食べた時も紅しょうがを揚げる意味がわからず、需要があるのが不思議だった。やきそばについている紅しょうがは色どりがよくなるが、うまくはない。

デイリーヤマザキの野菜かき揚げおむすびにのっている紅しょうがは薄いピンクで、薄味でおいしい。本気でおいしく、紅しょうがを生まれて初めておいしいと思った。紅しょうが自体がおいしいというより、野菜かき揚げとタレとゴハンと紅しょうがの組合わせが相乗効果を出していて、この組み合わせに紅しょうがが欠かせない。ラーメンにコショウが必要なように、広東麺には絶対にコショウを振りたいように、紅しょうがが絶妙に野菜かき揚げおむすびをおいしくしている。油っこさを爽やかに中和し、春がきたのを気づかないまま突然鶯の第一声を聞くように、感慨深く嬉しくおにぎりを味わう。こういう組み合わせは誰が考えているのだろう。

一つわかっているのは、よい食材をけちらず、うまい具をけちらなければうまさは最大限となる。簡単なようで、原価計算をするとなかなか勝負できないが、勝負所を間違わなければ人気商品になる。

スーパーヤオコーにもいえるが、デイリーヤマザキには名も知れぬ才能がいる。