〔2024年5月5日 英語礼拝⑦〕

 

しかし、現代人はペットボトルの水に含まれる微小な破片を大量に消費している。ファーストフードには何万という単位で含まれている。何万個もある。みんな、プラスチックを食べているんだ。だから、食べるものには気をつけなければなりません。地元の農家、地元の支援、地元の農場に行くか、自分でやるか。家畜の訓練も自分でやる。天一国の訓練も、農業も、自分でやるんだ。それが本当の知識であり、本当の力だ。それが本当のお金なんだ。地面からすぐに出てくる。本物の現金がそこにある。ニセモノの現金じゃない。もちろん、コロナでは、ニセモノだと証明された。

 

紙幣って何か?紙だ。お金じゃない。ただの紙だ。ただの紙だ。暴落して何の価値もなくなるかもしれない。そしてもちろん、彼らは何を示しているのか?コロナ危機における欧州諸国のデジタルマネーはどこにあるのか?彼らはそれを危機と呼んでいる。何によって作られたのか?彼らはそれをコロナ計画と呼んだ。ある政府では、何が起きたんだ?ドイツだったと思う。そのうちのひとつは、非常にリベラルなものだった。たぶん、ドイツだったと思う。確かではないが。

 

ヨーロッパのどの国でも、国民の銀行口座からお金を取り始めたんだ。政府が銀行口座にアクセスし、お金を奪い始めたんだ。あなたには何もなかった。何もできなかった。何もできなかった。明らかに、彼らはそうしている。中国の他の地域でも同じことが行われている。どこでストライキが起きたか、思い出してください。私たちが、中国のための曲を発表したとき、中国でストライキが起きていたことを思い出してほしい。人々は、政府は、年金につぎ込んでいた人々の銀行口座からすべてのお金を取り上げてしまったんだ。その状況はアメリカとさほど変わらない。

 

 

皆さんの社会保障費も全部、バイバイだ。ウクライナに行ってしまった。あれやこれやに消えてしまった。裏金に消えてしまった。もうお金がないんだから、もっと長く働かなければならない。60歳や65歳で定年退職することは許されない。奴らは、皆さんを75歳で定年を迎えさせたいんだ。つまり、死ぬまで働き続けて、請求書と税金を払い続けろというんだ。彼らはその金を裏金にばらまき、キックバックをもらって、何百万ドルも何千万ドルも自分たちのものにしている。(略)

 

我々は世界のジョークだ。皆さん、我々は超大国であるべきなんだ。もしアメリカが倒れたら、世界中が全体主義になる。地球上の地獄へと流れが変わることを理解していない。共産主義。それは、どういう意味ですか?中央集権的な政府。政府官僚はやりたい放題だ。あなたを殺すことも、抹殺することもできる。銀行口座を奪うこともできる。奴らは気にしない。やりたい放題だ。そうなったら、実質的な自由は、もうないのです。

 

だから2024年に勝たなければならない。とても重要なことだ。よし、急ごう、急ごう、急ごう。早く、早く、早く。聖書の続きをしましょう。続けていきましょう。

 

10:3しかし実際は、年ごとに、いけにえによって罪の思い出がよみがえって来るのである。 10:4なぜなら、雄牛ややぎなどの血は、罪を除き去ることができないからである。 10:5それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、わたしのために、からだを備えて下さった。」

 

では、なぜ神は罪を罰する必要があるのでしょうか?なぜかというと、なぜ神は罪を罰しなければならないのか?神は善であり、公正であるからだ。もし神が善良でも正義でもなければ、罪を罰する必要はない。そうだろう?見てください。不法入国者がニューヨークに入ってきたとき、何が起こったか見てみよう。奴らは、警察官を殴る。女性をレイプする。犯罪を犯す。強盗もする。検察は彼らを釈放する。それでどうなると思う?それでどうなるんだ?ニューヨークは、あるいは検察は、カリフォルニアでの犯罪を認めているんだ。そういう人たちが来ると、最高で997ドル盗むことができる。だから、毎日、お金もいらない。強盗に入ればいい。カリフォルニアでは金はいらない。強盗ができるんだ。わかりますか?

 

犯罪を罰しないというのはどういう意味だ?犯罪を容認しているんだ。カリフォルニアのような仕組みが分かるか?彼らは万引きを罰しない。つまり、犯罪を容認しているということだ。何の話か分かりますか?だから、神も同じなんだ。もし神が罪を罰しないなら、それは何を意味するのか?許すということは、神はどうなのか?その場合、神は悪なのです。善ではないのだ。それがどういうことかわかるだろう。だから、神が公正であるためには、罪を罰しなければならない。罪を裁かなければならない。それは間違っていると言わなければならない。

 

なぜか?神の本質は善だからだ。私たちに善と悪を、あるいは悪と比較して善であるという客観的な基準があるのは、神のおかげなのだ。それは神の本性に由来する。神は嘘つきではない。だから私たちは嘘が悪いことだと知っている。彼は真実を語る。彼は姦淫しない。だから私たちはそれが悪いことだと知っている。それは彼の本性ではない。彼は泥棒ではありません。だから私たちは、盗みはいけないことだと知っているのです。それが彼の本性なんだ。皆さん、何の話か分かりますか?

 

それは彼の本性から来るものです。もし悪が罰せられないなら、神は悪を容認していることになる。悪を許しているのだ。そうなると、神はニューヨークの検察のような存在なのだ。彼は悪だ。彼はそれを許している。彼は悪が起こることを許している。彼は普通の人々がそれに荒らされるのを許している。だから彼は邪悪ということになるんだ。それがどう作用するか見てみよう。現代のカリフォルニアの左翼政治の例を挙げたら、分かるでしょう。どうなるか見てください。犯罪を許せば、犯罪を容認することになり、そして、そのせいで、みんなが苦しむことになる。国家は滅びるんだ。だから神は罪を罰しなければならない。神は罪を罰しなければならない。

 

だから、ヘブル人への手紙10章は罪を罰するためのものなんだ。しかし、旧約時代の動物のいけにえでは不十分だった。それは、メシヤを待ち望むための準備、メシヤのための国家的基盤を整えるためのものでしかなかった。そして、もちろん、メシヤの国家的基盤を元に、メシヤはイスラエル王国を引き継ぎ、さらに世界を支配し、ローマ帝国を崩壊させる。そして、メシヤはもちろん、地上の罪を償うための条件を整えることになる。しかし、もちろん、ユダヤ人とローマ人の両方の民が信仰を持たず、イエス・キリストを殺したので、二次的なルートに行かざるを得なかった。それでも神は、霊的救いのためにその二次的なルートを用いられたのです。アーメン。

 

だから、クリスチャンは霊的にではあるが、救いを受け継ぐことができた。つまり、当時、神の王国は、天から地へと、地上の天国には来なかった。イエスは私たちに毎日何を祈れと言われたのか?御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。なぜなら、神の本来の目的は、神の王国を天だけではなく、地にも持つことだったからだ。アーメン。

 

天と地の統一があるだろう。そして、天と地はエデンのように一つになる。もちろん、キリストはそのために来られた。天を地に降ろし、神の王国を築くために来られたのです。彼を通して 霊的な主権とサタンからの解放、そして肉体的な主権とサタンからの解放の両方によって、永遠の命を得ることができるのだ。ハレルヤ!主をたたえましょう。

 

 

 

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