〔2024年1月21日 英語礼拝⑥〕

 

皆さん、今日の話に入っていきましょう。エゼキエル書8章です。エゼキエル書8の章です。今日はエゼキエル書8の章です。これはバビロン捕囚時代のエゼキエルの信じられないような章です。彼は幻を見ています。ペルシャです。彼はペルシャにいて、バビロン捕囚時代に幻を見ていたんだ。これはエゼキエル書8章の幻の一つだ。これは7章から10章まである。7章から10章ですね。この章では、天使に関する幻のいくつかを見ることができる。カトリックの教会にいる人たちとか、私たちは、天使が羽の生えた小太りの赤ん坊のように思っていることがあるが、聖書では、そのように描かれることは、決して、決して、決して、決してない。天使は怖い、怖い、怖いのです。意地悪そうで怖い。

 

では、テックチーム、 AIの聖書の天使をいくつかピックアップして。調べてみて。実際に天使がどう見えるか分かる。彼らのAIを作ったんだ。聖書の記述通りにね。気持ち悪く見える。ひどい、恐ろしい姿をしている。エゼキエル書では、彼らの全身に目がついている。彼にはそのように見えたのです。車輪がUFOみたいだ。UFOのようだ。「一つの輪と、もう一つの輪と、もう一つの輪のようだ。戦車と、それから、目をパチパチさせて、恐ろしそうだ。もし目が覚めて、あれが自分の顔に向かって浮かんでくるのを見たと想像してみて。すぐにパンツを濡らしてしまうだろう。だから、旧約聖書では、特に神が登場するときがそうなんだ。そして、たとえ天使のために立っていたとしても、彼らは天使を拝みたがる。だって怖いから、恐ろしいから。きれいな光景ではない。美しいものとは違うんだ。もちろん、天使もいろいろといる。ケルビムもいる。これは人の頭をしている。ヤギの頭、牛の頭、ワシの頭もある。分かりますか?イカれた怪物だ。

 

 

そうだ。こういう天使もいる。 違う天使だ。セラフィムだ。

 

 

別のものだ。エゼキエル書に出てくるやつだ。ケルビムだ。

 

 

これは6枚の翼を持つものだ。

 

 

そして、それを覆っている。翼は顔を覆い、翼は足を覆っている。だから、モンスターに見えるんだ。聖書には天使の姿が描かれています。ひどい姿をしている。彼らは小さくないし、無害な小さな赤ちゃんで、翼があって、小さなバレンタイン、矢を射るなんてこともない。だから聖書の預言者たちや人々が天使を見ると、文字どおり、崇拝を始めたくなるんだ。ああ、なんてこった。地面に倒れこんでしまう。そして、それを拝もうとする。すると天使は言った。私を崇拝するな。私はただの天使、つまりメッセンジャーだと。オーケー、オーケー、でも、でも、これは、これは、エゼキエルが霊界で幻を見ている部分の一部です。では、8章に入りましょう。さあ、では、8章に入りましょう。これはかなりエキサイティングな章だ。

 

8:1第六年の六月五日にわたしがわたしの家に座し、ユダの長老たちがわたしの前に座していたとき、主なる神の手がわたしの上に下った。 8:2わたしは見ていると、見よ、人のような形があって、その腰とみられる所から下は火のように見え、腰から上は光る青銅のように輝いて見えた。

 

なるほど、彼の腰から火が出るわけだ。面白いでしょう?下へ下へと、そして彼の腰から上へと。琥珀の光のようだ。オーケー、これは血統の幻覚だ。神の聖なる炎、聖なる血統だ。そうです。世代を通して、世代を通して。

 

※日本語の聖書では、「青銅」であるのに対して、英語の聖書では、color of amber 琥珀色 となっている。

 

8:3彼は手のようなものを伸べて、わたしの髪の毛をつかんだ。そして霊がわたしを天と地の間に引きあげ、神の幻のうちにわたしをエルサレムに携えて行き、北に向かった内庭の門の入口に至らせた。そこには、ねたみをひき起すねたみの偶像があった。

 

嫉妬を誘発する北のイメージについては、これからよく聞くことになるでしょう。さあ。

 

8:4見よ、そこに、わたしがかの平野で見た幻のようなイスラエルの神の栄光があらわれた。8:5時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、目をあげて北の方をのぞめ」。そこでわたしが目をあげて北の方をのぞむと、見よ、祭壇の門の北にあたって、その入口に、このねたみの偶像があった。

 

この北の門にある、ねたみの像とは何でしょうか?

 

8:6彼はまたわたしに言われた、「人の子よ、あなたは彼らのしていること、すなわちイスラエルの家がここでしている大いなる憎むべきことを見るか。これはわたしを聖所から遠ざけるものである。しかしあなたは、さらに大いなる憎むべきことを見るだろう」。

 

そうです、何か悪いことが起こっているのはわかった。よし、みんなそれに従おうとしている。何か悪いことが起こっている。何か忌まわしいことが、イスラエルの家とその北門と嫉妬の像とで起こっている。みんなが従っている。9節です。

 

8:9彼はわたしに言われた、「はいって、彼らがここでなす所の悪しき憎むべきことを見よ」。 8:10そこでわたしがはいって見ると、もろもろの這うものと、憎むべき獣の形、およびイスラエルの家のもろもろの偶像が、まわりの壁に描いてあった。 8:11またイスラエルの家の長老七十人が、その前に立っていた。シャパンの子ヤザニヤも、彼らの中に立っていた。おのおの手に香炉を持ち、そしてその香の煙が雲のようにのぼった。 8:12時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、イスラエルの家の長老たちが暗い所で行う事、すなわちおのおのその偶像の室で行う事を見るか。彼らは言う、『主はわれわれを見られない。主はこの地を捨てられた』と」。

 

彼らは、主は私たちを見ておられないと言う。暗闇の部屋の中で。彼らは逃げおおせると思っている。主は暗闇を見通すことができ、光をもたらしてくださる。アーメン

 

彼らは言う、『主はわれわれを見られない。主はこの地を捨てられた』と。

 

 

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村