〔2024年3月24日 英語礼拝②〕

 

つまり、武器そのものは本質的に悪ではない、ということです。というのも、最初の武器は神ご自身が作られたものだからです。このことについては、私たちは、聖書のヨハネによる福音書や、創世記3章で見ることができます。堕落した人間からエデンを守るための炎の剣が出てきます。このことを思い出してください。サタンはエデンを銃規制の下に置こうとした。しかし、神は違う計画を持っておられたのです。そうです。神は武器を許可し、アダムとエバを追放したのです。つまり、神は、武器の件だけでなく、国外追放にも反対ではなかったのです。聖書に、そう書いているのです。

 

皆さんにも話しましたし、私はそれを読んだのです。創世記を読んでください。ヨハネによる福音書もそうだ。そしてもちろん、ヨハネによる福音書2章に書かれているように、イエス・キリスト自身、肉体を纏った神の実体的な体、地上の受肉された神、イエス・キリストもまた武器を作りだすのです。それは鞭である。それは9本の尾を持つ鞭であり、その先には刃が付いていることが多い。ヨハネによる福音書2章では、キリスト自身がこの鞭、武器を製造している。彼はそれを作ります。両替商を打ちのめし、襲撃するために、製造に取り掛かったのです。つまり、キリストは文字どおり、攻撃用の武器を作ったのであり、つまり、襲撃用兵器の製造者というわけなのです。つまり、キリスト自身が両替商を襲うための武器を作ったのだ。もちろん、ルカによる福音書22章36節で見たとおりだ。

 

もちろん、ルカによる福音書22章36節では、イエスはクリスチャンの人々に外套を売って剣を買えと言われた。イエスは、キリストにあるユダヤの人々に対して、ユダヤの市民は武器を持つことができないというローマの掟には、従ってはいけないと言っているのだ。しかし、イエス自身は、神の民のために、自分の布を売って、防衛手段を持つべきだと言った。ですから、私たちはこのことを、まさに聖書の中に見ることができます。私たちは聖書の中にこのことを見ているのです。

 

しかし、どの教会もこのことを話したがらない。というのも、あまりにも政治的に正しくないからだ。しかし、それは教会を弱くするものではありません。実際、それは教会を啓蒙し、「ちょっと待って、最初の武器を作ったのは神なのだ。」ということを理解させるのです。それは道具なのだ。神の王国、神の神権、神のエデンの園を守るために、神の目的のために使われる道具なのだ。

 

そしてそれはまた、ルカによる福音書第22章では、イエスが鞭を製造しているところや、自分自身を守れ、武装しろと言っている例を見ることができる。もちろん、左派の教会では、それが聖書に書かれているとさえ言いたがらないし、触れようともしない。なぜなら、イエスが鉄のつえや、あらゆる武器に反対しているという物語を壊してしまうからです。私たちも先週、鉄のつえの聖句を調べました。

 

さあ、早速マタイによる福音書24章に行き、スコフィールドとスコフィールド聖書が何をしたかを見てみよう。では、36節に飛びましょう。マタイによる福音書24章36節に飛びましょう。イエスが言っているのは、終わりの時のことだ。ノアの時代のようになると。ノアの時代のようになり、ノアの時代には何かが起こるのです。何が起こるのか見てみよう。読みましょう。一緒に見ましょう。

 

24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 24:37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。

 

よし、そこで止めよう。だから、食べていた人々がいた。彼らは結婚し、楽しい時を過ごしていた。そして、洪水が来るまで、彼らは知らなかった。何が来たんだ?何が来たんだ?洪水が来てどうなった?洪水は彼らをすべて連れて行った。では、もう一度、何が彼らを連れて行ったのか。彼らは食べていた。結婚していた。結婚していたのです。何が彼らを連れて行ったのか?聖書には、洪水がやってきて、すべての人々を連れ去ってしまったと書いてある。本当か?これはキング・バレットヘッド.comに書いているのか?キング・バレットヘッド.com?いや、それは、キング・バレットヘッド.comじゃない。bible.comだ。作り話じゃない。あなたの聖書に書いてある。自分で読んでみて。よし、そこに書いてある。ここに洪水があった。洪水がやってきて、彼らをすべて連れて行った。さて、これはもっと重要なことです。40節まで行ってみよう。さあ、テックチーム、(スクロールして)下に降ろしてください。もう一度読みましょう。

 

24:40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 24:41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。

(Two women shall be grinding at the mill :二人の女が粉ひき場で粉をひいていると・・・

 

ハリウッドとスコフィールドはこの節を見ている。マタイによる福音書24章とテサロニケ人への第一の手紙4章です。私たちはマタイによる福音書24章を取り上げています。見たでしょう?こういう例を挙げられています。見てください。粉ひき場で粉をひいている二人の女がいる。屋上に二人の女がいる。一人は連れて行かれる。一人は残された。ハリウッドとスコフィールド聖書は何をしているのか?彼らはすべての番組を作っている。ハリウッドは『レフト・ビハインド』シリーズを作っている。ロサンゼルスの交通渋滞の中、誰もが車を運転している。突然、何人かが天国へ消えてしまうんだ。彼らは消えて、他のみんなは地上に残るんだ。まあ、呪われているんだ。分かりますか?だから、ハリウッド版でもスコフィールド版でも、もしあなたが連れ去られたら、どうなるのか?それは、イエスと一緒にいたいということだ。あなたの信仰は良かった。あなたは主のもとに行った。さあ、映画のクリップを見よう。君たち。

 

イエス様を信じれば、あなたは引き上げられ、救われ、携挙される。よし、そして地上に残った他のみんなは、どうなるんだ?火と硫黄で呪われるんだ。天国のすべてが彼らの上に崩れ落ちるんだ。他のみんなにとっては大惨事だ。それは本当なのか?分かりますか?レフトビハインドシリーズを見ただろう。艱難の前に起こることの思想が説かれているんだ。私たちは皆、一緒にいる。イエスを信じ、彼を主と告白すれば、よし、これだ。あなたは救われ、天国に連れて行かれます。この人たちを見てごらん。彼らは消えていく。突然見えなくなる。そして、多くの子供たちを見てごらん。彼らは良い心を持っている。

子供たちは神の国に行くんだ。だから、レフト・ビハインドの子供たちの多くは、天国に連れて行かれるんだ。携挙されるんだ。

 

 

なぜかというと、これを見てください。車がみんなの間を走り抜けていく。なぜだ?中を見ると、運転手がいない。なぜだ?彼は携挙されたんだ。私が言っていることがわかるだろう。彼は引き上げられたんだ。皆さん、何の話か分かりますか?わかりますか?これがどのように機能するか。このハリウッド版スコフィールド版の問題点は、この大きな問題点は何か?大きな問題は、それは、正反対だということだ。何と正反対なのか?聖書はこう言っている。聖書に戻りましょう。39節に戻りましょう。さあ、聖書はなんと言っていますか?聖書には何と書かれていますか?洪水が来るまで知らなかった。そして、何ですか?何が彼らを連れ去ったのか。洪水が彼らを連れ去ったのです。それから、二つの例がある。

 

24:40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。

 

そこで止めて。聖書によれば、もしあなたが連れ去られるなら、それは良いことなのか、それとも悪いことなのか。悪いことだ。なぜなら、もしあなたが連れて行かれたら、洪水で連れて行かれたようなものだからです。それはどういうことなのか?あなたは死んだのです。あなたは呪われた。それがどういうことかわかるでしょう。

 

 

 

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