〔2024年2月18日 英語礼拝④〕

 

だから、世界の王国は恐れている。なぜなら、別の王権が台頭してきているからだ。しかし、この王権は違っている。なぜなら、この王権は大量殺人や戦争や皆殺しによって始まったものではないからだ。この王権は、この王の死、興南の死の収容所に行って、死ぬことよって、死によって始まったのだ。このように、再臨のキリストが自分以外の誰も殺さず、自分以外の誰も戦争をせず、世界大戦を止め、止めるために死んでいったのだ。皆さん、何の話か分かりますか?

 

キリストの王権はこうして始まったのだ。そして、それは天一国とともに台頭している。私たちは地球上で唯一の宗教です。統一原理の強力な神学の両方を持っている。原理を理解するには聖書を知らなければなりません。だから若い人たちは原理を理解できないのです。聖書を理解していないからです。だからまず、聖書を学ばなければならない。聖書の勉強をまずやって、それから聖書の世界観、キリスト教の世界観を理解する。それから、原理を読む。信じられないよね。その価値がわかるようになるんだ。

 

キリスト教におけるすべての論争を理解し、キリスト教におけるすべての問題を理解するからです。中核となる教義の問題点も理解できる。そして、原理を聞くのです。しかし、もしあなたがそのようなことを全く知らないなら、若者の多くは聖書について何も知らないのです。そして原理を学ぼうとする。しかし、聖書が何を言っているのかわからない。マッキントッシュ・コンピューターのプログラミングの仕方とか、そういう本を読んでいるのと同じように理解できないんだ。一体何が起こっているのかわからないんだ。あなたにはわからない。なぜなら、あなたはキリスト教の世界観から生まれたわけではないからです。だから、まずキリスト教を学び、キリスト教の世界観、キリスト教の問題、キリスト教の教義をすべて理解しなければならない。まず、基本的にクリスチャンになる必要がある。そして、原理を理解したら、あら不思議なことに、地球を揺るがすような現実を理解することになる。そして、芸術と同じように、より深く、より深いレベルに到達する。

 

それが聖書と原理について驚くべきことなんだ。ハイパーリンクのようなものだ。サムエル記上を見て、サムエル記下を見る。サムエル記下を見てください。創世記、レビ記、すべてに言及している。サムエル記の著者は、常に他の聖句を参照し、それらを取り込んでいる。つまり、ハイパーリンクなのだ。この驚くべきハイパーリンクの中で、すべてが神経学的にリンクしているのだ。タペストリー、織り込まれた織物、すべての糸は他の10億の糸と関連していて、この糸はあの糸と関連している。だから自然界には終わりがない。だから聖書を読むといつもそうなる。それは新しい。新鮮だ。ハイパーリンクがあるから、あなたは新しい場所にいるのです。でも、そのハイパーリンクはこっちにある。あのハイパーリンクはこっちだ。皆さん、何の話か分かりますか?

 

 

そして、彼らは実際にハイパーリンクとして、聖書のその図面をここに描いたんだ。聖書をハイパーリンクのように見てみて。信じられないような波や色があるんだ。すべてがつながっている。まるで巨大な虹のようだ。悪魔的な虹ではない。そうではなくて、神の栄光と、神の約束の本物の虹だ。すべてがつながっている。だから、どの本からでも始められるんだ。そして、あなたはすでに冒険の旅に出ている。聖霊が、あなたを冒険の旅に連れ出したんだ。あれがまさしく聖書なんだ。聖書がハイパーリンクになっている。聖書は他の部分と結びついているんだ。わかるかい?だからどの部分でもいい。ここに入って、こっちにジャンプしたら、ドーン!ここにリンクしている!そrは、ここにリンクしている。あれが、ここにリンクして、そっちは、ここにリンクして・・・ここにリンクして、ここにリンクして。どこに入っても同じことが言える。

 

まるで無限の、信じられられないタペストリー(壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種)のようだ。そして、何だと思う?何だって?ジョーダン・ピーターズが言っていたのは、聖書がそのように作られているだけじゃない。それで何だって?あなたの脳もそうなんだと。なんと!あなたの脳もハイパーリンクなんです。例えば、あなたの脳のニューロンは、ひとつひとつのニューロンにつながっているわけではない。脳の他のセクションとリンクしていて、そのセクションの他のセクションや部分とリンクしている。そしてそれらは、このセクションの他の部分とリンクしている。それが、このセクションの他の部分とリンクしているんだ。だから、脳の形をしているんだ。なんてクレイジーなんだ!正気の沙汰とは思えない。正気じゃない。正気の沙汰じゃない。でもつまり、これは研究が深まるにつれて起こったことなんだ。彼らは聖句、神の言葉に取り組んでいる。より信じられなくなり、より美しくなる。この信じられないような芸術作品になるんだ。

 

とにかく、要は原理はそういうことなんだ。しかし、このハイパーリンクの基礎がなければならない。この基礎がなければ、原理的に一体何を読んでいるのかわからない。さっぱりわからない。このハイパーリンクを持たなければならない。このハイパーリンクのシステムを理解しなければならない。そうすれば、原理原則を理解したときに、ああ、なるほど、なるほどと納得できる。おっ!信じられないような、レベルが爆発したような、レベルが出現したような、そんなことが壊れ始めるんだ。そしてレベルが上がる。だから、これが聖書と御言が信じられないほど、素晴らしい理由なんだ。無尽蔵なんだ。これが、信じられないほど美しい真理の本質なんだ。無尽蔵なんだ。神の真実を教えることは無尽蔵です。それは終わることがない、彼の美しさを反映することは、彼の美しさの中にある。例えば、犠牲的な愛は、無尽蔵です。例えば、犠牲的な愛、それは無尽蔵であり、私たちはそれを永遠に続くまで振り返ることができる。しかし、彼が手に入れた真実と善、つまり正義を忘れないことだ。善があれば悪もあり、正義の神でもある。彼は痛みと怒りをもたらすんだ。(略)でも、それが彼の良さの一部であり、彼の真実の一部なんだ。そしてそれは、そして、それを振り返ることは、エンドレスに解釈できる。それは、それは、それは無尽蔵だ。なんてことだ! 全能の主を讃えよ。

 

とにかく、芸術と美と聖書について考えるのはもう十分だ。よし、聖書の話に入ろう。そこに入ろう。ハイパーリンクに入りましょう。今日は深く入っていこう。列王紀上に行きます。列王紀上18章の終わりを見ましょう。そして19章にも入ります。しかし、列王紀上の18章の終わりに行きましょう。列王紀上18章から始めましょうか。私たちがどこにいるのか、大まかな場所を知ってもらいましょう。19節から始めましょう。

 

18:19それで今、人をつかわしてイスラエルのすべての人およびバアルの預言者四百五十人、ならびにアシラの預言者四百人、イゼベルの食卓で食事する者たちをカルメル山に集めて、わたしの所にこさせなさい」。

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村