〔2024年2月18日 英語礼拝②〕

 

そう。だから、あなたは感じるかもしれない。そうだ、私は、私のこれらすべてのもの、私が望んでいたこれらすべての食欲をあきらめようと。でも、どうしてだと思う?その見返りとして得られるのは、何倍もの増加、何倍もの増えるのです。なぜなら、あなたは今、永遠に触れているのだから。分かりますか?お父様が息子と関わるとき、今、その息子は永遠に触れ始めているんだ。分かるか?自分の中だけでそうしているんじゃない。皆さん、何の話か分かりますか?

 

父と子の関係を築き、直系血族を手に入れたら、今度は永遠に触れ始めるんだ。あなたはまだ前進している。分かりますか?あなたはまだ前進している。動いているのです。今、あなたは永遠に触れている。あなたは今、過去、自分自身の世代、孤立や原子化を超えて移動しているのです。そして今、あなたは新しい複雑な領域、より複雑な領域に広がっている。しかし、そう、その領域を探求するためには、自分の喜びを少し犠牲にしなければならない。しかしそれは、その領域が神の領域となるためなのだ。食欲に縛られ、気まぐれに縛られ、感情の鎖に縛られ、快楽に縛られていてはいけないのです。アーメン。

 

だからこそ、より大きな複雑な社会学的現実があるのです。ただ自分自身であることを超越したとき、そこで私たちは、個人の食欲が与えることのできるものを超えた、最大の喜び、最大の快楽を経験し始めることができるのです。皆さん、何の話か分かりますか?信じられませんか?とても興味深いことです。でも、それは何ですか?芸術もそうです。偉大な芸術は、偉大な芸術はそうするのです。私たちを美の領域に引き込んでくれるから。美は2+2=4のような主観的なものではありません。その現実には壮大で美しいものがある。その数学の上に、全宇宙とコスモスの建築が成り立っている。この建築がすべての現実を支えている。宇宙全体が一定の条件下にあるのは、この驚くべき建築によって支えられているからなのです。そうです、明らかに知性から来ているのです。

 

でも、2+2=4には何か不思議な美しさがある。とても美しい。理にかなっている。見てのとおり、私は美について、哲学的神学的な意味合いの美について少し勉強してきた。しかし、アクィナスは美について、それは完全性を持っているという言葉で語っています。それは、まとまりを持っている。調和もある。そして、彼が語ったように、輝かしい光も持っている。(略)輝く光のようなものです。ベートーヴェンやバッハなど、信じられないような曲、信じられないような名曲、信じられないようなクラシックのような曲を見たときに・・・、お父様の『栄光の賜物』の曲を見てください。あの曲を聴いた時に、信じられないようなハーモニーがあるのです。ハーモニーの一致という側面がある。完全性という側面もある。それは、どこから出てくるのか?

 

それは、奴隷の監獄という地獄の底から出てくるんだ。さて、ではこの奴隷の監獄群の中で、塩化アンモニアを毎日かき集めている。そんな一人の奴隷がいる。でも、彼はこの中にいる。奴隷の工場だ。一人の奴隷が主なのです。そして一人の奴隷がそこにいる。そして彼は、聖歌というものを書いている。皆さん、何の話か分かりますか?だから、この信じられないような名誉、この誠実さ、そこから生まれる神の愛、神を賛美することに向かう神の愛。たとえ地獄や、塩化アンモニアの蒸気やその他もろもろの惨めさの中にあっても。そう、そして、このハーモニーにもある。メロディー等にも入っているからだ。でも、このハーモニーがあるのは、それがキリストの性質と調和しているからなんだ。敵のためにさえ、自分を犠牲にしたいという彼の願望と調和している。皆さん、何の話か分かりますか?それは神の愛の本質と調和している。皆さん、分かりますか?そして同時に、それは素晴らしい。あなたがその曲を聴くときに、光り輝くのです。あなたがそれを見るとき、何かが、光があり、そこから注がれているのです。皆さん、何の話か分かりますか?

 

だからステンドグラスは、とても素晴らしいんです。そのステンドグラスの破片は、その中にあって、光が当たると、それは、それは、文字どおり美しさのすべての側面を持つことになります。そして、美しさには何かがある。美しさは、燃える柴のように、あなたを引き込むのです。燃える柴は、おっ?なんだ、これは?って感じ。目立つんだ。それは、それは、明らかに目立つんだ。明らかにおかしい。目立つ。信じられない。モーゼの意識領域のすべてを再編成するんだ。見てごらん。木目まで。粒子が細かい。ステンドグラスみたいだ。信じられない。

 

 

 

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