〔2024年3月31日 英語礼拝④〕

 

だから、悪者でさえ、犯罪者として知られている人物を選ぶと言うのです。犯罪者でないとわかっている男よりも、犯罪者として知られている人間を、ただ彼を排除するためだけにそうするのです。そうです。不正はますます拡大している。それは、まるで、罪のない人間、真実の人間を阻もうとする不正の山、不公平の山、悪意の山だ。さあ、次です。

 

27:39そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、

 

見てください。みんな彼をあざけっている。彼を笑っているのだ。人は笑われるのが怖いんだ。だからインターネット上ではみんな怖がるんだ。何も言いたくないんだ。何も言いたくない。政治的に正しくありたいんだ。誰かに笑われたり、馬鹿にされたり、悪口を言われたりするかもしれないから。みんな怖がっている。軽んじられること、仲間はずれにされることを恐れているんだ。だから、彼らは通り過ぎて行くだけだ。

 

27:40神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。

 

そうだ。お前は、神殿全体を取り壊すことができると言った。それは大きな、大きな、大きな建造物だった。彼らは言った、お前はその神殿を、神殿全体を取り壊すことができると、あなたは狂った奴だと。自分も救うことができないくせに。今すぐ十字架から降りてこいと。奴らはイエスをあざ笑っている。お前の予言は全部嘘だと言っている。お前は偽預言者だ、あなたは嘘つきだと。お前は真実を語っていると言うが、しかし、お前は嘘つきだ。(略)その神殿を取り壊すことはできない。自分を救うことはできない。さあ、行け。自分を救え。十字架から降りて見せてみろ。分かりますか?奴らはイエスを嘲っているのです。

 

27:41祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、

 

それから、もちろん、彼自身の仲間もいる。イエスを王の王として受け入れるはずだった宗教指導者たちがいる。彼らはイエスをあざ笑っている。笑っている。暴徒と一緒に笑っている。彼らはこう言っている。行け、行け、悪者のところへ行けと。ああ、なんてことか。分かりますか?

 

27:42「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。

 

もし、イエスが十字架から下りてきたら、彼らは彼を信じるだろう。いや、もちろん信じない。だから、彼らは、彼らは完全に嘘つきだ。偽物だ。目立ちたがり屋だ。偽物の宗教家だ。信じているから、そう言っているのではない。もしそうなったとしても、彼らは別のことを言うだろう。

 

では、これを見たとき、私たちは何が分かるのか?自分自身と他者のことが分かる。私たちは、キリストを十字架に投げつけている人間なんだ。私たちはキリストに唾を吐いている。私たちはキリストの首を切っている。私たちはキリストの口にとげを刺している。黙れ、話すのを止めろ、問題に巻き込まれると言うな。黙れ、真実を話すのを止めろと言っている者は、私たちなんだ。私たちはそういう人間なのだ。キリストのように見せかけたいんだ。

 

いや、違うのです。私たちは正反対だ。私たちは敵だった。私たちは群衆の中で、彼に死ねと言っている人々だ。無名の犯罪者。私たちはそれに従っている。他のみんなは、この男は死ね、死ね、死ねと言いながら、それに付き合っているからだ。殺せ、殺せ、殺せと。もしそれ以外のことを言えば、彼らはあなたに刃を向け、あなたを殺すだろう。ペテロでさえ、イエスの親友の一人であり、いわば弟子たちの親友だったんだ。そんな彼でさえ、奴らの圧力に屈した。

 

私たちは言う。私ならそんなことはしないと。私の方がペテロより勇気があると。ペテロは臆病者だと。いや、コビト、コロナ、そのバカバカしさ全体が、いかに皆が臆病であり、いかに政治的な正しさに屈したかを示している。権威がこうしろと言ったとき、誰もが臆病者のように頭を下げた。だから、あなたは勇敢な人物ではない。我々は臆病者だ。キリストを殺そうとする臆病者だ。いや、私は勇敢だったと。いや、勇敢じゃない。簡単なことだ。私たちは臆病者なんだ。

 

ああ、私たちは罪のない人間ではない。完璧な人間じゃない。不当に苦しめられているんだ。一緒に十字架につけられた盗人も同じだ。そして、重罪人のように私たちが見下している人々さえも。その重罪人たちは、民衆よりもイエスを信じた。その盗人は、十字架につけられて苦しまぎれに殺された。十字架につけられて、血、血、血の贖罪、血の窒息。そして、肺が水で満たされる。溺れるんだ。手首と足首を、釘で固定して吊るされる。手首から。実際は手首じゃない。手首の骨だ。その骨だ。足首にも刺さるんだ。足首は骨で支えられている。

 

そんなクレイジーなことが起きて、泥棒までが、泥棒までが、(略)私たちは重罪犯を笑って、あいつらより私の方がマシだって言うんだ。私の方がずっといい。重罪人を見てみろ。あいつらは十字架で死ぬべきだと。わかるだろ?でも、その重罪犯は、少なくとも一人はイエスを信じている。彼には勇気があり、彼も死ぬんだ。十字架の上だ。彼には他のみんなと違って、キリストを信じる勇気があるんだ。何ということか。分かりますか?だから、国がその人を悪いと言ったからって。みんながそれに従う。ジョージ・ワシントンのように、それが実際に悪だということではない。イギリス政府はみんな、ジョージ・ワシントンは悪いと言った。官僚機構全体がトランプは悪いと言おうとしている。権力機構が、それは真実だと言ったからといって、それが真実だということにはならないのです。

 

 

 

 

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