●痛風とロキソニン

痛み止めを飲まずに痛風の患部を腫れさせ、熱で尿酸決勝を完全に溶かしてしまうという考え方がある。痛風の痛みの中で人はいろいろ考える。

先日、ロキソニンを切らした。結局九日間痛み止めなしで過ごすことになったが地獄だった。立てないし、一向によくなる気配がなかった。

私も痛み止めを飲まないで、熱で、尿酸結晶を溶かすという考え方のほうが自然でいい、と思っていた。薬を飲まないほうがいいにきまっている。痛み止めを飲んで熱を抑え、痛みを和らげるほうが不自然だと思っていた。

しかし、炎症は時にひどくなる。私の体は血管が細く、寒さに弱い。すぐにどこかが痛くなり、炎症を起こし、放っておくと炎症が悪化して立てなくなる。

クーラーをつけっぱなしにしたり、寒い外で待たされたりして、腰や背中が痛み出し、すぐにロキソニンを飲むと痛みが翌日にはおさまっているということが何十回もあった。

炎症が消えるなら消えたほうがいい。

今回、ロキソニンを常備するのを忘れ、痛風が確実に悪化し、痛みの期間がのびた。

そういう対処は人それぞれ自分の体質と相談したほうがいい。それぞれ最善の対応は違う。

私はロキソニンなしでは日常生活を送れない。ロキソニンを買うとき、薬局の人にロキソニンは痛風の薬ではないし、長期間服用するものではないと説明されたが、効くものは効く。痛みから逃れることができる最高にありがたい薬だ。痛いのは嫌だ。人は痛みから逃げるべきだ。

なぜ神はこんなに痛い病気をつくったのだろう。他のもっと深刻な病気をしている人だってこんなに痛がっていない。骨折より痛い。なぜこんなに痛くするのかわからない。

悪化する足の痛みをみながら、ずいぶん反省した。痛風のよさは痛みだけの世界の中で心から反省できることだ。

痛みの中で、眠ったり起きたりしたりしているうちにこの足を新しい足に交換できないだろうか、と考えていた。眠りから覚め、意識がはっきりしてくると、ずっと人生を共に過ごしてきた自分の足に申し訳なくなり、足をなでながら謝ったり、お礼を口に出したりする。

痛風の原因は七割は体質で三割が食事だといわれる。

遺伝子によって設計された太る体質、尿酸を普通より多く作り、尿酸を溜め込む体質はある。しかし、あん肝を食べた翌日や飲み過ぎが続くと痛風の発作が出る。何を食べたかあまり関係ないとは思えない。過剰な栄養を摂らず、酒を飲まず、菜食にすれば発作は起きないかもしれない。尿酸値も正常に戻るかもしれない。私の尿酸値の異常は四十歳を過ぎてから出たのだから老化とも考えられる。多くの病気は四十歳を過ぎないと発症しない。

私が会った痛風の人は全て酒を飲む。アル中レベルといっていい。うまいものをうまそうに食う。七割が体質だとは全く思えない。酒を飲まず、小食で、菜食の痛風患者なんて会ったことがない。みるからに食い過ぎ飲み過ぎのグルメばかりが痛風になっている。実際問題、粗食しかできなかった戦前に、痛風と糖尿病という病気は日本にあまりみられなかった。おそらく過剰な糖分摂取が糖尿病を産み、酒と旨味が痛風を産んでいる。

自分の体に申し訳ない。暴飲暴食の結果、足が普通でなくなってしまったのなら悪いのは私の意志だ。無駄に大酒を飲んできた。それでいてこんなに足を悪くするに値するほど楽しい酒は飲んできていない。

今からでも間に合うかもしれない。足はもう一度くらいよくなるかもしれない。

菜食と断酒に挑戦する意味はある。

一般にいわれている痛風に悪いものはやはり悪いのだと思う。いいといわれているものはいいのだと思う。菜食は何年も続けたが痛風発作は出た。

酒と納豆もやめよう。クエン酸を毎日十五グラム飲む。